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幼い頃の記憶は、大人になるにしたがって薄れ、その殆どは思い出すことさえなくなる。僕も例外ではない。だけど、僕の中には一際色づき、年を経るごとにその輝きを増している記憶が、幾らかある。
全て、『アオイ』に関する記憶だ。
アオイとは、僕の幼い頃の友達だ。町住まいだからか僕より小さく、肌も白く、だけど性格はとっても明るく、笑顔がキラキラと眩しい、まるで太陽みたいな子だった。
田舎の山住まいだった僕がアオイに会えるのは、月に一度、山をおりて父に連れられ町に買い出しに行く時だけだった。一度、父とはぐれ涙ぐんでいた僕を助けてくれたのがアオイだった。それからは町に幾度にアオイと過ごすのが楽しみになった。
アオイは人気者で、一緒に町を歩くとたくさんの人に声を掛けられていた。だけど、僕といる時は僕のことだけを見てくれた。それが、たまらなく嬉しくて、むず痒い気さえしていた。
『アオの父様と母様はお城に勤めているんだ。』
老若男女問わずたくさんの知り合いや友達がいる様子だったけど、アオイの父母には会ったことがなかった。気になった僕は尋ねてみた。そして、胸を張ったアオイが口にしたのが先程の台詞だった。
『父様はお城を守っていて、母様はメイドとして働いている。三ヶ月に一度ほどしか帰っては来られない。だからその間、家のことは全てアオがしている。』
アオイはそう言って太陽のような笑顔で誇らしそうに笑った。その笑顔は確かに眩しくて、僕はいつも通りに胸のあたりが落ち着かなくなった。だけど、その太陽に、少しだけ靄がかかっているような気がして、胸が少しずきんと痛んだような気がした。
『さみしくないの?』
尋ねたのは、純粋な疑問だった。
僕の家には母さんはいない。父さんと二人暮らしで、父さんは仕事で連れていけない時以外はできるだけ僕といるようにしてくれている。町に買い出しに行く時だって、僕を連れていたぐらいだ。とはいえ、アオイと出会ってからは、僕に友達ができたことを喜んでくれて、買い出しの間はアオイと二人で過ごせるようにしてくれている。山には同じ年頃の子供は一人もいなかった。
アオイは、僕の瞳をじっと見つめてきた。その瞳はいつも通りに綺麗だったけど、その奥に、少しだけ暗い靄が蠢いているような気もした。
アオイはニッと、弾けるように笑った。いつも通りの、太陽のような笑顔だった。
『まぁ、少しはさびしい。だけど、アオのことを気にしてくれる人はたくさんいるから。さびしい、なんて思ったら、申し訳ない。』
アオイの言うことは、その通りだった。
アオイにはたくさんの知り合いや友達がいた。僕は、その中の単なる一人に過ぎない。
そう思うと、胸がギュッと、握り締められるような気がして、なんとなく息が苦しくなった。
『アオは、大きくなったらお城で働くんだ。父様や母様みたいに。』
いつの間にか僕ではなく、沈みかけの夕陽を眺めていたアオイが、ぽつりとそう言った。その顔はいつもの笑顔とは少し違って、だけど、やっぱり眩しかった。
『アオイ』
『おーい、迎えにきたぞ。』
僕は、何か言わないとと思い、口を開きかけた。だけど、それは叶わなかった。買い出しを終えた父さんが、僕を迎えに来たからだ。
『じゃあね。』
僕にそう言い、父さんに頭を下げると、アオイはさっさと行ってしまった。
いつものことだった。父さんが来るとアオイはすぐにいなくなってしまう。タイミングが悪いな、なんて僕は心の中で少しいじけてみる。
だけど、父さんに何か言ったりはしない。やっぱり僕は父さんが大好きで、差し出された大きな手を握ると、どうしようもなく安心してしまうからだ。この日もそうで、僕は大人しく父さんの手を握りながら、またアオイに会えるのを楽しみにするだけだった。
だけど。
次に町に行った時、アオイの家はもぬけの殻だった。近所の人に尋ねてみると、アオイは城に入ったと、誇らしそうな、だけど寂しそうな様子で言われた。
『寂しいけど、これでアオちゃんは、両親とずっと一緒にいられるから』
そう言われてしまうと、ぐぅの音も出ない。だけど、僕の心は喪失感で溢れかえってしまった。
それから今まで、僕は一度もアオイに会えていない。だけど、アオイを忘れたことはなかった。それは成人を迎え、仕事を探す頃になっても変わらなかった。
山で父さんの仕事を継ぐことも、もちろん考えはした。だけど、僕が成人を迎えるほんの少し前に亡くなった父さんは『好きなことをやれ』と言ってくれた。山の仕事をしているのはもう父さんだけで、他の人達は皆亡くなったか、山をおりてしまっていた。山で一人生きるのは辛い。
僕は、アオイに会いたかった。
だから、城に勤めることに決めたのだ。そこに入ればきっと、アオイに会えると、信じて。
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