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今日から夏休みだ。
はるかの心は弾む。
小学校に行くときの早起きはとても苦痛だけど、夏休みの早起きは、朝の4時でも5時でも、へっちゃらだ。
今日も青空にフワフワの雲がうかんでいた。
はるかは、団地のベランダから空を見上げ、ひとみをかがやかせた。
「はるちゃん、また空を見てるのね!」
洋子ちゃんがベランダ越しに笑っている。
お隣の洋子ちゃんは、はるかと同じ小学四年生で大の仲良しだ。
「空を自由に歩きたいなぁ」
はるかは手すりをにぎり、青空を見あげた。
「ほんとね、青空を散歩したいわね!」
洋子も目をかがやかせて、空を見上げる。
二人は一緒に流れる雲をみつめた。
ピンポン♪
玄関の呼び鈴が鳴る。
「おさむくんが来たわよ」
すぐにお母さんがやってきた。
「おはようございます」
洋子が明るく挨拶する。
「おはよう。洋子ちゃんも空が好き?」
「見ていると、すごく気持ちがいいんです」
洋子は、大きなひとみをキラキラかがやかせた。
「じゃ、またあとで!」
はるかは、網と虫かごを持って、階段を駆け下りた。
「おさむくん、遅れてごめん」
「いいよ。早く虫取りに行こう」
はるかとおさむくんは、自転車にまたがり、近くの雑木林に向かった。
「あの林だよ!」
先に、はるかが自転車を降りた。
最近、はるかが見つけた雑木林で、クワガタやカブト虫が、沢山集まるクヌギの木があるのだ。
「こんなに近くなんだ」
おさむくんも自転車を降りる。
二人は雑木林に入ると、音を立てないように、目的のクヌギのところまで歩いた。
「カナブンとカミキリムシしかいないね」
目の高さのところに樹液の染み出る裂け目が有る。だけど、クワガタ虫やカブト虫は見つからない。
はるかは、木漏れ日に誘われるように、木を見上げた。
「みっけ!」
おなかが満腹になったのか、カブトムシの雌が、ゆっくり木を登っている。
「でもあんなに高いところに」
おさむくんは諦めモードだ。
「ジャンプしたら、届くかも」
はるかは、虫取り網を出来るだけ長く持って狙いを定めると、思いっきりジャンプした。
ガサガサ
周囲の枝葉に邪魔され、空振りに終わった。そうしているあいだにも、カブト虫はスピードを上げて登り続けている。
「こんどこそ」
はるかは、今度は幹に垂直に網を伸ばして、思いっきりジャンプした。
すぐに網を覗く。
「やった! カブト虫ゲット!」
はるかは網の中からカブト虫を取り出して、おさむくんに見せた。
「いいなぁ」
おさむくんはうらやましそうに、はるかのカブトムシを見る。
「二匹目を見つけよう!」
はるかがそう言って、カブトを虫かごに入れようとすると。
「はるちゃんは、虫取りうまいし、網も持っているから、二匹目もすぐに捕まえるよ」
「そっかなぁ」
「だからそのカブト虫を僕にゆずって」
「え……」
はるかは、一瞬ためらったが、おさむくんが気の毒に思え、カブト虫を譲ることにした。
「ありがとう!」
おさむくんは虫かごのカブトに大喜びした。
「じゃ、二匹目、探そう!」
「オッケー」
二人はそれから二時間ほど、雑木林を歩き回ったが、蚊に刺されるばかりで、何も捕まえることは出来なかった。
「もうお昼だ。帰ろう」
おさむくんはさっさと自転車にまたがる。
(どうして、カブト虫、あげちゃったんだろう。今更、返してなんていえないか)
はるかは、急に気分が落ち込んだ。
「ただいま」
はるかは破れた虫網を持ったままリビングに寝転がった。
「カブト虫、採れたの?」
母親は、様子が変だと思った。
「うん。カブト虫を捕まえた」
「お母さんにも見せて」
「おさむくんにあげたんだ」
「どうして?」
「だって欲しいって言うから」
母親は、網が破れているのに気づいた。
