三話

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三話

 「ちよ、ちょっと!俺を無理矢理こんな場所に連れてきてどうするつもりだよ!」  「しっ・・・こんな場所って、ここただのファミレス。あんまり騒がないでよね。」  脅され人質として連れてこられたかのような演技をしてはしゃぐ柿谷を牽制し、高瀬は店の扉を開く。  「いらっしゃいませ。ニ名様でよろしいですか?」  「はい。」  「お好きな席へどうぞ。」  高校生にとっては夏休みでも、世間にとってはただの平日の昼過ぎである。特段混雑していない店内から窓側の席を選び、二人は腰を降ろす。  「それで、なんでこんなことになったのか説明してくれる?」  「いきなりそんな怖い顔するなよ…まずは食うもの決めようぜ。」  興奮冷めやらぬ中、真正面に突っ込む高瀬をいなすように、柿谷はメニューを差し出す。不本意な顔をしつつも渡されたメニューを開くと、高瀬はこのタイミングで冷静さを取り戻した。いや、全く種類の違う興奮を覚えたと言った方が正しいかもしれない。  先に述べたように、高瀬にとってこれが初めての両親不在の外食である。そもそも頻繫に外食へと足を運ぶ家庭でもなかったため、まじまじとファミレスのメニューを見る機会が少なかった。そんなファミレス免疫のない高瀬は、開いたメニューに対してこれまで感じたことのないような興奮を覚えたのだ。  色鮮やかで、豊富なラインナップ。背徳感を誘いつつそれすらもスパイスにしてしまう栄養の偏った構成。そして高瀬には馴染みのないカロリーという概念。日々料理の腕に自信のある母が栄養バランスの取れた食事を用意してくれる高瀬は、ファミレスのジャンキーさに思わず心を躍らせる。  「高瀬?決まった?」  柿谷のその声により、高瀬は本当の意味で冷静さを取り戻す。  野球部退部という話は、あまりに衝撃的であった。だからこそ野球にも学校ゴシップにも興味がないはずの高瀬を、男子をファミレスに無理やり連れ込むという所業へ走らせてしまったのだ。  だが冷静になってしまえば最後。これが初めて異性と二人きりでする食事であることを思い出させ、慣れないファミレスでは食べるものすらまともに決められない。そうなれば、もはや柿谷が野球部を辞めたかどうかどころではなくなってしまう。  「・・・これにする。」  まずは一つずつ目の前のことから処理していくしかないと覚悟を決めた高瀬は、目に留まったミートソースが希望であると柿谷に伝える。すると柿谷はメニューを見ることもせずに、呼び出しボタンを押す。  「ご注文は?」  「えっと・・・」  メニューを見ずに注文を決めたこと、滞りなくかつさり気なく高瀬の分まで注文を済ませる柿谷の姿に、高瀬はただただ感心するばかりであった。    このまま圧倒されていては駄目、私も聞きたいことをちゃんと聞かなきゃ!  覚悟を決めた高瀬は水を一口飲んだ後、話を蒸し返す。  「注文も済んだことだし、ちゃんと説明してくれるよね?」  高瀬の問いに対して柿谷は、申し訳なさそうな顔をしつつ話を始めた。  「いや、俺も頑張ろうとは思ったんだけど、やっぱり中々話に共感出来ない部分もあってさ・・・後、文学的表現?比喩的な言い回し?なんて言っていいかわからないけど独特な表現が多かったんだ。もう少し口語的な文章で書いてくれた方が俺としては読みやすいし、ストーリーに入って読み進めようって気持ちになったんだけど。」  「・・・何の話してるの?」  「え、高瀬がオススメしてくれた本をギブアップした言い訳だけど。」  ふざけるような素振りもなく、真顔で言い切る柿谷。もしこの表情を演技で作っているのだとするなら、相当なくせ者であると高瀬は呆れつつも感心をした。  「私が聞きたいのは、柿谷がなぜ野球部を辞めたのかについてなんだけど。」   「ああ、そっち?」  