疾走の鎮魂歌

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 家路を急ぐヘルツは忌々しい気持ちで灰色と鈍色の曇天を仰いだ。3月から天気は良くなく、4月になってからは雨しか見ていない。しかも今日は土砂降りでウィーン警視庁を出てすぐに濡れ鼠になった。しかも駆け足の馬車が泥を跳ねて足元を汚す。ヘルツはまた前を向いて歩き出す。雨は嫌いだ。特にこんな雨の日は嫌なこと、忌まわしいこと、惨劇しか思い出さない。  家に帰るとレオノーラが代えのズボンと用意してヘルツを迎えてくれた。大急ぎで身体を拭き、服を着替え直して居間に入ると気がかりがあるような表情をしてヘルツを見るレオノーラと目が合った。 「ねぇ、ゼメリングから手紙が来ていたけれど。どなたかお知り合いでもいるの?」 「ゼメリングから?」ヘルツは目を瞬かせた。それは懐かしい名前だった。10歳までの故郷であり、そして同時に痛ましい記憶を呼び起こす名前だ。 「私、貴方はウィーン子だとばかり」 「引っ越したんだ。10歳の頃、ウィーンの伯父に預けられてね」 「そうだったの……でもどうして」  ヘルツはレオノーラの言葉を遮って手紙を見た。差出人はルドルフ・ルース。ヘルツはナイフを使うのももどかしく手で封を切った。1枚だけの便箋には急いで書かれたと分かる、何故か女の文字で埋まっていた。 『アルバン・ヘルツ様  突然のお手紙をお許しください。何しろ急な用件なのですから教養のない不躾な文で申し訳ありません。  4月5日にミハイル・アルデンホフ様が亡くなられました。そう、アルデンホフ様です。あの方は長く殺人犯であった父親の無実を訴え、村外れに追いやられていましたが旦那様の必死のお力添えで教会の、他の家族の隣に埋葬されることが許されました。葬式には間に合わずとも、アルデンホフ様のお話をなさりたいと旦那様は強く望みです。というのも旦那様は長く患っており、更にここ数週間の悪天候でいつお亡くなりになってもおかしくない状態なのです。旦那様はアルデンホフ様が亡くなられてからというもののヘルツ様に会いたい会いたい……とそれだけしか申しません。お願いです、旦那様に会いに来て旦那様の心痛を取り除いてあげてくださいまし。    ルース家の順従なる家政婦ヨハンナ・ツァンカー』  ヘルツは手紙を仕舞うとレオノーラを見た。レオノーラはヘルツが口を開かずともその手紙が変事をもたらしたことを察知しトランクと着替えを用意し始めた。      
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