濡れ衣でござる

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濡れ衣でござる

「高崎六衛門、切腹を命じる」 「……は」 「濡れ衣でござる!」とは言えない。それが下級武士の悲しき運命(さだめ)。 (何で(それがし)が切腹をしなければならないのか、そんな事は考えても無駄。上級武士がやらかした不祥事で下級武士が身代わりになっただけのこと) 「某の命はこんなものでござるか」   高崎六衛門は思わず呟いた。   「高崎、何か言ったか?」   「いえ、何も」 「切腹は明朝、今晩は最後の食事だ。情けとして上級武士用の夕餉(ゆうげ)を取らせるからな」 「は、ありがたきに」 (情けが有るなら濡れ衣切腹なんて……。まあ、某は花の独身下級武士で6男。悲しむ人はいないでござる) 夕餉が出された。 (切腹の前に上級武士用の夕餉を食べろと言われても、何の味も感じないでござるよ) そして、切腹の時刻になった。 (この短刀、腹に刺したら痛いでごさろう。まあ、やるしかない。つまらぬ人生でござった。さらば) ・・・・・ 「(ろく)さん、今日の新聞」 「かたじけない」 「良いってことよ。しかし、六さん。本当に江戸時代の武士みたいだよな」 「まあ」 (みたいだ、じゃ無くて本当に江戸時代の武士でごさるが) 高崎六衛門は切腹しようとした瞬間に意識が飛んだ。 気がつけば大きな川の河川敷で寝ていたのだ。 それから河川敷で野宿が始まった。 六衛門は少し前の事を思い出す。   (最初は切腹の恐怖で気絶して夢を見ているのかと思ったでござるが) 〜〜〜 ワン ワン 「ん、うーん。犬? 某は……寝てたのか?」 目を開けたら顔の近くで白い犬が立っていた。 「某、切腹を……」 むくりと起き上がり周りを見渡す六衛門。 「ここは?」 ゴー ガダン ガダン ワン! ワン! ワン! 「うわっ! な、何の音でござる!? は? な、何でござるか!? あれは!?」 大きな川を横切る鉄橋を電車が走っているだけだが、江戸時代の武士に理解できるわけが無い。 「白い犬、あれは……犬に聞いても仕方なし」 グー 「腹が空いた……ん?」 (どこからか良い匂い。これは魚を焼く匂いだな) フラフラと匂いの方へ歩いていく六衛門と白い犬。 2人の男が魚を焼いていた。 「シロ。そいつは誰だ? まあ、犬に聞いても分からんか。ガハハ!」 「四朗さん、シロを馬鹿にしないでください」 「悪い悪い。と言っても本当の事だ」 「あんた、江戸時代の武士みたいな格好だが、そんな生き方じゃ苦労してるんだろ」 「え? まあ、はい」 「だろうな。変なこだわりがある奴はみんな生きづらい。俺たちもだけどよ」 「はあ」 「おい、五郎さん。俺はキャンプが好きなだけのナイスガイだぞ」 「四朗さん、何年間毎日ここでキャンプしてるんですか」   「ほんの3年くらいだ」     「あのー。ここは、どこでござるか?」 「ん? 東京だけど」 「とうきょう?」 「東京都江戸川区」 「知らない地名でござる」 「迷子になったのか?」   「そのようで、ござるな。して、あれは何でござるか」 「あれ?」   「あの、ゴー ガダン ガダンと進んでいる」 「電車のことか?」 「でんしゃ?」   「あんた、名前は?」 「高崎六衛門」 「六衛門さん、名前は覚えてるが、他の記憶はあいまいなんだな?」 「どうも、そのようで」   「まあ、難しい話は後だ。魚を食べるぞ。六衛門さんも食べろ」 「良いのかな?」   「良い良い」   「かたじけのうござる。しかし、持ち合わせが」 「そんなの要らねえって。そこの川で釣った魚だしよ」 「はあ」 〜〜〜 切腹の日から1ヶ月が過ぎた。 新聞というものを読んだり、河川敷の人達と話をしたりして、だいたいの事は理解できた六衛門。 (某、どうやら江戸時代から令和の東京にタイムスリップしたようでござるな) 高崎六衛門は頭が良かったし、柔軟な考え方もできたので現状をすんなりと理解して受け入れたのだ。   「また、あおり運転でござるか。しかも、今回は死者も出ている。いつの時代もやらかす輩はいるものでござるな」 新聞を読みながら呟く六衛門。東京都江戸川区の河川敷で野宿をする江戸時代の武士である。
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