夕立と黒い傘

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「仕方ないだろ。仕事の都合なんだから」 「そうね。いろいろ考えたけど、仕方ないわね」  買い物帰りの車の中で、正樹と恵子はため息をついていた。  正樹の単身赴任が決まったのだ。  期間は一年、小学生になったばかりの美夏とまだ幼い颯太を育てることは恵子にとっては不安でもあった。 「まぁ、今はテレビ電話もできるし、子どもたちもさみしくないだろう?」 「そうね、まぁ、一年間。しっかりお給料も出るみたいだから、がんばってね」 「なんだよそれ」 「冗談よ。体調管理だけは気を付けてね」  不安なのは恵子だけではない。いつも朝起こしてくれて、弁当を作ってくれて、身の回りのことを完璧にこなす恵子には、感謝しても、しきれない。  なんだか恥ずかしくていつも口にはしないが、こんな時こそ言葉にしようと決めていた。 「なぁ、恵子」 「ん? なぁに?」 「あのな、いつも照れくさくて言えないけれど、その……いつも……って、はぁ!?」  ババババババッと、車に水が降り注ぐ。  嵐のように、洗車機のように、とめどなく車を濡らし続ける。 「おい、なんだこれ?」 「あの子たちったら!」  水は、駐車が終わっても降り続いている。  雨に濡れたフロントガラスの向こう側、颯太が雨合羽を着て、緊張した面持ちで歩いてくる。 「お、おい、なんか持ってるぞ!」  颯太はドアをコンコンとノックをすると、降りてきた正樹に傘を渡し、そそくさと走り去っていく。  降り注ぐ水は止まらない。  次は慌てて助手席から降りてきた恵子を、狙ったように水が降り注ぐ。  「ちょっと、やめなさい! 美夏、いるんでしょう?」  ずぶ濡れの恵子に、慌てて正樹が駆け寄ると、急いで黒い傘を広げた。  相合傘の中の二人は、時が止まったように固まった。  しばらくすると、どちらともなく笑い出し、幸せそうな顔で黒い傘の内側を見上げた。  傘に、美夏のいびつな字で、言葉が書いてある。 『けいこへ、いつもありがとう。まさきより』 「なにこれ」  正樹は照れくさそうに言った。 「あぁ……さっき言いかけた言葉だよ」  草陰から美夏が見る母親の顔は、いつも以上に穏やかで、少しだけ恥ずかしそうにも見えた。  美夏にとって、見るのは二回目の、母親の表情だった。   〈おわり〉
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