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右前から斜めに突っ込んでくる車椅子。どっちだ、どっちに避けたらいい!? 右か左か……これは、右だな!!
斜めに切り込むようにマンションの玄関に突っ込んで来る車椅子を右前に踏み込んで躱す俺。入れ替わるように階段を乗り越えて飛び込んで来た車椅子はドリフトで反転しながらギリギリ紙一重、水飛沫をあげながらもマンションのドアまでは激突せずに停車した。
「いやはや、酷い雨もあったもんだね」
突然の雨でずぶ濡れになった彼女は物憂げな素振りすら見せず一笑し、ウィンクのように右目を閉じて片眼鏡越しに左目だけで俺に微笑んだ。
短い銀髪に片眼鏡の向こうの瞳は青紫で肌は抜けるように白い。若いといえば若いんだろうけど俺よりふたつかみっつは年上だろう。この蒸し暑い季節に相応の薄いブラウスと膝を隠す程度の丈のスカートはずぶ濡れで肌にぴっちり張り付いていて目のやり場に困る。
「君が避けてくれて助かったよ。雨宿り出来るところを探して全速力でトバしてたんだけど、いざとなると思ったより減速できなくてね。この雨じゃ急ブレーキかけてもハイドロプレーニングで滑ってくだけだろうし、なにか制動案を考えないとな」
「ええ……あ、ハイ……プレ?」
彼女は途中からひとりでブツブツよくわからないことを言い始めたが、呆気に取られたまま漏らした俺の声ですぐ我に返った。
「おっと失礼こっちの話だ。君は、ああ、高校生かな? ハイドロプレーニング現象、免許取るときに教習所で習うよ」
「あ、はい。それより、えっと……大丈夫ですか? 結構な勢いでしたけど」
なんの話か全然わからないが難しそうだしそっとしておこう。それより低いとはいえすんげー勢いで階段に乗り上げたけど身体とか車椅子とか大丈夫なのか?
「下着までぐっしょりだがどうということはないさ。降水確率30%なんて言って、まあ所詮確率か、1%でもあればあてになんないねえ。君も雨宿りかい?」
「はい、まあ」
めちゃ気さくだなこのひと、でも男子高校生の前で下着とか口にするのは止めて欲しい。などと思っていると彼女がばしゃばしゃと手櫛で濡れた髪を払い始めた。俺は少し悩んでから手にしていたバスタオルを差し出す。
「あのー、俺が使ったあとですけど、嫌じゃなかったらその、使います?」
「おや。ありがとう助かるよ」
彼女は嫌悪も遠慮も垣間見えない顔でにこやかに受け取ると乱暴に髪を拭った。なんというかパワフルだな。
彼女はそのままブラウスの上から身体を拭いて「ちょっと失礼」と呟くように言ったが早いか胸元のボタンを外して肌を直接、さらにはスカートを捲って膝とふくらはぎまで丁寧に水分を拭き始めた。
彼女はこちらにちらりと視線を向けて少し意地悪そうに片頬を歪ませた。
「おっと……若者にはちょっと刺激が強かったかな?」
その遠回しなプレッシャーでやっと俺は彼女を凝視していることに気付く。
「え? あ、す、すんません!」
突然のことについ見入ってしまった。
我に返って慌てて視線を落とすと、彼女の代わりに車椅子の車輪が目に入った。スポークを守るように被せられたカバーにはちょっと古めかしい雰囲気のイラストが描かれている。
木製の車輪のイラスト。それに人形のようなものがふたつ、それぞれ上下逆にしがみついていた。尻尾があり手足の指は獣のように丸い。
「……車輪、と……どうぶつ?」
「それは運命の車輪だよ。ホイール・オブ・フォーチュン」
俺の呟きが耳に入ったのか、彼女が答えるように口にした。
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