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初めての感情
繋がれたままの手を意識しながら連れて来られたのは敷地内にある庭園だ。
天気がよく気持ちの良い風が吹く外は、僅かに昂っていた心をそっと撫でて落ち着かせてくれるようで心地よい。
「あ、あの、殿下……ずっと手を繋いだままです」
さすがに恥ずかしくなってきたパトリシアが消え入りそうな声で指摘すると、ロシュディは歩みを止めてパトリシアを振り向いた。
「いや?」
「そういうわけではなく、その……誰かに見られたら……」
モジモジとしながら顔を俯かせるパトリシアに意地悪な笑みを浮かべたロシュディは繋いでいた手を引いて腕の中にパトリシアを引き込んだ。
「で、殿下!」
顔を真っ赤にして抗議の声をあげたパトリシアだが、目の前のロシュディの顔があまりにも近くて驚いて視線をあちこちに彷徨わせる。
「さっき言っただろう?キミを妻にするって。だから誰に見られても構いやしないよ」
そう言って甘えるように首筋に顔を埋めたロシュディに、「ひえっ」と情けない声を上げたパトリシアの頭の中が爆発した。
腰に回された長い腕や逞しい胸板が身体に密着していて、おまけにロシュディの吐息が首にかかりくすぐったい。
固まったように動かなくなったパトリシアに気がついてロシュディは笑いを噛み殺した。
「おや、私の贈り物をつけてくれていないんだね」
何気なく見やったパトリシアの髪は一括りに纏められているが、そこにはなんの飾りもされていない。
「あ、あれは、落としたら勿体いないと思い保管してあります」
強く抱きしめられているわけではないのに胸の高鳴りから息苦しさを感じつつパトリシアは答えた。
本当は見ているだけでモヤモヤしてしまい着ける気になれなくてしまい込んでしまったのだが。
「ではこれからは毎日着けるように。命令だよ」
そんなことを命令するだなんて職権乱用だわ。
少し声を低くしたロシュディに髪を撫でながら言われ、逆らえるはずのないパトリシアは赤い顔のまま渋々と「はい」と答えた。
「さて、そういえばキミへの罰は何にしようかな」
「えっ」
罰?
思わずそちらを見ると至近距離で青灰色の瞳と目が合った。その奥に揺らめく蠱惑的な色に心臓がドキリと跳ねる。
「また自分から言っていたよね?“いかなる罰もお受けします”って」
でも罰は与えないって言ってましたわよね?!
動揺してわなわなと唇を震わせるパトリシアを見てロシュディは目を細めてニヤリと笑う。
パトリシアが歯向かってこないことをわかった上で面白がってやっているのだ。
「撤回しておく?」
「……し、しません」
悔しいが一度言ったことを曲げるわけにはいかない。
全く、面白いほどに墓穴を掘るのが上手いな。
我慢できず喉を鳴らして笑うロシュディをパトリシアはじとっとした目で見上げた。
そんな顔をしても全然怖くないんだけど。
たぶん睨んでいるのだろうけれど、むしろ潤んだ目と尖らせた唇がなんとも可愛らしい。
ここで微笑んでしまっては余計に怒らせてしまうなと、ロシュディはわざとらしく咳払いをして表情を改めた。
パトリシアは一体なにを言われるのかと固唾を飲んで唇を引き締める。
「私のことをロシュディと、これからはそう呼ぶように」
真剣な眼差しがロシュディの薄い灰色の目を真っ直ぐに覗き込む。
「……っ、で、でも、わたくしはまだ殿下の許嫁でもなんでもありません。そのように呼ぶなど恐れ多くてとてもじゃありませんが……」
「なら2人きりのときだけにしよう」
するりと頬を撫でられ、また心臓がトクトクと速まる。
少し顔を傾ければ唇が触れ合ってしまいそうな距離に頭がクラクラしてくる。
「ね?」
頬に触れていた指が明確な意図を持ってパトリシアの顎をとらえる。
ロシュディの纏う香りに思考が奪われていく。いけないと思いつつも、拒むことができない。
これは一体どういう感情なのかしら。
陽光に照らされた湖面のような美しい青灰色の瞳が閉じられる。
重なる唇の熱に甘い疼きを感じて、たまらずパトリシアも目を閉じた。
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