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 駅前のプロムナードで、緑川が噴水の前のベンチに腰を下ろしていた。  近づいて行くと、ふいに上着のポケットから、なにか取り出した。 ――なんだ、あれ。  サンドイッチのようだった。 ――ん?  彼女はごく自然にそれを口に運んだ。 ――食った~。なんだまたあいつ、こんな時間まで腹減ってんのか?   待ち合せは午前九時、普通に考えて腹の空く時間じゃない。  どれだけ食べ物に執着しているというのか。  まあ、もしかしたら食べて来なかったということもあるかもしれないが。 ――なんか、このまま引き返そっかな。  本気で回れ右しようとすると、彼女はパンを少しちぎって足元に放った。  近くにいた鳩が飛んで来て、即座についばむ。  彼女はその様子を眺めながら、また自分の口に入れた。 ――やっぱ、帰ろ。  背を向けようとすると、 「坂下くん!」  目が合った。  航平はしかたなく近付いて行った。 「おまえさ、今、パン食ってただろ」 「だって、急いで出て来たから食べる暇なかったんだもん。取り敢えず待ち合せ場所に着いてから、食べればいいやと思って」 「いや、遅れてもいいから、ちゃんと家で食って来いよ」 「遅れたら悪いじゃない」 「待ち合せ場所でパン食うよりマシだ」 「坂下くんって考えかたおかしい」 「は? それはおまえだろ? だいたいなんで、余裕持って来ねえんだよ」 「だって、昨日の夜眠れなかったんだもん。で、朝起きたらギリギリだったの」 「なんで寝れなかったんだ?」 「言わない」 「あ、そ」  彼女は肝心なことこそ口にしない。 「ま、いいから取り敢えずそれ、食うのか鳩にやるかどっちかにしろよ」  そう言うと彼女は、残りすべて鳩にやってしまった。 「行くぞ」  歩き出すと彼女は、 「あ、ちょっと待ってよ」  と慌てて付いて来た。  チケットを二枚購入し、ポップコーンと飲み物を買うと緑川ははしゃいで、 「なんか、デートみたいだね」  椅子に座りながら両足をばたつかせた。 「おまえ、ちょっと落ち着け」 「なんで? だって嬉しいんだもん」 「本当に?」 「うん」  どういうつもりなのか、判断に迷う。    航平が詩織と別れた後、神田が、 「おれにはさ、緑川さんの本当の笑顔は撮れない」  スマホの画面を見つめながら言った。 「え? なんで?」 「航平だってもうわかってんだろ? ほんとは」  航平はしばらく言葉を探していたが、 「ごめん」  謝ることしかできなかった。  「おまえ、好きなやついるんだろ?」  問うと、緑川は動きを止めた。 「いるよ」 「なあ、そいつって先生?」 「違う」 ――体育教師じゃないのか。 「じゃ、学生?」 「っそ」 「おまえと同じクラス?」  緑川は急に黙り、 「言わない」  そっぽを向いた。  それ以上、どう訊き出そうか考えていると、 「ねえ、なんでそんなこと訊くの?」  彼女のほうから尋ねて来た。 「なんでって……」   航平は言葉に詰まった。  「その人はね、最近彼女と別れたよ。だから私、もう一度頑張ってみようと思ったんだ」  緑川はこちらの顔を覗き込んだ。 「おまえさっき、デートって言ったじゃん」 「え? ああ、うん」 「あれ、おれ否定しねえから」 「え?」  今度は彼女が言葉に詰まったようだった。 「つまりさ、そういうことだから」 「…………」  彼女は完全に黙り込んでしまった。  今の言葉で通じたのだろうかと気になる。 「ああ、じゃあ、叶わぬ恋じゃなかったんだ」  彼女はこちらが聞こえるか聞こえないかのような声で呟いた。 「え?」 「つまりさ、そういうことだから」  彼女は航平の声色を真似して笑った。  そしてまた、大口開けてポップコーンを口に放り込む。 「なあ、なんでおまえ、おれの前だとそんなに大口開けて食うの?」  この際はっきり訊いてみた。 「へ? らって(だって)、ほうへいふんの(こうへいくんの)、はほみへはへると(顔見て食べると)、なんかおいひいんらもん(なんかおいしいんだもん)」 「食いながら言うなよ」  航平は呆れながら、その感覚がやっぱり変わり者だと思った。
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