(1)あやかし夏月夜

1/2
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

(1)あやかし夏月夜

 山陰。室伏山(むろふしやま)と呼ばれる、深く息づく(もり)がある。  ひとの手によるものは、里から最寄りの山頂に建てられた()()()と石造りの参道だけ。  そこから続く尾根。かさなる稜線。山腹と裾野は木々が豊かに生い茂り、清水せせらぐ渓流が谷あいにいくつも通っている。  けがれのない手付かずの杜――ここら一帯が信仰の対象なのだと。  ゆえに、近隣の人間たちはわかりやすく明確な線を引いた。  参道脇の滝壺に配された大岩に注連縄(しめなわ)を張り、里山と神域の境目を。  すなわち、そこに住まうべき者の領域を。  ――ひとか、否か。    *  *  * (べつに、人間がいてもいなくっても、うちの(ヌシ)様は頓着しないだろうがな……)  頬を撫でる風に目を細め、(からす)は、すっかり藍色に染まった夜空を見上げた。  晧々(こうこう)とする満月は枝葉の天蓋の向こう側。星々もまた。  葉の輪郭越しに降り注ぐ蒼い光には、浴する、という言葉がしっくりとくる。千年以上も昔、「夏は夜」と謳った輩がいたのにも頷ける。ひとだけではない。(あやかし)の身にも、夏月夜(なつづきよ)は心地よい。  が、今宵ばかりは普段の静けさから縁遠かった。  どん、どぉん……と、時おり太鼓の音が木霊(こだま)して、ざわめきが耳に届く。  まるで人間たちが行う祭りの縁日だ。  山頂まで続く苔むした石段をゆくのは烏だけだったが、何体もの“カゲ”が滑るように昇っていった。  夜のさなかでも“闇”としか形容できぬそれらは、ふわふわと宙を漂っていたが、やがて(こご)って変化(へんげ)し、青白い人魂をいくつも従えた鬼女になった。  合わせて四体。  揃いの着物は肩の白から裾の黄へと移る地に、真っ赤な曼珠沙華と葉陰にドクロ模様。全員、この上なく似合っている。趣の異なる姉妹のようだった。  鬼女は造作はうつくしいが、生身の男を頭からかじるのが大好きな古妖(ふるあやかし)だ。  彼女らは烏にあだっぽい流し目をくれると、くすくすと笑い、裸足で軽やかに去っていった。  それを半目で見送ると、今度は別のカゲに肩を叩かれる。げんなりしながら振り返ると、そいつは、あかあかと燃えるすらりとした体躯の男に変化した。いっそ篝火のように明るい。 「よ、烏天狗の。元気だったか」 「あぁ。あんたか、焔猫(ほむらねこ)。相変わらず(あち)ぃなあ。派手だし」 「どうも?」  燃え立つような火は徐々に収まり、やがて男はにこりと笑った。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!