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六
駅前のプロムナードで、緑川が噴水の前のベンチに腰を下ろしていた。
近づいて行くと、ふいに上着のポケットから、なにか取り出した。
――なんだ、あれ。
サンドイッチのようだった。
――ん?
彼女はごく自然にそれを口に運んだ。
――食った~。なんだまたあいつ、こんな時間まで腹減ってんのか?
待ち合せは午前九時、普通に考えて腹の空く時間じゃない。
どれだけ食べ物に執着しているというのか。
まあ、もしかしたら食べて来なかったということもあるかもしれないが。
――なんか、このまま引き返そっかな。
本気で回れ右しようとすると、彼女はパンを少しちぎって足元に放った。
近くにいた鳩が飛んで来て、即座についばむ。
彼女はその様子を眺めながら、また自分の口に入れた。
――やっぱ、帰ろ。
背を向けようとすると、
「坂下くん!」
目が合った。
航平はしかたなく近付いて行った。
「おまえさ、今、パン食ってただろ」
「だって、急いで出て来たから食べる暇なかったんだもん。取り敢えず待ち合せ場所に着いてから、食べればいいやと思って」
「いや、遅れてもいいから、ちゃんと家で食って来いよ」
「遅れたら悪いじゃない」
「待ち合せ場所でパン食うよりマシだ」
「坂下くんって考えかたおかしい」
「は? それはおまえだろ? だいたいなんで、余裕持って来ねえんだよ」
「だって、昨日の夜眠れなかったんだもん。で、朝起きたらギリギリだったの」
「なんで寝れなかったんだ?」
「言わない」
「あ、そ」
彼女は肝心なことこそ口にしない。
「ま、いいから取り敢えずそれ、食うのか鳩にやるかどっちかにしろよ」
そう言うと彼女は、残りすべて鳩にやってしまった。
「行くぞ」
歩き出すと彼女は、
「あ、ちょっと待ってよ」
と慌てて付いて来た。
チケットを二枚購入し、ポップコーンと飲み物を買うと緑川ははしゃいで、
「なんか、デートみたいだね」
椅子に座りながら両足をばたつかせた。
「おまえ、ちょっと落ち着け」
「なんで? だって嬉しいんだもん」
「本当に?」
「うん」
どういうつもりなのか、判断に迷う。
航平が詩織と別れた後、神田が、
「おれにはさ、緑川さんの本当の笑顔は撮れない」
スマホの画面を見つめながら言った。
「え? なんで?」
「航平だってもうわかってんだろ? ほんとは」
航平はしばらく言葉を探していたが、
「ごめん」
謝ることしかできなかった。
「おまえ、好きなやついるんだろ?」
問うと、緑川は動きを止めた。
「いるよ」
「なあ、そいつって先生?」
「違う」
――体育教師じゃないのか。
「じゃ、学生?」
「っそ」
「おまえと同じクラス?」
緑川は急に黙り、
「言わない」
そっぽを向いた。
それ以上、どう訊き出そうか考えていると、
「ねえ、なんでそんなこと訊くの?」
彼女のほうから尋ねて来た。
「なんでって……」
航平は言葉に詰まった。
「その人はね、最近彼女と別れたよ。だから私、もう一度頑張ってみようと思ったんだ」
緑川はこちらの顔を覗き込んだ。
「おまえさっき、デートって言ったじゃん」
「え? ああ、うん」
「あれ、おれ否定しねえから」
「え?」
今度は彼女が言葉に詰まったようだった。
「つまりさ、そういうことだから」
「…………」
彼女は完全に黙り込んでしまった。
今の言葉で通じたのだろうかと気になる。
「ああ、じゃあ、叶わぬ恋じゃなかったんだ」
彼女はこちらが聞こえるか聞こえないかのような声で呟いた。
「え?」
「つまりさ、そういうことだから」
彼女は航平の声色を真似して笑った。
そしてまた、大口開けてポップコーンを口に放り込む。
「なあ、なんでおまえ、おれの前だとそんなに大口開けて食うの?」
この際はっきり訊いてみた。
「へ? らって(だって)、ほうへいふんの(こうへいくんの)、はほみへはへると(顔見て食べると)、なんかおいひいんらもん(なんかおいしいんだもん)」
「食いながら言うなよ」
航平は呆れながら、その感覚がやっぱり変わり者だと思った。
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