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奪われる日々
それまで『なにかがおかしい』と漠然と感じていた違和感が確信に変わったのは、他家で行われたパーティーの日だった。
家族を交えた交流会には5組の貴族が集まっていた。
昼に催された会には子どもも集まったが、全員しっかりとした教育を受けているため危ない遊びはせずに仲良く庭で追いかけっこなどをしていた。
当時10歳だったパトリシアは、木陰の下で同年代の令嬢達と話に花を咲かせていた。
趣味の話やオシャレの話。パトリシアはそれらに疎いながらもその時間を楽しんでいた。
談笑しているとそこへ近づいてくる気配があり、何気なくそちらを見ると父親であるジャン・ド・プラディロール子爵が6歳の妹のミシェルを伴ってやってくるところだった。
どうしたのかしら。
ミシェルは先程まで他の歳の近い他の令嬢と人形遊びをしていたはずだが。
不思議に思いながら見ていると、だんだんと近づいてくる父親の顔が強ばっているのが見えた。
抱き抱えられているミシェルは泣いている。
「パトリシア!何故妹に冷たくあたるんだ!」
なにがあったのだろうと腰を浮かしかけていたが父親の剣幕に身体が固まった。
「ミシェルが身体が弱いのは仕方のないことだろう?それを理由に仲間外れにするとは……それが姉としての態度か?!」
全く話が掴めずキョトンとしてしまった。
そばにいた令嬢達もお互い顔を見合わせたりと困惑しているようだ。
「お父様、一体なんの話ですか?わたくしずっとここでお喋りをしていたのでなんのことか……」
「シラを切るんじゃない!『身体の弱いミシェルは邪魔だからあっちで1人で遊んでいなさい』と除け者にしたそうじゃないか」
全く大事な交流の場だというのに……、とぼやきながら父親は抱えていたミシェルを下ろした。
「自分が楽しむことばかりでなく、妹の面倒もしっかり見てやりなさい!……さあミシェル、もう大丈夫だよ。ここでいい子にしていられるね?」
パトリシアを叱る剣幕から一変し、ジャンはミシェルに優しく語りかけた。
「はい、お父様……」
まだ涙の滲む目で父親を見上げてこくんと頷く姿は他人から見ればいじらしく見えただろう。
「パトリシア、もう妹を泣かせないように」
厳しく念を押し、ジャンは大股に去って行った。
気まずい空気が漂ったが、その輪の中でリーダーシップをとっていた令嬢がミシェルを自分の隣へと誘い、またお喋りが始まった。
他の令嬢たちの前で叱られたパトリシアは居心地が悪くなってしまい、適当なことを言って輪から離れた。
わたくし、そんなこと言ってないわ。
頭ごなしに叱られたことのショックと恥ずかしさで泣きたくなってくる。
少し歩くとミシェルが先程まで人形遊びを一緒にしていた2人組みを見かけた。
もしかしたら遊んでいる最中になにかあったのかもしれない。
そう思い少し駆け足でその2人に近づいた。
「ねぇ、あなたたち。わたくしはミシェルの姉のパトリシアよ。さっきまであなたたちとミシェルは遊んでいたと思うのだけれど、もしかしてなにかあったのかしら? 良ければお話を聞かせてくれないかしら?」
パトリシアの出現にミシェルと同い年くらいの幼女2人は顔を見合わせたが、すぐに事情を話してくれた。
「急に怒っていってしまったのよ」
「ええ、『つまんない!』って言ってたわ」
2人の目は真っ直ぐで嘘をついているようには見えなかった。
「そうだったのね。教えてくれてありがとう。妹がごめんなさいね」
笑顔を残してその場を離れたパトリシアは、また会話の輪に戻る気にもなれず1人で庭を散策することにした。
離れたところで楽しげに笑うミシェルの声が聞こえた。1人だけ歳が離れているからか他の令嬢から可愛がられているようだった。
