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しかし、玲子は考えられる人間だ。
ここで頑固に私は自殺するのだ、と言い張ったところで、彼は納得しないだろう。
なにせ彼は、こんな時間に学校の屋上へ立ち寄るくらい暇なのだ。しつこく説教めいた価値観の押し付けをしてくるに違いない。
だから、玲子は嘘を吐くことにした。
「今日は、空がきれいだったから、屋上で見たいって思っただけで、自殺をする気はなかったの。紛らわしいことしてごめんなさい」
玲子は基本的に嘘をつかない人間だ。この嘘が通じたかどうか、少しばかりの不安をはらんで夢咲を見つめる。
「……ふーん、そーですかぁー。空がきれいで。じゃあ俺の勘違いかぁ」
その言葉に、どうやら信じてもらえたらしいと、玲子がホッとしたのも束の間。
夢咲は言う。
「——空がきれいだと思って屋上に出た人は、もっと嬉しそうにしてるもんだと、俺は思うんですけどねぇ」
「……っ」
核心を突かれた気がした。
彼の、見た目からは想像できない勘の鋭さに、玲子は動揺せざるを得なかった。
夢咲は笑顔で玲子を問い詰める。
「あと、さっきまでほとんど喋んなかったくせに、急によく喋るね。必死なんですね。どうして必死なんですか」
「……そ、そんなこと……」
「先輩が言ったことが本当なんだったら、どうして最初に自殺を否定しなかったんですかねぇ」
「それは」
「さすがに諦めましょうよ。先輩、嘘つくの向いてませんよ」
一貫して笑顔を絶やさないその態度が、返って高圧的に玲子を責め立てた。
玲子は自分の嘘の下手さに呆れながらも、夢咲に疑問を投げかける。
「……あなたは、どうして私の自殺を止めようとするの」
玲子の問いに、夢咲は初めて笑顔を崩した。
どうやらこちらも核心をつかれたようである。
「……なんでって、そりゃあ……」
口ごもる彼の顔が赤く見えるのは、きっと夕焼けのせいにちがいない。
「……まあ、いいや、そんなに死にたいなら死にましょう」
問いには答えず、夢咲は急にそんなことを言う。気が変わったのだろうか。
——いや、果たして本当に気が変わっただけだろうか。彼は次にこんなことを言った。
「ただし、俺も一緒に死にます」
「…………?」
玲子は少なからず驚いた。が、同時に理解した。
彼も自殺志願者であると。
それならば、彼の行動にも納得がいく。玲子の自殺を止めて、屋上から追い出したかったのだ。
しかし、玲子はこんなよく知りもしない後輩と心中したいなどとは微塵も思わない。
だから、断ろうと口を開く前に、夢咲は彼女の華奢な身体をひょいと横抱きに持ち上げた。
「!?」
そして驚異のジャンプ力で柵を乗り越え、飛び降りた。
——あーあ。
これじゃあ私が死ぬ前にこの人が死んで、私は助かっちゃうんだろうな。
そしたら私は犯罪者かな。
空中でふわふわとそんなことを考えながら、玲子は落ちる。
すると、突如、落下感が一瞬浮遊感に変わった。
……それは、彼が跳躍したことを意味する。
彼は一体どうやってこの空中で跳躍したのか。これについて、彼女の推測はこうだ。
どこかの教室の窓枠に足先を引っ掛けて、そのまま窓の縁を足場にして上へ跳んだと。
……常人の筋力と瞬発力ではありえない。
たしかに、突然のことで彼女の頭は今混乱している。だから、この推測が正しいかは定かでない。
だとしても、人間の可能性を加味した上で考えられるのはそれしかなかった。
そして、彼が二回三回と跳ぶ度にその推測は確かなものに変わっていった。
彼は一体何者だろうか。
そう思って彼の顔を見上げてみても、その真剣な表情からは何もわからない。
落下感と浮遊感に挟まれながら、不意に彼女は気づいた。
夢咲は最初から死ぬ気も死なせる気もなかったということに。
——しかし、いくら超人的な力を持っていても、失敗はするのである。
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