◆第十章 【二千円】 波浪◆

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◆第十章 【二千円】 波浪◆

 朔馬の存在が異質に映ったのか、泥酔して暴力を振るってしまったことに負い目があるのか、理玄は私たちに気を使ってくれているようだった。  しかし彼の気遣いは不運にも空振りが続いた。  朔馬の両親が亡くなっている事実は、彼の口からは初めて聞いた。しかし朔馬の両親がすでに他界していることを、私はなんとなく知っていた。おそらく入れ替わりの時に、そう感じたのだろう。  父方の祖父の話は隠していたわけではないが、朔馬に話す機会はなかった。聞かれたら答えたと思うが、朔馬は凪砂にも聞くことはなかっただろう。  両親は長く事実婚状態であったが、祖父が亡くなったことがわかると、ようやく籍を入れたらしい。とにかくとんでもない祖父だったのだろう。  祖父については、おそらく凪砂の方が詳しい。私は今も時々母と一緒に風呂に入るが、凪砂もたまに父と風呂に入る。それは伊咲屋の風呂だったり、我が家の風呂だったりする。その時に祖父の話を聞くことがあるのだろう。 ――酔っ払いには不用意に近付くなって、父さんにもいわれてる  私が酔った理玄に近づこうとしたとき、凪砂はそれを止めた。祖父は酔っては、家族に暴力を振るう人だったと聞いている。凪砂は私が思う以上に、酔っ払いに嫌悪感があるのだろう。 「それより理玄、対応中の仕事はどうするんだ? 回復したとはいえ、私が役立てる案件ではなさそうだぞ」 「そうだな」 「仕事って、狸丸が体調不良になった仕事のこと?」  朔馬がいうと理玄は静止した。 「現場、いってみる?」  理玄の言葉を受けて、朔馬は「いい?」と私たちをみた。私たちは即座にうなずいた。 ◇ 「心霊スポットってわかる? それの亜種みたいな場所なんだけど、どうもそこに、いるんだよね。俺は見鬼じゃないから、感じる程度なんだけど」  理玄は車を走らせながらいった。  助手席には朔馬が乗り、後部座席には私と凪砂が乗った。 「なにがいるんだ?」  朔馬は膝に乗せた狸丸に聞いた。 「いわゆる、よくないものってヤツですね。実態がないんで、実害は少ないですが、無害でもないです」 「よくないものか。この前、幡兎神社でも多く見たよ」  朔馬はいった。 「日本は妖怪より、人間の方がずっと多いからな。その正体のほとんどが、生き霊や、浮遊霊だと思う」 「そうなの?」 「そうだよ。だから、鵺に噛まれた時は驚いたな」  理玄はいった。 「え? 理玄が鵺に噛まれたってこと?」 「うん、俺は噛まれたことに気付かなかったけどね。狸丸がいうには、噛まれたんだろ?」  狸丸はうなずいた。 「足に痛みが走ったんで、虻(あぶ)にでも刺されたのかと思ったら、血がダラダラ出てな。それから間もなく具合が悪くなって、数日寝込んだよ。毒性の強いヘビにやられたのかとも考えたが、狸丸は鵺の仕業だっていったんだ。その頃、日本にいないはずの鵺を見かけるって話は、狸丸から聞いてたんだが、まさか人間の自分が噛まれるとは思ってなかったな」 「それから出嶋神社に連絡したのか」 「人間以外も迷惑してるってことだったし、他に人間が襲われないとも限らないからな。連絡させてもらったよ」 「そういうことだったのか」 「そういうこと。でも鵺はもう、退治してくれたんだろ?」 「見つけた鵺は退治したけど、それが全部とは限らない。今度鵺を見つけたら、生け捕りにしろっていわれてる」 「生け捕り? なんで?」 「操られている可能性があるから、もっと深く調べたいらしい」 「あ、悪い。この質問は忘れてくれ。そうか、箝口令がない場合、君はなんでも話してくれるんだな」 「素直なんですよ、朔馬は」  凪砂はいった。  理玄はバックミラー越しに凪砂を凝視した。