「あーあ、みなさんみたいな方達がお姉様だったらよかったのに」
それまでの笑顔が消え失せ、急にしょんぼりと肩を落とすミシェル。
「お姉様、わたくしがそばに来るといつもすぐにどこかに行ってしまうの……だからわたくし、お姉様とは遊ぶどころかお話もあまりしたことがなくて」
「まあ……そうでしたの」
令嬢の1人が気遣わしげにミシェルの肩を撫でる。
パトリシアはショックだった。
今までミシェルがそばに来てお喋りや遊びをせがんだことはない。
何故ならミシェルは自分の言うことを聞き思ったとおりに動いてくれる侍女と遊ぶほうが好きだったからだ。
近くに来るときは決まってパトリシアの私物を狙ってくるときである。
このときパトリシアははっきりと理解したのだ。
ミシェルは自分が幸せになるためならパトリシアを悪者にしてパトリシアの居場所さえも容赦なく奪うということを。
パトリシアの心の支えは魔法の勉強だった。
プラディロール伯爵家はそこまでではないが魔力を持つ家系だ。
知識は誰にも奪われることはない。
それに気がついたパトリシアは家中の書物を読み漁り、独学に限界を感じてからは父親に懇願して礼儀作法の教師とは別に魔道士の家庭教師をつけてもらって勉強に打ち込んだ。
パトリシアの両親は最初は期待はしていなかったが、めきめきと上達し魔法を会得していくパトリシアを見ていつしか応援してくれるまでになった。
けれどもミシェルはそれが面白くなかったのか、家庭教師が来ている授業中に乱入してくるようになった。
やって来ては「お姉様遊んで!」と騒ぐので授業にならず、パトリシアのストレスは膨らんだ。
「もう!いい加減にして頂戴!」
何度目かのミシェル乱入のとき、いよいよ我慢ならなくなったパトリシアは机を強く叩いて立ち上がった。
するとミシェルはすぐに顔を歪めて酷く泣きわめいた。
飛んできた両親が目にしたのはオロオロする家庭教師と、侍女に宥められながらも泣き続けるミシェル、それからそれを睨みつけるパトリシアの姿だ。
「一体なにがあったんだ?ミシェル、何故泣いている?」
「まあどうしたのミシェル、そんなに泣いては体に障るわ」
「寂しくてお姉様に会いにきたのにお姉様が……!お姉様がぁ……っ!」
当たり前のようにミシェルに駆け寄る両親とそれに縋りつくミシェル。既に見飽きた構図だった。
そして責められるのはいつもパトリシア。
こんなふうになったのはミシェルが4歳のときに高熱をだして生死を彷徨ってからだ。
それ以来ミシェルはことあるごとに体調不良を訴えるようになり、わがままを言うようになったのだ。
またいつものように責められるのだろうと思ったが、その日のパトリシアはかなり頭にきていたので引く気にはならなかった。
「お父様、お母様、ミシェルにもちゃんとした淑女としての教育を受けさせてくださいませ。いくら病弱といえども子爵家の令嬢が今のままでは恥ずかしいわ」
パトリシアの意見は尤もだった。
病弱だからと甘やかされて育ってきたミシェルは努力が苦手だ。
授業となるとすぐに体調不良を訴え気分転換に外の空気を吸いに行っているらしい。
「わたくしたち女の役割は他家に嫁いで子孫を残すこと。そうでしょう?体が弱くて子孫を残せなかったとしても、身体が良くなったときにマナーがなっていなければ嫁ぐこともできないわ。そんなことになってもいいのですか?」
いつもは大人しいパトリシアが正論を訴えたので、両親は互いの顔を見合って言葉を失った。
「なにがミシェルにとって本当に可哀想なことなのかしっかりと考えるべきだと思います。体調を崩しやすいのなら時間をかけてでも本を読むなりしてマナーを覚えるべきだわ」
「……そんなことを言って、お姉様はわたくしと遊びたくないだけなのよ」
