二番目に高い本

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「うわ」  下校しようと昇降口に差し掛かった。透は思わず声をあげた。外は文字通りバケツをひっくり返したような雨が降っている。紛うことなき夕立だ。だが、透が声をあげたのは雨のせいではない。昇降口近くにある傘立ての自分の傘を見たからだ。どう見ても無残に複雑骨折している。 (マジかよ。ここまでするか?) 犯人はわかっている。同じクラスの杉田たちだ。なにが気に障ったのか知らないが、最近やたら突っかかってくる。無視し出したかと思えば、足を引っかけようとしてみたり、いきなりプロレスの技をかけようとしたり(思い切り足を踏んで逃げた)とやっている程度は低いが迷惑限りないことをちょこちょことやる。一度「いい加減にしろよ」と怒鳴ったら、「自意識過剰じゃねえの」と へらへら笑ってまるで話にならなかった。そのうち飽きるかと放っておいたらこの始末だ。だが、証拠はない。問い詰めたところでまたへらへら笑ってごまかされる。しかし、実害が出始めたとなるとこれはかなり不味い事態だ。確実にエスカレートする。次は机か教科書か。担任はどうひいき目に見てもあまりあてになりそうにない。というより担任に話していじめが解決した話など聞いたことがない。今から傘を持って担任に言うのは悪手だろう。なんにせよ、とにかく家に帰らなくては。 (どうするかな) 図書委員の仕事で遅くなった。同級生たちはもう大半帰っただろう。めんどくさがって置き傘を家に持って帰ったままにしていたのが今更ながら悔やまれる。こんな傘でもないよりマシだろうと力任せに傘を開いた。 「あ、こんにちは」 ほぼ同時に声をかけられた。無理に開いたせいで布が盛大に破け、骨がぶらぶらしている。その骨と布の間から声の主が見えた。図書委員の後輩の野崎蓮水である。蓮水は余程驚いたのか目を真ん丸にしていた。 「よかったら入りませんか。お嬢さん」 気まずさのあまりくだらない冗談を飛ばすと蓮水は目をぱちぱちさせて言った。 「それ多分、私のセリフですよね。お嬢さん以外」 結局、透は蓮水の傘に入れてもらうことになった。駅まででいいと言ったが、「同じ駅ですよね」と蓮水の家まで行くことになった。そこで傘を貸すと言う。 「コンビニで買うし」 「高いですよ」 「じゃ百均」 「遠いです。私そこまで行くの嫌です」 とあっさり丸め込まれてしまったと言うわけだ。傘は一応持って帰ることにした。駅までの道のりを二人は無言で通した。蓮水は元々無口なほうだったし、透も何か話す気分ではなかった。手にした傘が今更ながら透の心を重くしている。 「コーヒー、好きですか」 電車に乗ると蓮水はぽつりと言った。 「え? ああ、うん」 正直、好きでも嫌いでもないがとっさにうなずいていた。 「なんで?」 「よかったらコーヒー飲んでいきませんか」 「どっか寄るってこと?」 「私の家、古書店と喫茶店なんです」 「へえ。おしゃれだな」 「さあ、どうでしょう」 蓮水は小首を傾げた。 「よく言えばアンティーク調レトロですね」 「アンティーク」 「悪く言えばぼろですね」 「はっきり言いすぎだろ」 「私が言ったんじゃありません。地元の同級生です」 「ひどくね?」 「でもまあ、事実です。傾がりそうな古書店に申し訳程度の喫茶スペース」 蓮水は微笑んだ。透に笑ったと言うより実家の古書店に笑いかけたように見えた。 「でも美味しいですよ。コーヒー。いかがですか」 電車が止まる。降りる駅だ。 「それ、宣伝? 招待?」 「どっちもです」 夕立の中、ふたりは駅を降りた。道中、やはりふたりは無言だった。透はほんの少し傘のことを忘れられた自分に安堵していた。 「ただいま」 「こんにちは」  野崎古書店は確かに年季の入った店構えだった。