そして「なるほど、素直ねぇ」といってハンドルを切った。  理玄が車を止めると、私たちは山の中を歩いた。  山の中であるにも関わらず、妙に歩きやすい場所であった。この辺にはっきりとした道は存在しないが、多くの人がここを訪れている様子がうかがえる。  径(こみち)の行き止まりには、首のない地蔵が並んでいた。鋭利な部分がないので、長くこの状態だったのだろう。 ――たぶん二人とも、みようと思えば視えたと思うよ  狸丸が憑かれていた時は、なにも見えなかった。  しかし今は見える。  地蔵の周りには、幡兎神社で見たような黒い影が浮遊している。陽があるせいか、それほど怖くはない。幡兎神社では、無意識に色んなものを注意深く視ようとしていたのだろう。もしくは夜のせいで、目を凝らしていたのかも知れない。 「どう? なにか見える?」  朔馬は私と凪砂をみた。私は「みえる」と短く答えた。 「黒い影というか、ホコリみたいなのがみえるけど、あってる?」  凪砂がいうと、朔馬は「あってる」といった。 「こういうのは、鬼虚(おにこ)っていうんだ。幡兎神社でも多く見たけど、日本ではよくある現象なのかな」  朔馬はいった。 「俺にはなにも視えない。ただすごく、嫌な感じがする」  理玄はいった。 「こういう場合、理玄はどうやって対処してるんだ?」 「大抵の場合、俺が持ち帰ってる」 「どういうこと?」 「今は数珠で防いでるが、俺は元々憑かれやすい体質なんだ。数珠を持たずに現場に近づけば、十中八九は俺に憑く。で、俺に憑くと、数日でそれらは消える。肩が痛かったり、悪夢をみたりするが、それも長くは続かない」 「それって、大丈夫なのか?」  凪砂はいった。 「理玄は僧侶だから徳が高いとか、雲岩寺がそういうモノに強いとか、そういう理由でどうにかなってたんだと思う。機能してるお寺で存在し続けるほどの強さはないんだ」 「理屈は知らないが、俺もそんな感じだろうと思ってた」 「狸丸は? どんな役割だったんだ?」 「依頼によって色々だな。原因が妖怪なのかを探ってもらったり、得意分野だったら対処してもらったり、交渉してもらったり。今回は情報収集してもらってたんだ。危なくないなら、いつも通り俺が持ち帰ろうと思ってたけど、いかんせん嫌な感じが強いんでな」  理玄は小さく息を吐き、頭を掻いた。 「君らはさ、こういうの対処できるの?」 「うん」 「三人とも?」  朔馬は迷いなく「うん」といった。 「そいつはすごいな」  理玄は私と凪砂を交互に見つめた。 「君たちバイトしない? 夏はこういう案件増えんだよ。一案件につき、千円でどう?」  理玄は、私と凪砂にいった。 「え、朔馬じゃなく、俺たち?」  理玄はうなずいた。凪砂は理玄に敬語を使うのを辞めたらしい。第一印象が最悪だったこともあるし、見鬼ということでどこか親近感もあるのかも知れない。 「出嶋神社の客人を、俺個人の依頼に巻き込むのは気が引ける。それに狸丸の話を聞くには、朔馬は茶室で妖怪らの依頼を受けることになるんだろ? しかし君らは朔馬と違って、暇な高校生見鬼だ」 「いうほど暇じゃないけどな」  凪砂は即座にいった。 「俺とハロも、こういうのに対処できるの?」  凪砂は朔馬に聞いた。 「肢刀で虚空を一振りすれば、鬼虚は散っていくよ。ハロも建辰坊から、教わってる呪術で対処できるだろ?」  私はうなずいた。建辰坊に教わった陣で対応可能なはずである。  凪砂が半信半疑な表情を浮かべていると「やってみる?」と朔馬はいった。凪砂はすぐに「うん」と返事をした。  凪砂は左手を腰に当て、人差し指を立てた。両人差し指の第一関節を、マッチを擦るように交差させると、日本刀のようなものが現れた。不思議な現象であるが、すでに見慣れたものである。 「うわ、なにそれ?」 「みえる? これは肢刀っていうんだよ」  理玄の問いに朔馬が答えた。  