疾走の鎮魂歌

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 エーリヒがどんなに殺人を否定しても状況は不利だった。犯行時間は夜中だったから不在証明(アリバイ)がないのは当然だったし、肉屋だから首を斬るほどが出来るような包丁は常に用意出来た。そしてベスターとやりあう力があったのは村の中ではエーリヒだけだった。  村人たちもエーリヒがベスターを殺したのではないと最初から知っていただろう。しかし首と胴体が離れた無惨な死体が昨日までは意気投合していた村人たちの恐怖を煽った。エーリヒを縛り首にし、家族を追い出せと騒ぎ始めた。エーリヒはザンクト・ペルテンに連れて行かれ、とうとう帰って来なかった。最後まで容疑を否定して、監獄の中で死んだと知ったのは随分後になったからだった。  残されたミハイルたちは家を追い出され、村はずれにある、伝染病の感染源になったという言い伝えのあるあばら家に閉じ込められるように引き篭もった。それでもミハイルは強かった。家族が死んだように息を潜めても父は無実だと声高く叫び、信じ続けた。他の子供たちはミハイルたちととっくに縁を切り、ルドルフも来なくなってヘルツだけがミハイルと関わった。しかしそんな息子の行動を父は許さなかった。殺人者の身内が近くに居る環境は良くないとウィーンに住む伯父にヘルツを預けてしまったのだ。ああ、本当に子供はなんと無力なんだろう! 泣いて叫んでも抵抗しても大人は小さな声に耳をすまそうとしない! ミハイルに手紙を書こうと思っても伯父の監視が厳しくて出来なかった。成長したヘルツは伯父に倣って警察官になりたいと申し出てウィーン警視庁で働き始めた。……そしたらベスター殺しの犯人をつきとめることが出来るかもしれない、と思ったからだ。そしえその甲斐はあった。現在のヘルツは。ただ後の2つを口にするのは、辛い。  ゼメリングに着いたのはもう真夜中に近かった。雨はまだ降っている。村は馬車を走らせて30分ぐらいの高所にある。ヘルツは賃金を弾ませて馬車を上らせた。やがて屋根と十字架が見える。村の中心に建てられた教会だ。日曜日になると村人たちが集まった。……アルデンホフ一家以外は。ヘルツは教会の前で降りた。ヘルツの記憶に間違いがなければ教会のすぐ裏が墓地だった筈だ。ヘルツは僧たちに一声かけようと教会のドアを叩いた。  
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