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◆第九章 【警告音】 理玄◆
予告なく狸丸が消えることは何度もあった。
しかし一週間もすれば、エサをねだりにひょっこりと顔を出す。久しぶりに狸丸の顔をみると、その度に理玄は安堵する。
今回、狸丸が姿を見せなくなったのは仕事中だった。
仕事中に連絡が途絶えるのは初めてである。そして半月が経った頃、その少年は鳥居から現れた。
まず目についたのは、奇怪な現象にはふさわしくないスポーツ仕様のイヤホンだった。おそらく理玄が持っているものと同じ種類のものである。
この鳥居から突如現れることができるのは、鍵を持つ狸丸だけのはずである。
しかし酔った理玄の前に、線の細い少年が鳥居からふわりと現れた。人間なのか、人外なのか、まったく判断がつかなかった。
酔った頭で「狸丸の鍵が、この少年に奪われたのかも知れない」と思った瞬間、全身の血が沸騰した。
おそらく何度か殴りかかった。しかし少年は虫でも払うかのように軽々と理玄の攻撃を避けた。相手が冷静であればあるほど、理玄の頭には血がのぼった。
少年はイヤホン越しに誰かと通話しているようだったが、理玄の耳には意味のある言葉として入って来なかった。
ふっと少年の体から力が抜けると、容赦のない蹴りが理玄のみぞおちに伸びた。理玄が体勢を崩して倒れる瞬間、おまけで軽く顎を殴られた。脳がきれいに揺れる感覚があった。
その後のことは断片的にしか覚えていない。
翌朝、何事もなかったように狸丸はエサをねだりにきた。
理玄は狸丸の身に何があったのか、そして昨日の少年らはなんだったのかを、狸丸に尋ねた。狸丸は「昨日も同じ話をしたぞ?」と嫌味をいいつつも、詳しくそれらを話してくれた。
鵺を退治した見鬼。
見鬼の端くれとして生きてきたせいか、ひどく興味がわいた。
狸丸の話によると、午後五時頃に少年らは再びここを訪れるらしい。
それは理玄が提案したことだと狸丸はいった。
◇
夕方、少年らは時間通りに雲岩寺にやってきた。
昨日はラフな格好をしていたが、本日は三人とも制服姿である。着替えるのが面倒だったのか、訪問着として制服を選んだのかはわからない。昨日もラフな格好とはいえ、社会人にも学生にも人気のあるスポーツブランドのTシャツを着ていたように思う。おそらく三人ともが、裕福な家庭で育っているのだろう。
冷茶を持って客間に戻ると、彼らは座布団の上で当然のように正座をしていた。その姿勢がひどく美しく、少し驚かされた。
「俺は理玄。新井理玄だ」
理玄が名乗ると、三人は順番に名乗った。
「同じ名字ってことは、二人は兄妹?」
「双子です。私が姉です」
波浪はきっぱりと答えた。かわいいというより、美しい子どもという印象を受ける。化粧っ気もなければ、スカートを短くしている様子もない。それでもどこか垢抜けて見える。
「双子か。高校一年ってことは、俺の一回り下か? 干支は寅?」
三人とも早生まれで卯年(うさぎどし)という回答だった。なんとなく舌打ちしたい気分であった。
理玄はこの年齢の子どもと話すことに不慣れではなかった。
雲岩寺は山の中にあるが、山奥にあるわけではない。
雲岩寺の近くには高校があり、そこの生徒は課外授業の一環で寺院内の清掃もしてくれる。そして雲岩寺の僧侶も、月に何度か高校で写経の体験教室を開くことがある。しかし写経の体験教室はほとんど名ばかりである。写経にくる生徒らは、なんらかの相談事を抱えてやってくる。大抵は話を聞くだけに留まるが、大人が介入すべき相談の場合は、学校側と連携をとることもある。
そういう場にくる生徒らは、少なからず理玄と「話そう」という意志がある。理玄は話を聞き出したり、何気ない会話から本音を見つけるのは不得手ではない。しかし今、この三人を前にすると、幸福そうな子どもたちを前にすると、何を話せばいいのか途端にわからなくなった。朔馬が、鵺を倒した見鬼であることに、気付かぬうちに萎縮しているのかも知れなかった。
「そういや、狸丸はどこいった?」
さきほど三人を客間に通した際は、足元にいたはずである。
「大きなカエルを見つけたみたいで、追っていったよ」
朔馬がいった。
「単刀直入に聞くけど、君は出嶋神社の関係者?」
「なぜ?」
理玄の質問に対し、朔馬は間髪入れずに質問を返した。
隠す必要もないので、真実を話すことにした。
