わたしの背後に

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夕立が降ると、毎回決まって中二のお盆の記憶が蘇る。 お盆の時期には、田舎のおばあちゃんの家に行くのが通例だった。わたしは毎年、それが楽しみでならなかった。 なんたって、自然と触れ合えるのだから。わたしは自然が好きだ。樹木の雄大さ、野鳥や虫の精巧さ、土や川の匂い、それらを愛してやまなかったのだが、あいにく、わたしは都心に住んでいた。 都心で、自然を満喫するのは難しかった。公園に行っても、木々に囲まれた神社に行っても、空を見上げれば電線や高層ビルが否が応でも目に入ってしまう。都会の喧騒が聞こえてしまう。 わたしは自然だけに囲まれていたい。そんなわたしにとって、田舎はパラダイスだった。 その日も、おばあちゃんの家で朝ご飯を食べて、直ぐに山に向かった。外は夏らしく熱気に満ちていたが、山の中は涼しかった。 沢山の木による緑の屋根、そこからの木漏れ日、蝉達の合唱、その合間から聞こえる野鳥の鳴き声、土や岩に群生する苔の匂い、湿っぽい地面を歩く感触、それらをこの身一身で満喫しながら、山を散策する。 心が弾む、自然に囲まれると健やかな気持ちになれた。都会で起こった嫌なことを全て忘れられる。欲望や嫉妬などの雑念は消え失せて、全てが調和され順調に進んでいるように感じられた。 しばらく歩くと、山の中腹の広場に出る。そこだけは木々が生えずに、一面芝生が広がっている。 わたしはその芝生に寝転び、目を閉じた。夏で暑いはずなのに、暑さは感じられない。心頭滅却すれば火もまた涼し、と言うがよもや、本当だったとは……そんなことを考え、わたしは芝生に身を委ねた。 しばらくして、お腹が空いたので、おばあちゃんが持たせてくれたおにぎりを食べた。このおにぎりがまた格別に美味しかった。 自然に囲まれて食べるご飯は、わたしの中では特別で、普段、感じたことのない、生きた心地と言うものを感じられる。 わたしはその、生きた心地に胸を躍らせた。お腹が膨れると、必然的に眠たくなり、わたしは芝生に横になり、うつらうつら、最後には寝てしまった。 ポツン、冷たい何かが鼻に当たる。 ザァー、夕立だ。わたしは起きた。空はさっきまで晴天だったのに、今や曇天。雨が降っている。 傘を持ってきてないわたしは家に帰ることにした。山の道は雨でぬかるんでおり、非常に滑りやすい、わたしは服を汚さないようにゆっくりと山を降りていく。しかし、その間にも夕立は雨足を強める。 どこかで、雨宿りできる場所はないかしらん。わたしは辺りを見渡した。すると、都合の良いことに、ポツンと山小屋が建っているのが見えた。 わたしはそこで雨が過ぎ去るのを待つことにした。 山小屋は丸太で作られていて、倉庫のようだった。今も使われているのか整備はされており、古ぼけていたが小綺麗だった。多分、猟師が休憩するための小屋なのだろう、でも、こんなところに、こんなものあったかな? なんども、この山に来ているが初めて見る。 中には、木製の机と椅子が置いてあった。とりあえず、椅子に腰をかけ、わたしは窓の外を眺めて、雨を止むのを待つことにした。 「君も雨宿り?」 突然、聞こえた声にわたしは口から心臓が飛び出るかと思った。振り向くと、そこにはわたしと同じくらいの青年がいた。 彼は眉目秀麗なイケメンであった。白いワイシャツに白いパンツをはいていて、髪はサラサラのストレートで綺麗に切り揃えられている。目は吸い込まれてしまいそうなほど大きく、鼻筋が通っている。 時計がない世界で生きてるかのような、そんな不思議な雰囲気を放つ青年だった。 わたしは戸惑いながらも、なんとか頷き返した。すると、彼は「フフ」と笑った。わたしはドキッとした。笑顔の彼はなんとも魅惑的で、多分わたしは一目惚れしたのだと思う。初恋だ。 それから、青年はわたしにいくつか質問した。どこから来たの? とか、なんで森にいるの? とか、そんな感じ、その時のわたしは夢見心地だったから気が付かなかったけど、家に帰ってから、ちゃんと受け答えできていたか? 変なことを言っていないか? ものすごく不安になった。 それで、彼はいくつかの質問をし終えると、「もうすぐ、雨が止むから行くね」と。未だ降り続ける夕立の中へ消えて行った。 それから、程なくして夕立は止んだ。わたしはなんで雨が止むのが分かったのかな? と疑問に思ったがそんなことは些事であった。その時のわたしは彼と出会えたことを、神様に感謝した。 次の日も山を満喫した。そしてまた夕立が降った。下山中、またあの山小屋を見つけた。わたしは、また彼に会えるかも、会いたいと一縷の希望を胸に山小屋に入った。