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こんなよい月を一人で見て寝る(尾崎放哉)
こんなよい月を一人で見て寝る(尾崎放哉)
ぽかっと、人を食ったような丸い月が浮かんでいる。
男は窓辺に腰かけて、しばしその月に見惚れた。
今のこの追い詰められた状況とは、かなりかけ離れた、とんでもなく平和な風景だ。
だが、
「ねぇちょっと、聞いてるの?」
電話から響いてくるのは、彼女のキンキン声。
「あ、ああ、すまない。聞いてるよ」
現実に引き戻されて、男はおどおどと答える。
「ちゃんと聞いてるさ」
彼女は呆れたと、
「ねぇ、これであなたが無断で外泊するのは何度目かしら。あたしはイヤだって何度も言ってるのに。あなたの脳みそには記憶力って文字がないのかしらねぇ」
「だから、さっきから謝っているじゃないか」
責める彼女を、男はなんとか宥めようとする。
「……勘弁してくれよ、仕事なんだから」
「しごと、シゴト、仕事って」
だが彼女の声はますますヒートアップした。
「毎回そうおっしゃいますけどね。本当に仕事かどうか怪しいものだわ」
「嘘なんかついてないよ」
「それが信じられないって言うの。だいたいあなたは、昔っから嘘つきだったじゃない」
「昔って、いつの話だよ」
とんだ濡れ衣だと、男は言い返す。
すると彼女は、
「あら、しらばっくれるおつもり? 駄菓子屋からかすめ取ったチューチューアイスをいつも美味しそうに食べてたのは誰? ポチを泡を吹くまで怒らせてたのは? でも、いっつもあたしのせいにしてくれたわよね」
勝ち誇ったように鼻の穴を膨らませている彼女の顔が、目に浮かぶようだ。
「それ、本当にいつの話だよ」
男はうんざりして、額に手を当てた。
彼女は、まっこと都合のいい時に、スルリと記憶の底から昔話を引っ張り出してくる。
今のだって、男がすっかり忘れさっていた、子ども時代の話だ。
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