この応答も、とぼけているような感じではない。柿谷は本心から高瀬が自分の退部に興味を持ったことへ驚いている様子である。  高瀬に退部の理由を問われた柿谷は、今までの人生で野球に限らない全ての事柄においてなにかを成し遂げても喜びの感情を得られなかったこと、そしてこれ以上感情が動かされない物事に全精力を注ぐことが難しくなり退部を決意したことを包み隠さず正直に打ち明けた。  「それは・・・まあ、何ともコメントしにくいというか・・・」  正直柿谷の心情を理解し切れなかった高瀬は、歯切れの悪い返事をするしかなかった。  最初は好きだったことでも、あまりに自分が出来過ぎてしまうが故に退屈を覚えてしまう的な天才あるあるなら、共感するかどうかは別として高瀬にも理解は出来る。だが柿谷の話はそんなに単純ではないようだ。  「そもそも柿谷くんは、なんで野球を始めたの?」  「小学校四年の時かな、同級生の奴に一緒にやろうって誘われたんだよ。その同級生ってのが、うちの高校にいる田辺なんだけど。」  同級生に誘われたということは、自発的に始めた訳ではないようだ。  「小学校四年からだと、かれこれ八年ぐらい野球をやってきたんでしょ?その八年間、柿谷くんは一度も野球が楽しいと思ったことがないのに、どうして続けられたの?途中で嫌になったりしなかったの?」  「楽しくはなかったけど、別につまらないと思ったこともないからな・・・一言で言うなら、辞める理由がないから辞めなかった。それに尽きるな。」  「辞める理由もないからなんとなくで続けた野球で、凄い選手になっちゃったってこと?」  「勘違いしてるけど、俺はなんとなくで野球をやっていない。好きでも嫌いでもないし、楽しくもつまらなくもないけど、やる以上は誰にも負けたくないから死ぬ気で練習もしたし、どんな試合でも本気を出した。決して惰性ではやっていない。俺は何事においても負けることが大っっっ嫌いだからな。」  「じゃあ訂正します。つまり柿谷くんは、楽しくもないけど辞める程嫌いでもないから野球を続けて、やる以上は絶対に負けたくないから必死に練習をして勝つために色んな準備をした・・・これであってる?」  「イエスだな。もっとも、それは野球に限らず全てに言えることだけど。」  「でもどれだけ努力をしてなにかを成し得ても、喜びの感情を抱いたことはない。」  「その通り。」  「駄目だ、頭痛くなってきた・・・」  質問を重ねていくうちに、高瀬にも柿谷の言いたいことが少しずつわかり始めた。だが頭が理解を始めたとしても、心が納得出来ない場合もある。  きっと柿谷は今までの人生で、多くの物を手にしてきたことだろう。野球にとどまらず普段の体育から圧倒的な存在感を放つ、所謂スポーツ万能というやつだ。その上公立高校の中では県下一の進学校で成績はトップ、そしてイケメン。きっと高瀬が知らないだけで他にも柿谷の引き出しは幾つもあるだろうし、さぞ異性からはおモテになることだろう。  高瀬は柿谷や、柿谷に何物も与えた天の上の存在に文句を言いたい訳ではない。  これだけの能力があれば、高校二年生にして多くの成功体験を柿谷は収めているはずだ。テストの結果、スポーツでの勝利、可愛い女の子からの告白等々・・・挙げればきりがない。だが柿谷はそれだけの成功体験を手にしておきながら、喜ぶという感情を得たことがないと平気で言ってのける。  そんなことが信じられるだろうか?こんなことを言われれば、自分の優秀さを卑下する振りをして他人を見下すなんて嫌な奴なんだと、ほとんどの人間がそう思うことだろう。  だが高瀬はそうは思わなかった。これは高瀬の心のが広いからではない。ただ単純に、高瀬の目に映る柿谷が、噓を言っているようにも嫌味を言っているようにも見えなかっただけだ。  だからこそ、高瀬の心は納得が出来なかったのだ。  間違いなく、柿谷は偽らざる本心のさらけ出している。