すると、 「やぁ、また会ったね」 彼がいた。わたしは運命を感じた。 彼はまた、わたしと他愛無い話をした。わたしは彼のことを知りたいと思い、いろいろ訊いてみた。どこに住んでるの? なんで山にいるの? 名前は何? 何歳? と。 しかし、彼は「フフ」と笑って質問に答えなかった。わたしは何か事情があるんだなと察して、嫌われたく無い一心で彼に質問するのをやめた。 彼はわたしとの話を切り上げ「雨がもうすぐ止むから、行くね」と小屋を後にしようとする。わたしは最後にひとつだけ質問した「また、会える?」 彼は「フフ」と笑って、「夕立が降る時、僕はここでいつも雨宿りしてるから」そう言って、雨の中に消えて行った。程なくして、雨は止んだ。 それから、わたしは夕立の日が待ち遠しくなった。夕立が降らないとお天道様を睨んだ。夕立が長く降ると、お天道様に感謝をした。 遅く帰る日も多くなった。そんなわたしを心配したのか、母親はわたしにあの山で起こった凄惨な殺人事件の話をしてくれた。 曰く、あの森では青年が殺され、夕立が降る頃に埋められたらしい。田舎の村、犯人はすぐに捕まったが、死体は未だ見つかっていないとのこと。 だから、あの山は危険だから遅くまでいるな。そう言われた。おばあちゃんもわたしのことを心配してくれて、お守りをいつもわたしが持ってく水筒に結んでくれた。 その時、ぼんやりと思った。もしかしたら、彼はその殺された青年で、幽霊なのかもと。 次の日、夕立が降った。いつものように小屋に行くと、彼が待っていた。彼はいつもと同じく、わたしに質問した、食べ物、何が好き? とか、誕生日はいつ? とか。 わたしは質問に答えた。この時間がずっと続けば、夕立が降り続ければ、そう思った。 彼はまたわたしとの話を切り上げ「そろそろ雨が止むから、行くね」と。わたしは彼を引き止めて、思い切って質問した。 「あなたは幽霊なの?」 すると、彼は「フフ」と笑って「そうだよ」と答えた。わたしは驚かなかった、そうだろうなと、思った。 突然彼が今にも泣き出しそうな顔をした。そして、「僕を成仏させてくれないか?」そう言って、わたしの方に手を差し伸べた。 わたしは、初めて彼に触れるな、なんて思いつつ、彼の手を取る。 ビリビリビリ! ッブチ! 唐突に、水筒に括ってあったお守りが触っても無いのに、勢いよく破れる。 わたしは突然の出来事にお守りに目をやり、再び、彼を見た。けど、そこにいたのは彼じゃなかった。 彼のように見えるけど、彼とは違う。目元は黒く窪んで、頭の半分はかけ、脳みそがのぞいている、白いワイシャツは血と土に染まり、肌は浅黒く、腐敗臭が漂っている。 まさしく、化け物だった。わたしは叫んだ。 逃げなきゃ、そう思い、夕立の降る外へと走った。 地面はぬかるんで、わたしの足を掴んでくる。転びそうになりながらも、わたしは必死に逃げる。 後ろを振り向くと、彼が四つん這いで追いかけてくる。四つん這いなのに、車のように早い、狂犬病の犬のようによだれを垂らし、獣のようにわたしを追いかけてくる。 わたしは恐怖した。 それまで、綺麗だった森の光景が、一気に不気味に感じた。樹木の根は私の足を掴もうとする手に見て、野鳥や昆虫は何を考えているか分からない生き物に見えて、土や川の臭いは据えた物へと変わった。 麓まで異様に長く感じた、まるで同じところを何度も通っているかのように、もうずっと走ってると言うのに、麓が見えてこない。 息が切れる、脇腹が痛い、酸素が足りないと肺胞が喚き散らかす、後ろを振り向くと化け物が猛然と迫ってくる。 とうとうわたしは転んでしまった。ぬかるみに足を取られ、泥に向かって顔から着地した。顔中土まみれで泥臭い。 もはや、怖すぎて声が出なかった。呼吸すら、出来ているか怪しかった。 化け物はジリジリとわたしとの距離を詰めてくる。わたしは腰が抜けて歩けず、服を泥に染めながら、匍匐で逃げようとするが、頭では無駄な足掻きと思っていた。 ついに、化け物はわたしの眼前に迫り、わたしに触ろうとする。わたしは死を覚悟し、目を瞑った。 しかし、何も起こらない。恐る恐る、目を開けてみると、そこには何もおらず、夕立は止んでいた。 助かったと思った。わたしは疲れ果てながらも、おばあちゃんの家へと戻ってきた。両親は泥だらけのわたしを見て、ひどく驚き、そのあと、遅くまで山にいたことをこっぴどく叱られた。 それ以来、わたしは自然が嫌いになった、無論、あの山にはあれ以来踏み入れていない、今は東京でOLをしている。 ああ、どうやら、夕立が止んだみたいだ。 わたしの背後の彼がいなくなったから。 「……フフ」
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