脱輪事故

1/1

1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
アイツ、今何してるんだろう? 仕事でクタクタになりながらも、発車しかける終電に乗り込んだ俺は、安堵感からかそんなことを思い浮かべていた。 小学校の頃の記憶がフラッシュバック、地元の情景が頭に投影される。木造の民家が所狭しと軒を連ね、空を見上げれば下町名物のおばけ煙突が見えた。夕方になると家々からまな板で何かを切るトントンと言う音が聞こえて、セピア色の懐かしい匂いがした。 当時の俺は貧乏だった、まぁ、今が金持ちかと言えば違うが、家に風呂はなく銭湯に通っていたし、狭い四畳半くらいに家族全員で雑魚寝してたし、勿論、サンタなど来なかった。家訓は「食べ物は腐りかけが一番うまい」だった。 でも、俺は幸せだった。親父も母親も優しく、貧しかったが、その分ちょっとした甘味も、映画とかの娯楽も至上の幸福のように感じられた。 それに、アイツもいた。親友の〇〇も。 〇〇は俺より貧乏だった。会うたびに同じ服ばかり着ていたし、少し力を入れれば骨が折れてしまいそうなほど痩せていた。 どうやら、〇〇の家庭状況はあまり芳しくなく、身体に痣を作って登校してきた時もあったし、授業参観では〇〇の親だけ来ないこともザラだった。 でも、俺は〇〇が好きだった。〇〇は活発だったし、勇気もあった。〇〇は俺の知らないことを沢山知っていた。 食べられる雑草に詳しく、一緒に雑草狩りに行ったり、ザリガニとかの捕まえ方も熟知していて、用水路でザリガニ取りに励んで、一週間あまりドブのにおいが取れなかったことを覚えている。 とにかく、〇〇と俺は気のおけない仲であり、アイツと遊ぶのはものすごく楽しかった。特に、駄菓子屋で盗みをしたことは、昨日のことのように思い出せる。 貧乏の俺たちはいつも腹を空かしていて、ある日、〇〇は駄菓子屋でお菓子を盗む作戦を立てた、作戦と言ってもおばあさんが目を離した隙に、手早くポケットにお菓子を詰めると言うあまりに杜撰なものだった。 俺は盗みはいけないことだと知っていたが、でも、少しやってみたい気持ちになったんだ。それに、お菓子も食べたかった。 お菓子を物色するふりをして、おばあさんが目を離すのを伺う、妙に体が浮き足立って、嫌な汗が頬を伝う。心臓がバクバク言っている。 その時、おばあさんが店の奥からおじいさんに呼ばれ、消えた。俺たちは顔を見合わせ、今だ! と頷き、堰を切ったようにお菓子をポケットに突っ込み始めた。心臓が口から出てしまいそうなほど、鼓動が強くなる。 「あんた達、何やってんだー!」いきなり、怒号が聞こえ、俺は一瞬硬直した。〇〇を見ると走り出していたので、俺も〇〇に続き走った。無我夢中で走り、雑木林の影に隠れ込んだ。 おばあさんはまいたようで、俺たちは安心して笑い合った。その時、食べた駄菓子の味は格別だった。 そのあと、俺たちはこっぴどく叱られた。まず、親に怒られ、そのあと、親と一緒に駄菓子屋に返金しに行き、おばあさんに怒られた。親は〇〇と関わるのはやめろ、と言ったが俺は反発した。 きっと、親は〇〇が虐待されているのを知っていて、世間体を気にして俺と〇〇の仲を切り裂こうとしたのだろう。親は好きだが、親のその発言だけは容認できなかった。 そして、俺たちは小学校を卒業して、中学校へとあがった。 中学は、周辺の小学校から生徒が集められ、クラス数も増えた。すると、その中には厄介な人間もいるわけで、ソイツらは〇〇をいじめるようになった。 上履きを隠したり、机に悪口を書いたり、クラスの女子の前で〇〇を貧乏だと罵ったり、〇〇が入るトイレの個室に水をぶち込んだり、最終的には暴力まで振るうようになった。 