凪砂の肢刀は、建辰坊に向かって投げた時に見て以来である。 「練習してた? 安定してるな」 「前もいったけど、妖術書は毎日読んでるよ。抜刀はしてなかったけど」  凪砂は朔馬に促され、肢刀で虚空を斬った。その辺にあった鬼虚は、ゆらりと消えていった。 「すごいな。空気が変わった」  理玄は呟くようにいった。  凪砂は自分でやったことにも関わらず、肢刀を持ったまま茫然としていた。  朔馬も幡兎神社で同じようなことをしていたが、数多の鬼虚の中から玉兎を探し出すのは、骨の折れる行為だっただろうと改めて思った。 「とんでもない力だな」  理玄はいった。 「これなら、バイトもできるのか?」  凪砂は右手を見つめていった。肢刀はいつの間にか消えていた。理玄の元でバイトをする気らしい。 「でも案件につき千円って相場は、妥当か? なんとなく安い気がするんだけど」  凪砂は理玄をみた。  理玄は視線を浮かせつつ「いくら欲しいんだ?」といった。おそらく一案件につき千円というのは、かなりの安値なのだろう。 「じゃあ、二千円」  二倍の金額であるが、二千円も安値であるように思う。  理玄はほっとした表情で「しょうがない。二千円でいいよ」といった。 「俺とハロが理玄のところでバイトするのって、朔馬的にはなにか問題ある?」  私はバイトするといっていないが、凪砂の中では決定事項らしい。こうして何かに巻き込まれることは、幼い頃はよくあったなと思う。 「問題ないよ。でも二人が理玄と仕事するなら、俺も着いていくよ」 「それ、問題あるってことだろ」  凪砂は半笑いでいった。 「俺が心配なだけだよ」 「朔馬が反対なら、無理にバイトはしないけど」  理玄は二人の様子を見つめていた。朔馬と凪砂が、どんな関係なのかを計りかねているのだろう。 「二人の行動に意見する権利は、俺にはないよ。それに本当に反対ではないよ。日本の妖怪は実害は少ないし、理玄は現場に慣れてるんだろ?」 「慣れてはいる。それに俺は、危険なことはしない」  理玄はきっぱりといった。 ◆  私たちは理玄と連絡先を交換すると、自転車にまたがった。 「わざわざ自転車できたのか?」  理玄は驚いているようであった。 「狸丸と予定を合わせれば、鳥居で来ることもできたけど、雲岩寺には自転車でもいける距離だったから」  朔馬はいった。 「自転車だと、どんくらいかかんの? 伊咲屋からそれなりに距離はあるだろ?」 「四十分かからないくらいだったよ。この長い坂道がなければ、もっと早く着いただろうけど」  凪砂はいった。 「この坂は、この辺の生徒には遅刻坂っていわれてるからな」 「それはわかる気がする」 「しかしあれだな。鳥居の鍵を付与されたら、俺なら無意味に使うと思うけど、こういう人間は結局、神様には選ばれないんだろうな」  何気ない言葉だったと思うが、朔馬は「そんなことないよ」と謙遜するように小さく首を振った。 「私と凪砂で二千円なのかな?」 「え、なんて? ねぇ、ちょっと! スピード出しすぎだって! 朔馬が真似するから!」  凪砂に聞こえないとわかっていながら、私は「大丈夫、大丈夫」と返事をする。脇道もなく、前方から車がくる気配もないので、私はブレーキを掛けずに坂道を下った。  風が心地よかったが、ぬるい風である。これからは日を追うごとにさらに気温が上がっていく。そんなことを予感させる夕暮れだった。 ◇  夕食を終えると、凪砂はめずらしくソファーで眠ってしまった。 「抜刀したから、疲れたのかも」  朔馬は凪砂に毛布をかけながらいった。  建辰坊に肢刀を投げた日は倒れ込んでいたことを考えると、かなりの進歩である。 「建辰坊から教えてもらった呪術で、お金を稼いでもいいのかな?」 「その術はもうハロのものだから、いいんじゃない? 心配なら建辰坊に確認してもいいと思うけど」  朔馬は妖術や呪術でお金を稼ぐことに抵抗はないらしい。