「ええ、遊びたくないわ。わたくしは淑女としての勉強と魔法の勉強、両方をこなすことで忙しいの。この子爵家のために努力しているのよ。その邪魔をするというのなら許さないわ」
カッとなって捲し立てたおかげでミシェルは二の句が告げず黙り込んだ。
すかさず目を潤ませて両親に助けを請おうとしたが、今回ばかりはパトリシアの言い分が通った。
「そうだな、お前の将来のためにも礼儀作法だけは身につけて貰わないと」
「そうね、なにがあるかわからないのだし」
ミシェルはイヤイヤと首を振って泣きだし「お姉様と遊びたいだけなのに!」と声を上げたが、両親は宥めこそすれど首を縦に振ることはなかった。
それからというもの、ミシェルがパトリシアの授業中に部屋に乱入してくることはなくなった。
そして念願叶ってパトリシアは12歳から入学可能な魔道学園に通うことができた。
毎日が勉強漬けの日々だったが、パトリシアはその辛さも含めて楽しんでいた。
勉強のことで頭がいっぱいだったためにミシェルがわがままを言ってパトリシアの物を欲しがっても全く気にならなかった。
相手にされないミシェルはつまらなかっただろう。
顔色を変えることもしなくなったパトリシアを見ては不満気に口を尖らせていた。
時は流れ、パトリシアが16歳の成人を迎えた年のこと。
成人を迎えた貴族は社交の場である舞踏会に顔を出す習わしがあり、パトリシアも例に漏れず社交界デビューに向けて準備を始めた。
学業ではそこそこ良い成績を残すことが出来ていて両親も鼻高々だったのか、パトリシアの社交界デビューの支度に協力的だった。
パトリシアとしては本当は社交界デビューの準備など煩わしいだけなのだが、成人の晴れ舞台は一生に一度しかないと両親に諭され仕方なくそちらに力を入れることにした。
当日は侍女達の手を借りて華やかに仕上げてもらい、自分でも満足のいく支度ができた。
「お姉様、よろしいかしら」
全ての準備が整おうとしていたとき、ミシェルは現れた。
12歳になったミシェルは母親譲りのウェーブがかった金糸のような髪とベリドットのような薄緑色の大きな目をした可愛らしい人形のような美少女に育っていた。
なんとなく嫌な予感を感じながらもパトリシアはミシェルを招き入れる。
「まあ!素敵なドレスね。とてもよくお似合いだわ」
プラチナブロンドに明るいグレーの瞳という全身が白に近い色彩のパトリシアが社交界デビューに選んだドレスは銀や緑色の糸で繊細な刺繍が施された淡いミントグリーンのドレスだ。
スカートにボリュームがありながらも淑やかなデザインになっている。
ミシェルがこのドレスが着たい、欲しいと父親に懇願していたことは知っていた。
なので僅かに身構えたのだが、当のミシェルはニコニコとするだけでそれ以上を言う気配はない。
「ありがとう、ミシェル。あなたの社交界デビューのドレスも今から楽しみね。4年なんてあっという間よ。そのときの流行がどんなものかはわからないけれど、着てみたいドレスを想像しておくにこしたことはないわ。わたくしもかなり悩んだもの」
「そうね、4年後が楽しみだわ」
当たり障りのないことを言って様子をみてみるが、やはりミシェルはニコニコとしているだけだ。逆に気味が悪い。
はやく出て行ってほしいと心の中で願うも、ミシェルはキョロキョロと室内を見回している。
「あ、お姉様、これって香水?」
明るい声のミシェルが手にしていたのは、ドレスにあう装飾品を見に行ったときに買った香水だった。
「可愛いデザインね。どんな匂いなのか嗅いでみてもいいかしら?」
また欲しいと言い出すのかと思ったが、そこまで思い入れのある物ではないし奪われることに慣れてしまっていたパトリシアは「いいわよ」とすぐにこたえた。
「わぁ、いい香り!ねぇお姉様、これもつけていくのかしら……きゃっ」
