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十年後の春
私は自宅のテラスから、まだ眠る街と遠くの山々を眺めていた。
美しいものを見ると、先生の句が恋しくなる。
「無理やりにでも作っておけばよかったな、先生の句集」
「先生? どの先生のことかな」
「一笑の句」
「ああ」
今は夫の彼が、隣でコーヒーを飲みながら「今更どうして」と、あけぼのの儚儚とした空気を食んだ。
「今更だからこそよ。……思い出せないの。先生と過ごした時間がフラッシュバックすることはある。だけど、優しさと温かさを感じるばかりで、内容を思い出せないの」
「まさに一笑の句だな。良かったじゃないか、目指したものを実現できて」
「そんなの、先生の自己満足でしかないでしょう。……私は寂しい」
彼は私の肩にブランケットをかけ、抱き寄せた。
私たちを、柔軟剤のフローラルな香りが包み込む。
「そういうの、好きじゃない」
「慰められるのが嫌い?」
「いいえ。ただ、好きじゃないの」
「それは……『嫌い』と何が違うんだ?」
「わからないわ。わからないけど、」
ふぅ――。
眉間の寄った私の顔を、風と共に白い綿毛がかすめていった。
「けど、何?」
「……嫌いじゃないのよね」
彼の肩にもたれ、白んでゆく山々を眺める。
なんでもない今日の始まりに、ウグイスが鳴いた。
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