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ばあさんの住んでいた団地からほど近い住宅街の裏通りに、コカ・コーラの真っ赤なホーロー看板が目印の駄菓子屋が存在する。
正式名称を臼田商店と言う。もっとも、この呼び名はまるで浸透しておらず、近隣の子どもたちは皆こぞってグッピーと呼んでいた。店主のヨーコおばちゃんが熱帯魚のグッピーを飼っていたことに由来しているらしいが、真相は不明である。
「ここ、懐かしいだろ」
「ああ……マジで懐かしい」
ちょっと一緒に行きたい場所がある、と聖二が宣ったのは今からほんの数十分前の出来事。喫煙所から帰還した父さんに骨壺を預けたあと、聖二の運転するミニバンに乗り、そして半ば強引に連れられた先が他でもない、ここ駄菓子屋グッピーであった。
木造二階建ての一階部分を店舗スペースとして活用した、築五十年は下らないであろう、いかにもな店構えの駄菓子屋さん。所狭しと定番商品が並ぶ狭小かつ薄暗い店内には蚊取り線香と、埃と、プラスチック容器のフタを閉め忘れたスルメの強烈な匂いが充満している。僕らの他に来客の姿はない。
思えば昔、ここには聖二と、そして彼と同じ町内に住む真帆ちゃんという女の子とよく連れ立って遊びに来ていた。
藤井真帆。尾道市は因島からの転校生で、確か僕と同い年だったはずだ。ぽっちゃり体型の食いしん坊真帆ちゃんは、いつもおっとりとした口調で、僕らトリオにおいてのいじられ役だったと記憶している。ビタミンカラーのカチューシャがいやに似合う、今で言う、ゆるキャラのような女の子だった。
彼女、元気でやっているだろうか……。
瞬く間に、言い知れぬノスタルジーが身体全体を包み込む。コンタクトレンズ越しの瞳に、幼少期の記憶が色彩豊かに蘇る。
ほどなくして店の奥ののれんがめくられたかと思うと「いらっしゃい」という張りのある声が空間にこだました。現れたのはペイズリー柄のエプロンを召した、いかにも温和な雰囲気を漂わせた女性だった。年にして六十代前半。その細い腕の中には茶トラ猫が収まっている。
彼女がヨーコおばちゃんだという事実に気づくまで、時は二秒とかからなかった。
二言三言の他愛ないやり取りのあと、壁際に設えられたテーブル筐体の丸椅子に腰を下ろす聖二が「実は小学生の頃、よくここに遊びに来てたんです」と打ち明け、
「俺、聖二っていうんですけど」
ちりめんじわに囲まれたヨーコおばちゃんの細目がカッと見開かれたのは直後のことだった。
「聖ちゃん? まさか池上さんちの、あの聖ちゃん?」
「はい」
口角を上げ、すきっ歯を輝かせる聖二。
「んまあ! 懐かしい!」
「ちなみに、こいつは俺の従弟で――」
「リョウちゃん?」
「うわ、正解」
思わず面食らう。
ヨーコおばちゃんは奇跡的にも僕らのことを覚えてくれているようだった。少々訛りのあるイントネーションで「しばらくぶりねえ」と漏らし、これでもかと顔を綻ばせていた。キューティクルの剥がれ落ちたショートヘアにはたくさんの白髪が混じり、それはいかにも年月の経過を思わせたが、時折見せるてらいのない表情はびっくりするくらい、あの頃と変わりない。
「俺たちのこと、覚えていてくれたんですね」
「忘れるわけないじゃない。二人とも、ずいぶん男前になっちゃって」
ねえ、ロドリゲス、とヨーコおばちゃんが飼い猫に同意を求める。空気を読んだロドリゲスが控え目に「ミャア」と鳴く。
今が葬儀帰りだという事情説明のあと、二転三転した話題はいつしか各々の近況報告にまでおよんでいた。
埼玉の四年制大学に通っているということ。大学の友人とバンドを組んでいるということ。今が夏休みで、実家に帰省中だということ。僕のどうでもいいような話に聖二が続く。高卒で入社したガソリンスタンドを一年半で退職し、今春から地元の美容専門学校に通っているということ。美容師を目指しているということ。将来的には自分の店を持ちたいということ――。
菩薩半跏像さながらに微笑むヨーコおばちゃんは、ただひたすら相づちに徹している。
気づけば、従兄に対し抱いていた当初の緊張も、気まずさも、今や不思議なくらいきれいさっぱり霧散し、形を失っていた。ヨーコおばちゃんしかり、聖二しかり、何も変わっちゃいない。見た目の変化こそ否めないが、各々の根底に息づく核となる部分はまったくもって昔のままだ。おそらくあのコも、真帆ちゃんもきっと、同じなのだろう。そうであってほしい。胸中で密やかに独りごちる。
不意に、軒先に吊るされた江戸風鈴が、チリンと繊細な音を奏でた。開け放ったガラス戸を通り抜け、やがて僕たちの頬を優しく撫でた生温い風は、微かに夏草の匂いがした。
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