「鵺の被害を出嶋神社に報告したのは俺だ。狸丸から聞いたけど、君が鵺を退治したんだろ? 無関係とは考えにくい」
「ここは寺だろ? 僧侶たちは、出嶋神社と連携がとれるのか?」
朔馬は理玄を見た。
この年齢で大人と話すことに慣れている者は、それなりにめずらしい。体術だけでなく妖怪退治にも秀でているなら、多少生意気になるのかも知れない。
「僧侶だからといって、連携がとれるわけじゃない。ただ、ここは寺だけど、鎮守社ってのがあんだよ。神仏習合の名残りっていうんかね」
朔馬は説明を求めるように双子をみた。
「お寺の敷地内に、神社があるってことだと思う。お寺と神社が一緒くたにされていた時代が、たしか千年以上あったんだよ」
凪砂はいった。賢い子どものようである。朔馬は「そういえば聞いたことがある」と納得した様子だった。
「うちの神社に神様がいるのかは知らないけどな。鎮守社があるおかげで、神社独自のネットワークみたいなもんが使えんだよ。だから出嶋神社に助けを求めた。この寺では俺だけが、見鬼もどきだからな」
「見鬼もどき? でも、狸丸とは話せるだろ?」
「狸丸とは話せるけど、それくらいだよ」
「俺が出嶋神社の関係者だとすると、なにか問題があるのか?」
朔馬はいった。先ほどの質問に答えてくれる気はあるらしい。
「問題ない。ただ少し興味がある。こんなに若い見鬼が派遣されてくるとは思わなかったからな。神社では、どんな英才教育してんのかと思って」
朔馬は、ネノシマから派遣されてきたといった。
そして今日までの経緯を簡単に理玄に説明した。朔馬はネノシマで、公務員のような職に就いているらしい。
ネノシマ。
ないはずの島が、時々見えるとの噂がある。実際に見たことがあるという者も少なくない。その島には神様や妖怪が存在するとされており、悪い事をするとネノシマに連れて行かれるとか、そんなことをいわれた記憶もある。
理玄自身も海の上に浮かぶネノシマを、幼い頃は見ていた。その姿は今も思い出せる。
目の前にいる少年がそこから来たというなら、そうなのだろう。色々と腑に落ちたので「大変だな」と他人事のようにいった。
「驚かないんだな?」
朔馬はいった。
「ネノシマを見た記憶はおぼろげにある。その年齢で公務員ってことは、ネノシマのエリート? 両親も同じ職だったりすんの?」
「両親は死んでるけど、二人とも官吏ではなかったよ」
亡くなっているとは思っていなかったので、虚をつかれた思いであった。そして理玄は「あ、そうなの? まあネノシマにも色んな職業はあるんだろうな」と呆けた声をだした。
「父親は大商人の一人息子で、母親は遊郭で働いていたらしい。母親は、父親に身請けされて妾になったって聞いてる」
世間話をするつもりが、とんでもなく重い内容が返ってきた。育ちのいいエリートだと思い込んでいたが、叩き上げらしい。
双子は黙っていたが「そうなのか」という表情をしていた。二人とも初めて聞く話だったのだろう。
「えっと、なんていうか、悪かったと思ってる。すみませんでした」
理玄は声を落とした。
「別に、謝ることじゃないよ」
朔馬は謝られると思っていなかったらしく、焦ったようにいった。初めて年相応らしい反応をみたように思う。
「でも反応を見るに、双子は朔馬の両親の話は知らなかったんだろ? 一緒に住んで二ヶ月だっけ? 君ら、そういう話はしないの? もしかして仲悪い?」
雰囲気を変えたくて、理玄は無理に軽口を叩いた。
三人の仲が悪いとは到底思えなかった。昨日も、今日も三人で行動しているのが、いい証拠である。
「家族の話は今までしてませんでした。うちは、父方の祖父がどうしようもない人だったらしくて、だからなんていうか、とにかく出嶋神社の宮司さんが保護者ならそれでいいって、親がいってて、朔馬の家族の話は僕自身、なんとなく避けてました」
凪砂はいった。
そうはいってもネノシマから来たというなら、身の上話は聞きたくなるのが人情のように思う。しかしそんな野次馬根性は、彼らにはないらしい。
「そうだったんだ?」
朔馬はいった。彼も、双子の祖父の話は初耳だったらしい。
「父さんは中学卒業後に、逃げるように実家を出て、うちで住み込みで働き始めたんだ」
「おじさんも大変だったんだな」
「そのどうしようもない父方の祖父は、俺たちが生まれる前、服役中に死んだって聞いてる。もしかしたら俺たちは警察にはなれないかも知れないって、謝られた」
「なんで警察になれないの?」