香りを嗅いでいたミシェルがパッとパトリシアのほうに体を向けたとき、ミシェルがふらりとよろけた。
そばにいた侍女が手を伸ばしてミシェルを支えたたが、ミシェルが持っていた香水の瓶は宙に投げ出され、ボスんとドレスのスカート部分にぶつかった。
「きゃあああ!ドレスが!」
バシャリと音をたてて香水の中身がドレスに飛び散る。
悲鳴のような声を上げた侍女が慌てて瓶を掴んだが間に合わなかった。
ドレスにシミが広がり、部屋に香水の匂いが充満する。
「うそ……そんな……」
広がっていくシミを見ながらパトリシアは絶望した。この日のために用意した大事なドレスなのに。
「ごめんなさいお姉様、わたくしのせいで……!ううっ」
必死の形相で謝るミシェルは口元を抑えてよろよろと座り込んだ。
「ミシェル様、大丈夫ですか?!」
「香水の匂いが……」
ミシェルがそう言って苦しそうに眉を寄せたので、侍女が慌てて部屋の窓を全て開けた。
「ひとまずミシェル様はお部屋に戻りましょう」
支えられて退室していくミシェルは一度もパトリシアを見ることはなかった。
やられた。
まさかこんな形で大事な日を奪いに来るなんて。
時間的猶予もなく急遽別のドレスを着ることになったが、大事なドレスを台無しにされたショックから立ち直れなかったパトリシアは放心状態になり侍女にされるがまま着替えをさせられた。
社交界デビューのドレスを買ったときに新調した淡い桃色のドレスのおかげでなんとか様にはなったものの、ドレスにあうように髪型や化粧を変える時間はなく、華やかさも劣る格好になってしまったことで気分が上がることはなかった。
「ジェラール・ドゥ・ブラン様がお見えになりました」
そうこうしているうちに、本日のエスコート役である許嫁が到着したようだ。
侍女の知らせを受けて階段下の玄関ホールへ向かうと、ちょうどジェラールが入ってきて父親と挨拶を交わしているところだった。
キャラメル色の髪に濃い緑色の目をした青年は優しげな顔つきで細身なのでやや頼りなさ気にも見えるが、清潔感があり人当たりのいい笑顔は誠実で真面目な印象を受ける。
ジェラールの家系も魔力のある家系だが、その力はプラディロール家と変わらない。
騎士を目指そうにも体力的にも技術的にも才能がなく、それならば家の手伝いをしたほうが今後のためにもいいだろうとのことで、ジェラールは貴族としての教養を身につける学校に通っている。
両家が取り決めた相手なので恋心というものは抱いていないが、許嫁としては一応意識している。
階段を降りていくとジェラールと目があい、ジェラールは少しだけ目を丸くした。
「ジェラール様、お迎えいただきありがとうございます。さっそくですが申し訳ございません、実は着替えの途中で着る予定だったドレスを汚してしまい……」
「ああ、そうだったのか。それは仕方ないね」
そう言って笑みをつくりながらも眉を下げたジェラールのスーツのカフスボタンや胸元のポケットに入っているハンカチーフは全て薄緑色で統一されている。
婚約者同士の手紙のやりとりの中で社交界デビューの話になり、パトリシアが薄緑色のドレスを着るということを伝えるとそれに合わせると返事をくれたのだ。
ジェラールの気遣いを無駄にしてしまいさらに落ち込んでしまう。
「本当に申し訳ございません」
「いいんだよパトリシア、それよりもはやく行かないとパーティーに遅刻してしまうよ」
優しく笑ってくれるジェラールの言葉に気を取り直して、パトリシアは手を差し伸べてくれたジェラールの腕に手を添えて家を出た。
このとき、2階の柱に隠れてじっと事の成り行きを見ていた者がいたとは知らずに。
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