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「...ベニ、様。」
不意に、声が聞こえた。初めて聞くけど、どこか懐かしいような気がする、心地好い声だった。
目を向けると、そこにはアオイがいた。僕がよく知っているアオイより随分と大きくなっていた。だけど、ちゃんと僕がよく知るアオイの面影があって、やっぱり僕より小さくて、肌も白かった。
ただ、アオイは太陽のように笑ってはいなかった。その顔は白いというよりは青白くて、今にも倒れてしまいそうな程だった。
いくら自分に酷いことをしていた人間でも、その死にショックを受けることができる。アオイはやっぱり、どこまでも優しい。
「アオイ、やったよ。アオイを傷付ける奴は、僕とハネズが」
王子の亡骸は放り出し、僕はアオイに近付く。やっと会えた。ずっとずっと会いたかった。
僕との再会は、ショックを受けているアオイの繊細な心を、優しく慰めてくれるはずだ。
「近付くな。」
なのに、アオイは僕に剣を向けてきた。呟くようなアオイの声は弱々しくて、今にも掠れてしまいそうだった。アオイは腰からさっと剣を抜き、僕の顔に剣先を突き付けてくる。僕を見る目は、親の仇を見るように鋭かった。
「貴様達が、ベニ様を手に掛けたのは明らか。許さない。この場で私が処刑する。」
「アオイ、なんで。僕は」
「まぁ落ち着いてください。騒ぎにするのは、お互いによくないですよ。こうなった責任は、アオイ様にもあるのですから。それがわかっているから、城の者を呼ばないのでしょう?」
いつものように口元に笑みを浮かべながら言うハネズの言葉に、アオイは、そっとため息を吐いた。剣先は僕の顔を離れ、ハネズの方に向けられた。
「貴様の言う通りだ。ここは、秘密の部屋だからな。誰にも見つけられないと、たかをくくっていた。...ずっと側についていれば、こんなことには」
その言葉は最後には涙声になった。それは、責任を追及されることを恐れているというより、本当に『ベニ』とかいう王子の死を悲しんでいるように見えて、僕は少し混乱していた。アイツは、アオイに酷いことをしていたはずなのに。
「次期王が亡くなった、なんて迂闊に公にはできませんもんね。ただでさえ、前王が亡くなって皆傷心しているのに。王妃もとっくに亡くなっていますし。」
「...どの口が」
「だから、取引しましょう。」
ハネズがアオイに一歩近付いた。彼はいつもと同じように、口元に柔和な笑みを浮かべていた。アオイは鋭い瞳で、彼をひと睨みした。
「取引?」
「はい。俺が王子に成り代わります。できるでしょ?王子の姿は今、アオイ様しか知らないのだから。アオイ様が俺を次期王として扱えば、周りはどうとでもできる。」
「馬鹿なことをっ。何故、ベニ様を殺めた男を」
「国を混乱させるのは、アオイ様の本意じゃないでしょ。亡くなった王子だって、きっとそうですよ。」
「そんなことっ」
アオイの瞳は、揺るがなかった。ハネズのことを見る瞳には、憎き仇に向ける憎悪しか映っていない。
ハネズは僕と同じで、アオイの救世主のはずなのに。
「じゃあ、俺じゃなくて、この男だったらどうですか?なんか、幼い頃のトモダチ、何でしょ?」
ハネズはやっぱり口元に笑みを浮かべながらそう話す。瞳にも何だか愉快そうな色が見えた。
アオイが、久しぶりに僕を見た。
胸がトクンと高鳴った。さっきは一瞬だったから、気付かなかったのだろう。だけど、僕とアオイの間には、確かな絆がある。僕なら、きっと
「こんな奴は知らない。」
冷たい声だった。信じられなかったけど、確かにアオイの声で、そう聞こえた。目の前が、真っ暗になった。
アオイは、僕を覚えていない。
「王子を手に掛ける不届き者なんて知らない。...ベニ様は、本当に素晴らしい御方なのに...」
そう口にする声は、完全に震えていた。アオイの手から剣が滑り落ちる。そのままアオイは膝から崩れ落ち、両手で顔を覆って泣き出してしまう。
僕を覚えていないアオイが、他の人のことを思って泣いている。
「ごめんなさい、ベニ様。アオが側を離れたから、こんなことに。」
アオイが泣いている。『ベニ』とかいう王子が死んだことを、悲しんで泣いている。
僕のことは覚えていないのに。
「アオはベニ様の『友達』として城に来ることになった。ベニ様はシャイで、ご両親以外にはお顔さえ見せたがらなかったけど、アオとは仲良くなってくれた。ベニ様がずっと一緒だったから、アオの父様と母様が亡くなってからも寂しくなかった。アオはベニ様に感謝してる。...だから、ずっと側にいればよかった。」
アオイは声をあげて泣き出した。
幼い頃の友達の僕のことは忘れて、『ベニ』とかいう奴のことを思って泣いている。
コイツのことは、『友達』って、言ってる。
「交渉は、決裂、かな。」
ハネズがいつものように口元だけで笑いながらそう言った。そのまま、『ベニ様』とうわ言のように呟くアオイのすぐ側まで近付く。そして、アオイが落とした剣を拾い上げ、無防備なその背を、簡単にひと刺しした。
僕はその様子を、ただ見ていた。
「...怒らねぇの。大事な『アオイ』を刺したのに。」
「アオイは僕を覚えてなかった。」
「そうだな。お前はずっと思ってたのに。薄情だよな。」
ハネズはそう、いつも通りのペラペラの笑顔で言った。そして、アオイの背に刺さった剣を引き抜こうと、前屈みになる。そのまま、何かをぶつぶつと呟き出す。
「...これで俺が王様だ。愛人の子だからって、蔑ろにしやがって。追い出される時、母さんが盗んできたマスターキーが役に」
「許さない。」
だけど、僕にはどうでもいいことだ。
僕は素早くハネズに近付く。そして、その首を締め上げる。目を見開いたハネズが、驚いたような顔で僕を見上げる。小柄な彼は、大柄で力の強い僕に抵抗できない。声さえ出せない。
「アオイを傷付けるものは、僕が許さない。」
アオイは、身近な人の死を目の前にして、少し混乱していただけだ。
きっと、次は僕にあのキラキラした笑顔を、ちゃんと向けてくれるはずだ。
だから、アオイが目覚める前に、アオイを傷付けるものは、全部片付けておかないと。
腕の中のものは、あっという間に動かなくなった。
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