「日本で警察になるには身辺調査があるみたいだよ。警察になる気はないから調べてないけど」
凪砂の口調はあっさりとしていた。本当に警察になる気はないのだろう。
「おじさんが婿養子でも、そういうのって影響するんだ?」
「それは考えたことなかったな。どうなんだろう?」
凪砂は波浪をみたが、彼女も警察になる気はないらしく「わかんない」と首を振った。
「朔馬がネノシマから来たってことは、双子のご両親は知ってんの?」
理玄が問うと、三人は首を振った。
「朔馬がネノシマから来たことは、俺にいっていいのか?」
「箝口令は出されてない。でも、あんまりいうなっていわれたっけ?」
朔馬は凪砂をみた。
「光凛はそんなこといってた気がする」
「コウリンって?」
「ネノシマの連絡役だよ」
「あー、そうじゃなくて、こっち側、日本側の問題。出嶋神社はネノシマに鵺退治を頼んだことを、他者に知られてもいいのかと思ってね」
朔馬は沈黙した。
「ちょっと、出嶋神社の宮司に電話してもいい?」
「いいよ。この場で電話して構わないよ」
朔馬は携帯電話を耳にあてた。しばらく沈黙が続いたが「あ、お久しぶりです」と朔馬がいった。
「朔馬です。……はい、元気にやってます……いえ、夏休みの相談ではないです……え? そうなんですか? じゃあ、その件は伊咲家に確認してみます。ツウチヒョウ? もらったことないです。成績表はもらいますが、レシートみたいなヤツですよね? いつも捨ててました……じゃあ、ツウチヒョウをもらったら、そちらに送ります……成績は、そんなによくないです。特に英語は、いつも最下位付近です……塾は、えっと、どうですかね?」
朔馬は困ったように双子をみた。
「悪いんだけど、代わってもらっていいかなぁ!」
理玄は思わずいった。
宮司には申し訳ないが、話は切らせてもらうことにした。
宮司にとって朔馬は大事な客人であり、朔馬にとって宮司は日本の保護者である。その関係性は、想像以上に複雑なのだろう。朔馬が質問攻めにされているところをみると、二人はおそらくほとんど連絡はとっていない。しかしそれは今、理玄には無関係であった。
宮司と電話を代わり、鵺の件に対応してもらったことに礼をいった。
そして、鵺退治をしたという朔馬と思いがけず邂逅してしまったこと、朔馬がネノシマからやってきたと聞いてしまったことを話した。
朔馬がネノシマからきたと他言すると思っていなかったらしく、宮司は閉口した。この様子だと、居候先の双子に話していることも知らないのだろう。いう必要もないので黙っておくことにした。
「この件を口外するつもりはありません。ただ、彼の話を聞く分には、ネノシマの方では箝口令は出していないようです。日本の方針というか、出嶋神社の方針を彼に伝えておいた方がいいと思いまして」
宮司は理玄の意見を素直に受け入れた。それから少しだけ朔馬について質問された。そして宮司は、もう一度朔馬と電話を代わって欲しいといった。
「人間以外には、口外しても大丈夫ですか?」
電話を代わると、朔馬はいった。宮司が言葉を詰まらせているのが、容易に想像できる。
その後、二人は短い会話をして電話を切った。
「日本の者にはいわないで欲しいって。で、知ってる人にも口止めしてくれって」
双子は「わかった」と声をそろえた。
「君は敬語が使えないわけじゃないんだな」
理玄はいった。嫌味ではなく、敬語を使えない人種だと思い込んでいたためである。若くして成功した者、日本で生まれ育っていない者は、そういう人種が多いと理玄は思い込んでいる。
「朔馬はちゃんと敬語使えるよ。教師にも、うちの親にも」
凪砂は援護するようにいった。
「日本では、目上の人には敬語を使った方が色々上手くいくって、宮司さんに教えてもらったんだ。腑に落ちたから実践してる。あと、日本の習慣とか、日本人のマナーの本も買ってくれたから、一応全部読んだ」
「待て待て、俺も目上の人だろうが」
「酔って暴力を振るう者は、目上の人に数えない」
ぐうの音も出ない。
「俺も酔っ払いは嫌いだな。酔っ払いには不用意に近付くなって、父さんにもいわれてるし」
案外毒舌な子どもたちである。
「そもそもどうして、あんなに酒を飲んでたんだ?」
狸丸がするりと縁側から入ってきた。
狸丸のことで心労が溜まっていたことも、泥酔した一因である。
そもそも鳥居から突然少年が出てきたら、誰もが警戒するだろうが! こっちはただの見鬼もどきだぞ!