「網が破れるほど頑張ったのに、あげてしまったの?」
「いいんだ。僕の方が虫取り上手いから」
母親は、複雑な面持ちで息子を見つめていたが、それ以上何も言わなかった。
お昼ご飯の冷や麦と目玉焼きを食べると、はるかは、ベランダに出て空を見上げた。
「青空にフワフワの雲が浮かんでいる。あの雲に乗れたら気持ちいいだろうな」
はるかは手すりにしがみついたまま、空を見つめた。
「雲に乗りたいわね」
洋子ちゃんの声がした。
「え、どうして僕の気持ちがわかったの?」
「だって、毎日、同じこと事言ってるもん」
洋子ちゃんはクスッと笑う。
「なぁーんだ」
はるかは苦笑いした。
「あたしが連れて行ってあげる」
気がつくと、洋子ちゃんがいた。しかも手すりの向こう側に浮かんでいるのだ。
「ドローン?」
はるかは、まさかと思い、洋子の足下を見てみたが、大型のドローンどころか、スニーカーすら履いていない。
「行くわよ」
洋子ちゃんがそう言うと、はるかの足がふわりふわりと浮き上がり、彼女と並んで空中に立った。
「洋子ちゃん、魔法使い?」
洋子ちゃんは、はるかの質問には答えず、まるで見えない階段でも駆け上がるように、雲に向かって歩き始めた。
宇宙に行ったことないけれど、宇宙遊泳してるより足が踏ん張れる。
「なれてくると楽しいでしょう」
洋子ちゃんは頬をピンクに染めて笑う。
「う、うん」
はるかは、何が何だかわからないけど、空を散歩するのが楽しくて仕方がない。
「青空を散歩しようね!」
洋子は笑いながら、はるかの手をひく。
少年と少女は高く高く舞い上がる。
「きれい!」
はるかは夢にまで見た、青空から、遠くの地上の景色を眺めた。
「団地や公園や道路がグーグルマップみたいね」
「排気ガスがこんなところまで」
はるかはハンカチで口を塞いだ。
「海に行こうよ」
洋子が港のタワーを目指して歩き始めた。
「海だ!キラキラ、鏡みたいだね」
はるかは、地上にも美しいところが有ることに気づいた。
二人は、それから、夕日が空を金色に染めるまで、空の高いところから街を眺めたり、海を眺めたりして、青空散歩を楽しんだ
「あの雲で休憩しましょう」
洋子は綿菓子みたいな雲を指さした。
二人は競いながら雲まで駆け上がった。
「わぁ! 気持ちいいなぁ」
「お昼寝したら最高よ」
「もしかして、洋子ちゃん、こっそり隠れて青空散歩してた?」
「ふふ」
洋子ちゃんはにっこり微笑む。
「ところで洋子ちゃん、どうして飛べるの?」
落ち着くと、はるかの心は謎だらけだった。
「これは夢よ」
洋子は微笑み、うつ伏せになって、流れる地上の景色を眺め続ける。
「あ、ぼくたちの団地だ」
「そろそろ帰らないといけないね」
二人の雲が団地のはるか上空で止まった。
「あたし本当はカブト虫の妖精なの」
「え……」
はるかは洋子の告白に腰を抜かしそうになった。
「今朝、はるちゃんが捕まえたカブト、本当はあたしなの」
「どうしてそんなこと」
「いつも苦労して採った虫を友達に譲るから、今日こそ、はるちゃんがお母さんに自慢できればと思って、捕まってあげたのに」
「そうだったのか」
「はるちゃん優しい。だから虫たちからもはるちゃん好かれているのよ」
洋子の姿がカブトムシの妖精になった。長い睫毛に大きな黒いひとみが愛くるしい。
「おさむくんのところから逃げ出したの?」
「うん。あの子はいいこだけど、人の痛みがわからないから嫌いよ」
ぼくの心もチクッとした。ぼくははもう、虫を採らないことにした。
「はるちゃん、お家に帰ろう」
洋子ちゃんが微笑み、羽を拡げる。
金の粉がぼくに降りかかる。
洋子ちゃんがブンと飛ぶ。
気がつくとぼくもカブト虫になってブンと飛んでいた。
おわり
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