高瀬を見下してもいない。だとすると、柿谷は幾多の成功体験に心を動かされなかったことはもちろん、成功したところで感情が動かないというのに、負けたくないという気持ちだけで様々なことに努力を重ね、成果を上げてきたということになる。  もしかして柿谷くんって、本物の変態なの?  変態という言葉は高瀬にとっては、どれだけ考えても理解出来ない存在に対して与える形容詞であり、少なくとも柿谷への悪意はない。ただこの言葉が登場は、高瀬の脳内で白旗が投げ込まれたことを意味する。  つまり高瀬は、考えることを止めたのだ。  「私から色々聞いておいてなんだけど、柿谷くんが決めたことだし、私みたいな外野がとやかく言うことじゃないよね。」  それまで前のめりで質問をしたり、テーブルに肘をついて頭を抱えたりしていた高瀬は、全てを放棄するようにソファーの背もたれに全体重を預け、無責任な言葉と共に大きく息を吐いた。  「やっぱり、高瀬ならそう言ってくれると思った。」  柿谷はそう小さく呟いた。その声は高瀬の耳にも届いたが、既に思考を放棄した高瀬の頭には残ることはなかった。ましてや、柿谷の頭にある計画に思案を巡らせることなど、出来るはずがなかった。  「実は、高瀬にお願いがあるんだ。」  「お願い?」  その意外過ぎる提案に、高瀬は再び背もたれに預けていた上体を起こす。  「俺が夢中になれるなにかを、一緒に探して欲しいんだ。」  「・・・はあ?」  真剣な表情で言葉を絞り出した柿谷と、そんな柿谷に配慮をすることなく顔をしかめる高瀬。  「ごめん、今度こそ本当に柿谷の言っていることがわからないんだけど。」  更なる説明を求める高瀬に対して、柿谷は先ほどよりも少し清々しさを感じさせる表情で語り始める。  「俺と高瀬が初めて話したあの日、高瀬が嬉々としてBLについて語っていたあの顔が俺は忘れられないんだ・・・俺は人生で一度もあんな笑顔で何かについて語ったこともないし、俺の周りであんな表情を浮かべた人間も見たことがない。だからこそ俺は高瀬が読んでいた本に興味を持ったんだ。俺も読めば高瀬と同じように夢中になれるんじゃないかと思って。」  実質初対面の相手の印象に強く残るような表情で語っていたことへの恥ずかしさがこみ上げてくる高瀬。もし同じような機会がまたあったら、もっと自重して話をすることを決意する。  「結果として、俺はBLにハマれなかった・・・まあ、人ぞれぞれ好みは違うし、高瀬が好きだからと言って俺が好きになるとは限らない。そんなのは当たり前だ。だけど、高瀬が持っていて俺に持っていないものを手に入れるには、やっぱり高瀬に協力をしてもらうのが一番手っ取り早いと思ったんだ。だから頼む、俺が夢中になれるものを一緒に探してくれ。」  必死に頼み込む柿谷の姿を見て、高瀬には迷いが生じていた。  柿谷の要求は未だよくわからないが、学校一のスターとお近づきになれるチャンスが来ていることは間違いない。高瀬は柿谷に対して下心を抱いている訳ではないが、ここで貸しを作り関係性を築いておくのも悪くはないと思っている。  だがその一方で、とにかく目立つ柿谷との関係性を深めることで自分自身も厄介事に巻き込まれるのではないかという懸念もある。  もし柿谷が他の誰かに野球部を辞めた経緯を話した時、どこかのタイミングで高瀬の名前を出してしまったら?しかも野球部退部後に親密になっていることが明らかになってしまったらどうなることだろうか。  「あいつだよ。あの陰キャ女がうちのエースに変なこと吹き込んで野球を辞めさせたんだ。」  「マジ最低、ホントキモイ。」  「普通にやって柿谷があんな女の言うこと聞く訳ないから、柿谷の弱みでも握ってるって話だぜ。」  「うわ姑息、そこまでして柿谷くんを手に入れたいとか・・・」    このようななんでもありの良からぬ噂が光の速さで蔓延することは容易に予測出来る。