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◆第一章 【遊技場】波浪◆
この海沿いの町では、あるはずのない島が時々見える。
その島はネノシマと呼ばれており、そこには妖怪たちが住んでいるとされている。
凪砂(なぎさ)が建辰坊(けんしんぼう)を攻撃した夜以来、妖怪やその類の話も共有するようになった。自分が見鬼であることを、隠そうとしていたわけではない。しかし話してしまうと、なんだか気が楽になったようにも思う。
高校生になってからは、違う学校に通っているようなものなので、互いに学校の話もしなくなっていたことにも気付かされる。共通の友人や教師がいないので、学校の話題が上がらなくなっても特に不思議ではないが、自然と会話も減っていたのかも知れない。
しかし朔馬(さくま)がうちに住むようになってから、私たちの共通の話題は確実に増えた。
朔馬の持ち込む非日常が、私たちを日常に戻していく。
◆
ネノシマにいる望石神(もちいしのかみ)なら、入れ替わりをどうにかしてくれるかも知れない。兎国神(とこくのかみ)にそう聞いた日の夕食時だった。
「筆鳥(ふでどり)が起きたんだ」
朔馬は浮かない顔をしていた。
そして彼は考えを整理するように、筆鳥が告げた内容を話してくれた。
若矢(わかや)香明(きょうめい)が呪いによって命を落とした場合、呪いを運んだ雉であるところの瑠璃丸(るりまる)と、呪った側の巣守(すもり)の末裔も、呪いの代償として死ぬことになる。だから呪いを解きたいと、巣守結高(きだか)が朔馬に連絡を寄こしたらしい。
呪いを解くには巣守と瑠璃丸との接触が必須事項で、日本にいる朔馬に瑠璃丸を探してほしいと連絡してきたのだった。
「瑠璃丸って西弥生神社にいる、石化した鳥のことなんだろ?」
凪砂はいった。
筆鳥が起きた場に、彼も居合わせたらしい。
「うん。瑠璃丸はいましたよって返事だけでも、するべきかな」
「でも瑠璃丸はネノシマに連れて帰れないんだろ? 変に期待させても、あとが怖くないか?」
「え、なんで帰れないの?」
私は聞いた。
「結界に弾かれたからだってさ。あ、電話。遼平(りょうへい)くんからだ」
凪砂はすぐに電話にでた。
遼平くんは私たちの年の離れた従兄弟(いとこ)で、現在は伊咲屋で働いている。近い将来、彼が伊咲屋を継ぐことになるはずである。
「今日なら遊技場使っていいって、どうする?」
「ユウギジョウってなに?」
朔馬はいった。
凪砂は朔馬を見つめたまま「ありがとう。使う」と告げた。
◇
「なんで今日は、遊技場使っていいんだろう?」
私はいった。
伊咲屋の地下の遊技場にはダーツと卓球、ビリヤードがある。時々遊技場を使わせてくれることはあるが、夏の夜は稀なことである。
「今日と明日が将棋のタイトル戦だからじゃない? 遊技場で遊ぼうって人、あんまりいないだろ」
私は凪砂に促され、ダーツマシンへダーツを投げた。
「見た? あんな感じで三本投げる、それだけ」
朔馬は真剣にうなずいた。
「最初は真ん中を狙うといいよ」
朔馬がスローラインに立つと、凪砂はいった。朔馬の投げたダーツはブルには当たらなかったが、きちんとボードに当たっていた。私たちがそれを褒めると、朔馬は嬉しそうに微笑んだ。そして凪砂がカウントアップのルールを簡単に説明すると、私たちはゲームを開始した。
「さっきの瑠璃丸の話だけど、見つけたって報告するの?」
凪砂はいった。
「そのつもりだったけど。凪砂のいう通り、変に期待させない方がいいのかな」
「さっきもいったけど、なんで瑠璃丸はネノシマに帰れないの?」
私は聞いた。
「さっきもいったけど、強化された結界に弾かれたからだろ?」
凪砂は朔馬に視線をやった。
「ごめん、違う。なんで結界に弾かれたの?」
「呪いを背負ってるからだろ?」
「人を呪った今も? まだ背負ってるの?」
私も朔馬をみた。
「あ、そうか。たしかに、どうなんだろう。でも呪いの媒介にされてるから、弾かれるんじゃないかな」
朔馬はいった。