俺はそんな状況を見て見ぬ振りしていた。いじめられるのが怖かったんだ。だから、見て見ぬ振りをした。 ある日、俺はいじめっ子の一人に脅されて、〇〇の教科書を盗んでこいと命令された。俺は断れなかった。いじめっ子に調子を合わせて、それに従った。 教科書を盗むのは容易だった、〇〇は俺を信用していたので、簡単に盗めた。駄菓子屋での一件が脳裏を掠める。しかし、あの時感じた楽しいスリルはなく、胸の中は罪悪感でいっぱいだった。嫌な汗が頬を伝う。 俺は盗んだ教科書をいじめっ子に渡した、と、そこに〇〇が現れた。〇〇は教科書が自分のものだと気がつき、返してくれと懇願するが、いじめっ子は教科書を弄び、挙句には、取り出したライターで燃やしてしまった。 いじめっ子は腹を抱えて大笑いする。俺も笑った。〇〇は泣いていた。 その日の放課後。〇〇が俺の家にやってきた。俺は〇〇に殴られても、絶交されても仕方ないと思った。土下座でもなんでもして赦しを乞おうと思った。 しかし、〇〇は怒らず、泣きもせず、いつもと同じ調子で告げた。引っ越すことになったと。 俺は呆気に取られた、〇〇は引っ越す理由、確か親の仕事がどうとか、簡潔に述べ、最後に俺にお守りを渡した。 これは俺の形見だ、これを持ってればお前は俺のことは忘れない、大事にしてくれ、〇〇はそう言って、なんの屈託もない笑顔で笑ってみせた。 俺は涙を抑えきれなかった。ワンワン泣いた、あんなに酷いことをしたのに、お守りをくれるだなんて、俺は〇〇にすがり、何度も何度も謝った。多分顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていただろう。 〇〇は、俺たちは親友だから許すと、これまた神か仏のような笑顔でそう言ってくれた。〇〇はいい奴だ。俺の自慢の最高の親友だ。 それから、〇〇には会っていない。 〇〇が引っ越してから、いじめの標的が俺へと変わった。俺は〇〇の次に貧乏だから仕方ない、その後、中三で父親は交通事故で死んでしまった。母親は女で一つで俺を高校に通わせ、俺はなんとか就職できたが、その会社がとんだブラック企業だった。母親も生活の疲れからか、一昨年からボケ始めて、今はヘルパーさんを雇っている。そのおかげで、俺の家計は火の車だ。 働いても、働いても、生活は一向に良くならない。 でも、俺はアイツに貰ったお守りを見るたびに、頑張らないといけないな。って思うんだ。 俺はカバンからあの時もらった、ボロボロのお守りを取り出す。このお守りを見ると、アイツのことを思い出す、アイツはどんなに辛い時も明るく頑張っていた、そのことを思い出すと、俺も頑張らなくっちゃと、元気が湧いてくる。 俺は自然と笑顔になった。 突然、携帯が鳴った。終電で車内に俺しかいなかったので、電話に出た。相手は中学の時の同級生だった。 曰く、〇〇の訃報だった。風の噂でアイツが死んだことを知ったらしく、仲良くしていた俺に教えてくれたのだった。 電話を切り、俺は悲しくなった。目頭が熱くなる。 そして、思い切って、お守りの中を見てみることにした。中には、古ぼけた紙が一枚、小さく折り畳まれて入っていた。 開くと、俺は絶句した。 そこには血文字で、 「オマエガ羨マシイ、オマエハ裏ギッタ、オマエ不幸ニナッタホウガイイ」 そう書いてあったのだ。 背筋に悪寒が走る。 最後に、怨念のこもったような赤い字で、 「オレガ死ンダトキ、オマエモツレテク」 と記されていた。 その時、一人しかいない車内に気配を感じた。嫌な汗が頬を伝う。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加