考えてみれば彼は妖術で生計を立てているので当然である。  ソファーでだらだらしていると、両親が帰宅した。  すると朔馬は「これ、もらいました」と、理玄からもらった伊咲屋のようかんを両親に渡した。雲岩寺の理玄からもらったと、朔馬がいうと両親は嬉しそうにそれを受けとった。お寺にご贔屓にされているのは悪い気はしないのだろう。  母は朔馬に、なぜこれをもらったのかを問うた。朔馬にとってその質問は想定外だったらしく「えっと」と言葉を詰まらせた。 「朔馬と凪砂がお寺の手伝いしたから、そのお礼だって」  私は援護するようにいった。  ついでに雲岩寺でバイトをしてもいいかと聞いてみた。母はすぐに了承した。場所がお寺のせいか、深く言及されることもなかった。 「もしかして雲岩寺の件、おばさんたちにいわない方がよかった?」  両親がリビングから去ると、朔馬は声を抑えていった。凪砂はまだ眠ったままである。 「バイトの件は内緒にするつもりはなかったし、大丈夫だよ。バイトの内容は伏せるけど」  ネットで雲岩寺を検索してみると、雲岩寺のSNSを見つけた。更新頻度は高くないが、稼働している。そこには常に黒猫の写真が添えてあった。そっけない文面のせいか、黒猫は凛々しくみえる。 「雲岩寺にこんな猫いたっけ?」  私は黒猫の画像をみせた。 「今日は見てないけど、この子も理玄の手伝いをしてるんじゃない?」 「そうなの? ただの猫じゃないの?」 「狐や狸って、脚が黒いだろ? 脚が黒い獣は、妖怪寄りの獣が多いよ」 「そういえば白足の猫はいるけど、黒足は少ない気がする」 「猫の模様って背中から墨を垂らしたようにできるらしいから、白足が多いって話は聞いたことあるよ」 「そうなんだ。そういえば私がバイトする時も、朔馬はついてきてくれるの?」 「うん」 「大変じゃない?」 「大丈夫だよ。これから理玄のところにくる依頼は、禍穴が原因の可能性もあるから、俺の仕事の範疇だよ。狸丸が変なものに憑かれてたのも、西弥生神社で禍穴が開いたせいだと思うし」 「私が結界から逃がした妖怪も、そのままだもんね」 「ハロが逃がしたわけじゃないよ。ただ、人外への影響は俺にはわからないからなぁ」  誰かの命を救ったとか、呪いを解いたとか、そういう実感は今もない。  ただ目の前には、左腕に青アザに残す朔馬がいて、憑かれてしまった狸丸の存在がある。  その責任は、私たちが負うべきなのだろう。 「夏休みは家族の行事が増えるって宮司がいってたんだけど、俺は伊咲家にいて大丈夫かな。なにかあれば出嶋神社で面倒みてくれるって、いってもらえたんだけど」  テレビ画面で見ていた動画が一段落すると朔馬はいった。  宮司と電話している際に、そんな会話をしていたように思う。 「お盆とかそういうことかな? うちは夏休みが繁忙期だから、家族の行事はいつも以上に無関係だよ」 「じゃあ、ここにいても大丈夫?」 「大丈夫だよ」  朔馬は安堵したように「今度おばさんたちにも聞いてみる」といった。日本に来ている彼に夏休みはないのだろうか。聞いてみたい気もしたが「まあ、ないのだろう」と結論付けた。  テレビ画面を見つめていた朔馬は、何かに気付いたようにこちらを振り返った。 「どうしたの?」 「来客だ。茶室に、誰かくる」  朔馬が立ち上がると、私もつられて立ち上がった。  緊張と高揚が入り混じる中、私たちは静かに茶室に向かった。  廊下はいつものように薄暗く、むっとした夏の空気が漂っている。廊下を歩く中、幼い頃は暗い廊下と、その奥にある西の間と茶室が怖かったことを思い出す。  茶室の襖を開けると、暗闇の中で「こんばんは」と声がした。  まだ見ぬ誰かの声がした。 【 第三部 了 】  
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