そういいたいところを、理玄は堪えた。泥酔して朔馬に襲いかかったことは、言い訳できない事実である。
「俺の過失としか」
理玄は蚊の鳴くような声でいった。
「でも理玄はいい人だと思うよ。子どもに謝れる大人ってめずらしいと思うし、狸丸も懐いてるみたいだし」
素直な言葉が日本人らしくない、そう思った。朔馬は近づいた狸丸の頭をなでた。狸丸のことは気に入っているらしい。
「そういや昨日のお詫びといっちゃなんだが、まあお詫びだ。受け取ってくれ。SNSで拡散されてなくて、本当に助かった」
菓子折りを渡すと、朔馬は「あ、伊咲屋のようかんだ」といった。
「本当だ。ありがとうございます」
双子は声をそろえて礼をいった。
「あれ? 伊咲って、伊咲屋の親族?」
双子はうなずいた。
伊咲屋はこの辺では知らぬ者はいない老舗旅館である。子どもたちから、どこか品のようなものを感じるのは、旅館の親族だからかも知れないと理玄は納得した。
双子の伯母は伊咲屋の女将であり、双子の両親も伊咲屋で働いているらしい。先ほど話題に上がった双子の父親は、伊咲屋の和菓子職人ということである。伊咲屋の和菓子は縁のあるお店にも定期的に納品されているので、見かけることも多い。子どもに対して、お詫びとしてようかんはどうかと思ったが、他に思いつかなかった。
「この前、高校生棋士がタイトル獲得したのは伊咲屋だったよな。伊咲屋のサイト見にいったら、落ちてたわ。反響すごかったんじゃない?」
三人はあまり関心がなかったらしく、首を傾げた。のれんに袖押し状態である。
「それより理玄、対応中の仕事はどうするんだ? 回復したとはいえ、私が役立てる案件ではなさそうだぞ」
狸丸はいった。
「護符でお茶を濁すしかないだろうな」
理玄が茶をすすると、狸丸は「そうだな」といった。
雲岩寺に見鬼はいない。
だからこそ理玄には、個別に心霊現象やお祓いの相談がくる。他の僧侶よりも見鬼の才があるのは事実であるが、おそらく誤差程度である。それでも絶えず、そういう類の相談はやってくる。
理玄がそれらの相談を断ることは、ほとんどない。
困っている者を放っておけないとか、そういう思想もないわけではない。しかし断らない一番の理由は、実入りが多いからである。個別の依頼は、個別に代金を頂戴している。
「仕事って、狸丸が体調不良になった仕事のこと?」
朔馬がいった。
理玄はどうしたものかと思考した。
先ほど出嶋神社の宮司と電話で話した際に、朔馬の健康状態や、どんな様子かを聞かれた。ありのままを伝えると、宮司は安心した様子であった。
出嶋神社の客人である朔馬を、理玄の一存でどうこうしていいとは到底思えなかった。
しかし彼の意志で、彼の力を使う場合はどうなのだろう。
「現場、いってみる?」
自然と誘うような言葉が漏れた。
圧倒的な力を前にすると、恐怖心以上に好奇心が勝つ。
近づくなという警告音が聞こえていても、深淵をのぞかずにはいられない。
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