1人が本棚に入れています
本棚に追加
「8月7日をすぎちゃうなんて……やりなおしたせいでわかんなくなっちゃったじゃないの」
ばあちゃんの、あせったようなイラ立ったような声。またとなりの部屋にいる。ばあちゃんがいないとじいちゃんにつかまって、また長話だよ。……何してんのかな。
ぽつ。ぽつ。ぽつ。
――あ、雨? でも空は晴れ晴れ。どう見てもお日様しかないぞ。
ボクはばあちゃんの声のする部屋をのぞいた。
「ばあちゃん、何してんの?」
「拓ちゃん! ねえ、若い子ならわかるでしょ! どうしてこうなっちゃうの!」
ばあちゃんは、じいちゃんの文机でパソコンに向かっていた。えっ意外。てか、ばあちゃんとパソコン。異世界かって組み合わせ。
「ね、こうするとね――」
ばあちゃんが、ひとさし指でおっかなびっくりキーを打つ。ぽつ、ぽつ……ぽつ。あっ、この音。
「そういう打ち方を『雨だれ』って呼ぶんだよな」
いつのまにか、いんてりじいちゃんがボクの後ろに立っていた。雨だれ……って、本物の雨のことじゃなかったのか。
「ばあさん、まだその打ち方なのかい……そのためにばあさんは――」
「おじいさんは口を出さないでください!」
ばあちゃんは、じいちゃんの続きをさえぎってピシャリと言った。うえっ、こわいよ。こんなこわいばあちゃん、見たことない。
「はいはい、あとは拓実にまかせた」
……あ、じいちゃん退場。ズルい。
「ねえ、拓ちゃん。どうしてこうなっちゃうのかしら」
画面には「x@yd)」。ああこれ。こないだからあちこちに見かけたやつ。
ばあちゃんがもう一度1個目のキーをたたく。そのキーには「X」って書いてあるけど、ななめ下に「さ」とも書いてある。
「さ?」
「そうそれ! 『さ』を打ちたいのよっ!」
じゃあそれを対応させてみたら暗号がとけるんじゃ?
X=さ。@=てんてん。Y=ん。D=し。(=ょ。
「ざ・ん・し・ょ?」
「わあ、それよそれ! 拓ちゃん、すごい!」
へへへ、と笑ったはいいが、さて「x@yd)」を画面で「ざんしょ」に変えるにはどうやったらいいのかわからない。
「おーい、拓実。オタマジャクシが」
じいちゃんの呼ぶ声。ボクはとりあえずそっちへ行った。
「何、じいちゃん」
しかしじいちゃんはオタマに全然目もくれず、メモを一枚わたしてきた。「カタカナひらがなローマ字」と書いてある。しかも、それはばあちゃんの字。
「何これ?」
「ばあさんが自分で書いたのに、その辺におきっぱなして忘れちゃったやつ」
首をひねっていると、じいちゃんにまた背中をつき押しされた。
とりあえずそれをばあちゃんにわたすと、「ああそうだったわ!」とうれしそうにした。そう、そういう名前のキーが、ボードの一番下の列にあって、ばあちゃんはそれを押した。
そしてもう一度雨だれがはじまる。ゆっくりゆっくり「ざんしょ、おみまい、もうし、あげます。」ができあがっていく。終わってふうと息をついたばあちゃん、ボクをふり返ってニンマリした。
「でもねえ拓ちゃん。おばあちゃん、もっとカッコよく打つこともできるのよ」
ばあちゃんは姿勢を正すと、キーでなく正面を見つめた。両手をキーボードの上にピアニストのようにかまえる。そして、ピアノを弾くみたいに10本の指を動かしはじめた。
たたん、たんたん。とリズミカルな音――小雨?
だだだだだっ! だだだだだ――長雨?
こないだからのちょっとヘンな雨音の正体は、ばあちゃんがキーをたたいている音だったんだ。
そして。
ざざざざ、ざざざざ、ざざざざざーん!
すごい。最後には夕立みたいな勢い。ボクが「夕立打ち」と名づけよう。
最初のコメントを投稿しよう!