「瑠璃丸が帰れないなら、結高さんに日本にきてもらったら?」
私はいった。
「それは無理かな。俺は日本への通行許可証として皇帝から直接、血の陣を書いてもらったんだ。でも岩宿(いわやど)の金将が皇帝に会うのは、難しいと思う」
朔馬は自らの手の甲を見つめた。そこには皇帝の血の陣があるらしい。
「人命がかかってても、難しいことなの?」
凪砂はいった。
「人命がかかっていても、結高を皇帝に会わせるとこはできないって結論が出る可能性は高いと思う。その結論を受けたら、雲宿(くもやど)への憎しみが深くなりそうだな」
「ありそうで怖いな」
「それこそ戦争のきっかけになりそうな気がする。そんなに単純じゃないとは思うけど」
朔馬も凪砂も短くうなった。
「疑いたくないけど、結高が嘘をついている可能性はないの? それこそ皇帝に会って、暗殺するためとか?」
「その可能性はかなり低い。結高は日本にいる俺と連絡をとるために、筆鳥に指を何本か、もしくは片目を差し出してる。組織で動いてるなら、金将が筆鳥に代償を払う意味はない」
私の投げたダーツはブルに刺さり、派手な音が鳴った。
あまりに物騒な話だったので、思わず自分の指を見つめた。指や目を失ってまで、朔馬と連絡を取りたかった者がいる。その事実が生々しく心に浸透した。
「筆鳥が、巣守結高って名乗ったから?」
凪砂も自らの指を見つめていった。
「うん。筆鳥は差出人の名前を告げる時、嘘をつけないんだよ」
「つまり結高は、一人で行動してると思っていいの?」
「俺はそう思ってる」
「なら結高に会って、現状を話してみたら?」
「え? そうか。その発想はなかった」
朔馬はいつかの凪砂のようにいった。
「朔馬って、対人はどうなの? 強い?」
朔馬は迷いなく「うん」といった。
「じゃあ会ってみてもいいんじゃない? 向こうは朔馬に助けを求めてるわけだし、危険は少ないだろ?」
「たしかに襲いかかってくるようなら、協力しない決心もつくし」
朔馬はすでに慣れたようにダーツを投げた。
「話は変わるけど、二人の入れ替わりを治すためには、ハロはネノシマにいく必要があるんだろ? それはいつって、もう決めてるの?」
「まだ決めてないけど、もう少し先かな。後回しになって悪いけど」
「それは別にいいんだけど、私はネノシマにいけるの?」
「見つからなければ問題ないよ」
「日本からの侵入はゆるいんだっけ?」
「うん」
「それなら結高に現状を話す時に、私か凪砂、どっちかついていこうか? 役に立たなくても、見知った顔が近くにいた方が、多少は心強いんじゃない?」
「じゃあ俺がいくよ。役に立てる気はしないけど」
「ハロは、凪砂がネノシマにいくのは嫌じゃないの?」
朔馬は私をみた。
――凪砂を、ネノシマに連れていくの?
私はいつか、朔馬にそんな言葉を投げた。朔馬はその言葉を覚えているからこそ、私に伺いを立てているのだろう。
「無事に往復できたんでしょ? 別に嫌じゃないよ」
私の言葉を受けて、二人は「言ってないよ?」という表情を見合わせていた。こういう場面は幼い頃に、何度も遭遇したように思う。凪砂と毅に秘密を作られることには慣れていた。そしてその秘密の大半は、くだらないものだった。
「凪砂がネノシマを往復したことは、建辰坊から聞いたよ。今度からは、簡単に往復できるようになったんでしょ?」
凪砂がネノシマにいく前に打ち明けられていたら、私はあらぬ心配をして、きっと悶々としたはずである。しかし二人が無事に帰ってきている今、私がなにかを憂う必要はすでになかった。
二人は若干申し訳なさそうに、私の言葉を「うん」と肯定した。
凪砂がなんのためにネノシマにいったのかは分からない。
しかし凪砂が自発的にいわないことを聞いたところで、答えてくれる気もしなかった。
凪砂がネノシマへいった冒険譚は、私が知ることのない物語である。
それでも、その場に朔馬がいてくれたなら、凪砂が一人でなかったのなら、それでいい気がした。
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