だが、店は狭く、本は多いものの、掃除は行き届いていてぼろという印象は薄い。隣にある小さな喫茶スペースも小ぎれいだ。 「あらいらっしゃい」 出てきたのは妙にあか抜けた感じの老婦人だった。 「おばあちゃん。先輩の玉宮さん」 「こんにちは。まあ、ボーイ」 「フレンドじゃないわ。先輩」 慣れているのか素早く先回りする。 「玉宮です。こんにちは」 「こんにちは。野崎蓮子です」 「先輩、傘借りに来たの。ビニール傘、ある?」 「あるよ。好きなだけ借りておいで」 「ひとつでいいです」 「野崎さん。どうぞ」 蓮子さんと話している間に、蓮水はテーブルに水を置いていたらしい。手招きされた。 「ああ、うん」 席に座るとメニューを渡された。焼き菓子かナッツ以外は飲み物ばかりだ。思ったより安い。 「よくわかんねえからブレンド」 「アイスですか?」 「うん。野崎は」 「私もそうします。おばあちゃん。アイスコーヒーふたつ」 「ハイハイ」 蓮子さんは伝票をかいた。 「先、お金渡しとく」 蓮水は千円札を蓮子さんに渡した。透は慌てて財布を出したが、蓮水にやんわり止められた。 「今、ふたり分払いました」 「いや、でも」 「今度なんか奢ってください」 「わかった。絶対な」 「はい」 「つか、お前の分もお前が払うの?」 「こういうところはしっかりしないとね」 蓮子さんはすましていった。アイスコーヒーは美味しかった。嫌な苦みもなくすっきり飲めた。飲んでいる間、ふたりは無言だった。蓮子さんは古書店の店番をしている。 「ご馳走様」 「夕立、止みましたね」 「あ」 「今の内に帰った方が」 「でも、野崎のコーヒーまだ残ってんじゃん」 「いいですよ。後でゆっくり飲みますから。傘、持って行きます?」 「いや、いいわ。大丈夫」 透は立ち上がった。 「お節介言いますね」 蓮水も立ち上がりながら言った。 「傘のこと、ご両親に言った方がいいと思います」 「……」 「誰かにやられたんですよね。じゃなきゃあんな壊れかたしません」 「……何を言うんだよ。いじめられてますって?」 「傘壊れたって。学校帰りに見たらこうなってたってそう言えばいいんですよ。事実ですから」 「……」 「多分、ご両親は動くでしょう」 「……」 「言いたくないですか。わかります。でも、そうだな」 蓮水は古書のコーナーへ歩き出した。透も続く。 「もし、私の言うとおりにして失敗したら、この中で一番高い本を差し上げます。だか」 「蓮水。一番高い本は十万するよ」 店番をしている蓮子さんが割り込む。蓮水は顔色も変えずにむせかえった。 「あの、二番目でもいいですか」 透は笑った。こんなに大声で笑ったのは久しぶりだった。 「帰るの?」 蓮子さんが言う。 「はい。コーヒー美味しかったです。また来ていいですか」 「いつでもおいで」 蓮子さんは手を振りながら言った。 「学校ある時間でもない時間でもいつでも。あたしはいつでもここにいるからね」 「おばあちゃん、サボり勧めないで」 「サボって飲む珈琲はおいしいんだよ」 蓮子さんはにっこり笑った。透もつられて笑った。  外に出ると透は歩き出した。もし、対応を誤れば学校は地獄と化すかもしれない。蓮水の言うように事実だけを伝えて後は親や先生に任せるとして、杉田たちにとやかく言われたらどう言おうか。 (いや) 透は首を振った。いいじゃないか。対応を誤ったって。失敗したら野崎古書店の二番目に高い本をもらって美味しいコーヒーを昼間から飲みに行けばいい。だってサボって飲む珈琲が美味しいなら、今日飲んだよりもっと美味しいはずだ。透は立ち止ると深呼吸して走り出した。また夕立に出くわしたらたまらない。
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