5844人が本棚に入れています
本棚に追加
耳と目を疑った。吐息に温度を感じない。その奥の瞳は、生命力が欠けたビー玉のようでもあった。
「……さむ、い」
夜風から身を守ってくれていたものがなくなったのだから、当然だ。音も立てずに撫でる夜風は、冷たく身体に染み渡る。アキはあれを最後に、この場を離れて行った。かたや私はまだ一人、非常扉の向こう側にいる。
中途半端に乱れている浴衣を、たどたどしい手つきで直す。そうしているうちにも、ショーツを濡らす蜜は溢れ続けているし、目からは勝手に雫が落ちる。
「……なんも、解決してないよアキ……っ」
怖かった。初めて見た、あそこまで冷めきった顔は。怒ってるなんてものじゃなかったんだ。その原因はなに?
私がイケナイ関係にグズッたから?
男の人に隙がありすぎるから?
呆気ないくらいアキに感じちゃったから? 愛想尽かされたってこと?
……解らないけど。乱暴にした挙句に大した会話もなく突き放され、身も心も凍りついてしまった。
「あ……みゆ。大丈夫だった? 麻生さんに何もされてない?」
そんな、からっぽの心に次に吹いた風はあたたかく、そして柔らかなものだった。
館内へと戻り、とぼとぼと廊下を歩いていると、ある時、肩に手を置かれた。探しに来てくれたであろう、奈緒のぬくもりだ。
「うん、間一髪で沢田くんが助けてくれて、なんとか」
「え? 沢田? 主任じゃなくて?」
なんとか普通を装った。けれど「主任」の単語を耳にした途端、足の力が抜けてヘタッと床に座り込んでしまう。
私を置いて消えたくらいだ、もうアキの優しさに触れられることは無いのかもしれない。そしてそれはいずれ私ではない他の誰かのものになる。
後で苦しい思いをするならと、アキの手を取ることを躊躇ったのは私なのに、それなのに私は、未練がましく唇を噛んで、声を上げて泣いた。
最初のコメントを投稿しよう!