3#あいつのオリンピックへの道だった道

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 高校の俺は、ちょくちょく書店で陸上雑誌を立ち読みして晋二の名前を探した。  晋二は高校1年にして陸上部の主将として、インターハイに出場しては高校を優勝に導いていた。  ・・・頑張ってるなあ、あいつ・・・  「俺の夢は、オリンピックの選手になって金メダルを獲る事です。」  晋二はとある取材のインタビューで、こう答えた。  ・・・あいつなら、あいつなら!!陸上界悲願のオリンピックの金メダルをもたらすに違いない・・・!!  ・・・陰ながら応援してるぜ・・・!!  だが晋二の志と裏腹に、順風満帆ではなかった。  晋二が社会人になり実業団の陸上選手になったのはいいが、プロの洗礼を受けたのか晋二は極度のスランプに陥り、オリンピック選手の選考会に落ちてしまった。  ある日の事だった。  「俺・・・陸上やめるよ・・・俺はもう向かない・・・」  本当に精神的に追いやられたのか、晋二が俺へメールが来たのだ。  すがり付く先が、子供時代のマブダチだった俺のとこだったのでそれが解った。  「晋二。思い出そうぜ。あの日つるんでピンポンダッシュに明け暮れた日々を。  怖いもの知らずだったじゃねーか。晋二は。  何事も無鉄砲でさあ。」  「ありがとう。お前と話せて良かったぜ。」  晋二からの返信メールにこう書かれた時、胸が締め付けられる思いがした。  俺もあの頃は就職先がブラック企業で、心が病んでたので自分で自分の心が癒されるなんて思いもよらなかった。  それでも、晋二への試練は終わらなかった。  晋二の勤めてる会社が経営難で実業団の陸上部は解散していまったのだ。  リストラで退職を余儀なくされた晋二は、今度は自らの力で陸上オリンピック選手への道を目指した。  自らマラソン大会に参加したり、  自ら選考会にエントリーしたり。  俺はその頃は、あのブラック企業をクビになって落胆している間も無く再就職で苦湯を飲まされていた。    何度も「ニートでいいや」と挫折しそうになると、晋二のどん底からの挑戦を思い出して、自ら奮い立たせた。  “東京オリンピック陸上競技選手決まる”  非正規派遣生活をしていた俺は、仕事先に置いてあったスポーツ新聞に、晋二の名前を見つけたとたんに、俺の心は踊った。  「やったーーーーーーー!!晋二万歳!!」  しかしその頃には晋二は新型ウイルスの濃厚接触による無症状感染していたとは、俺は思いもよらなかった・・・  
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