疾走の鎮魂歌

2/8
前へ
/8ページ
次へ
 ヘルツはレオノーラからトランクを受け取ると、時機良く走りかかった空き馬車に飛び乗った。ウィーン南駅へ着くなり力一杯走ってセメリンク鉄道列車に飛び乗った。こんなに力一杯走ったのは子供の時以来だ。一瞬だけ口の形が笑むがミハイル・アルデンホフとルドルフ・ルースを思い出すと笑みは消え、悲しくなる。車窓から景色をぼんやり眺めると横殴りの雨とウィーンの街の向こうに、幼い頃のヘルツたちとその笑い声が見え聞こえするような気がする。  ヘルツはイタリア方面きっての難所ゼメリング峠を超えた小さな村で産まれた。村の住人の殆どがゼメリング鉄道建設に携わった者とその家族でヘルツの母親もそうだった。その母はヘルツが幼い頃に亡くなり、父は退役軍人で上官の推薦でゼメリング鉄道の車掌に就いた。  子どもが多かったから遊び相手には全く困らなかった。ヘルツはいつもミハイル・アルデンホフとルドルフ・ルースと一緒に遊んだ。ミハイルは村で1番のハンサムで子どもたちのリーダー格、そして家が営む肉屋のだった。彼が売り子をしている後ろで父親のエーリヒが大きな肉切り包丁で軽々と肉を捌いていたのを今でも覚えている。対するルドルフは木登りが得意のお調子者、いつも皆を笑わせる道化で小さな洋裁店を営む母親と2人で暮らしていた。ヘルツはミハイルのように機知にも富んでいなければ、ルドルフのように皆を笑わすことも出来ない平凡な少年だったが脚だけは速かった。彼にかかれば追いかけっこは無敵だった。皆は一種の敬意を込めてヘルツを『疾風(はやて)のアルバン』と呼んだ。  その時大柄な労働者が廊下を歩くのが目に入った。乱暴な歩き方で周囲を威嚇し、怯えさせる。ヘルツはこの性格の人間には男女問わず嫌悪感を抱かずにはいられない。そのきっかけになったのがアルフレート・ベスターだ。48年の10月蜂起でラトゥール伯爵殺害に関わったと疑われたが証拠が無く代わりにゼメリング鉄道建設に送られたならず者で建設後も村に居続け無法者、乱暴者の名前を欲しいままにした。全ての男を殴り、全ての女を欲しいままにし、全ての子供を怯えさせなければ気のすまない男だった。しかし彼は力が強く、その罪状は幼いヘルツらですら知っての通りで誰も手出しが出来なかった。皆、彼が怖かったのだ。  だから彼が死んだ、という凶報が舞い込んだ時は村中が大騒ぎになった。ましてやそれが殺されたのであれば尚更だ。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加