折角ここまで平穏無事な学校生活を送ってきたのに、柿谷との関係性が生まれることでこの生活を手放すのは、はっきり言ってメリットよりもデメリットが大きい。  ただ何よりも、人物像や頼み事の内容の内容ではなく、真剣に自分を頼ってきてくれている相手に対して、デメリットの方が大きいという理由で取り合わないというのは高瀬の良心が痛む。  ここで高瀬は極めて単純な質問を柿谷に投げかけた。  「なんで私じゃないとダメなの?きっと柿谷くんの周りには、私なんかよりも頼りになる人が大勢いると思う。仮に柿谷くんが自分を変えようと思ったきっかけの一つに私との会話があったとしても、実際に動き始める時に私が協力したとしても柿谷くんの力になれるとは限らない。だったら、私よりも頼りになって、柿谷くんとも仲がいい人に協力を求めた方がいいと思うけど。」  高瀬の問いに柿谷は、哀愁を感じさせる小さな笑みを浮かべて答える。  「高瀬、俺に興味ないだろ?」  その言葉を聞いた瞬間、高瀬は自分でも気づいていない心の奥底を覗かれたようだった。あまりの衝撃に高瀬の五感全てがそれまでとは様変わりする。  「俺は自分が周りにどう見られているかについては自覚しているつもりだ・・・自己評価と一致しているかどうかは別にしてだけど。だからもし高瀬以外の人間に今の話をして協力してくれと頭を下げても、きっと馬鹿の事言ってないで早く野球部に戻れって言われるだけだ。まあ、相手としてもそれが俺にとって最善だと思っての事だろうから否定するつもりはない。ただ、そんなのは、俺にとっては何の意味も持たないし、本当の意味で俺の悩みに対して本気で向き合ってはくれない。ただ高瀬なら、俺という人間に興味はなくても、真剣に悩んでいる姿を見せれば一緒になって真剣に向き合ってくれると思ったんだ。そういう意味では、俺にとって頼れる相手は高瀬しかいない。」  「・・・たった一回話しただけなのに、ちょっと買い被り過ぎじゃない?」  「俺が思う唯一の俺の長所は、人を見る目がある所、だからな。」  得意げな顔で言い切った柿谷に、高瀬は小さく息を吐いた後、首を縦に振った。  その後二人は、運ばれてきた食事に手を付けながら、柿谷自分探しプロジェクトについて相談を続けたのであった。  「ああ、高瀬さん家の・・・いつもありがとね。あれ、いつも一人なのに今日はお連れ様がいるなんて。」  「もしかしてそのイケメンくん、彼氏だったりするの?」  夏休みも終盤に差し掛かってきたとある土曜日の朝八時。曇り空が幸いして、八月にしては比較的過ごしやすい気温となっている中、高瀬宅近所の土手沿いに集合する十数名の団体。その団体のまとめ役の夫妻が、デリカシーのかけらもない質問を投げかける。  「ええ、まあ、そんなところです。」  「どうも、柿谷です。」  こういう場合、どちらか片方が相手の話に便乗して調子に乗り、片方が照れながら否定するというのがお決まりではあるが、高瀬と柿谷は二人とも否定する労力が無駄であると考え、適当な態度でお茶を濁した。  「さあ、ではみなさん、本日もよろしくお願いしまーす。」  「はーい。」  二人が参加していたのは、高瀬家が所属する町内会で毎週末に行われているゴミ拾いのボランティアだった。  「しかしあれだな、高瀬がこういう活動に参加していたなんて、正直意外。」  「まあ、そうだよね。とても滅私奉公の精神がある人間には見えないだろうし。」  なぜわざわざ柿谷が朝早く高瀬の地元にまで赴き、ボランティア活動に参加をしているのか。理由はただ一つ。これも柿谷自分探しプロジェクトの一環なのである。  BLにはハマらなかったが、他の高瀬の趣味にはハマるかもしれないから紹介して欲しいと柿谷。そんなに趣味多き人間ではないと高瀬。本当に些細なこと、毎日毎週やっている習慣などでもいいから教えて欲しいと柿谷。そう言えばゴミ拾いのボランティアには毎週末参加していると高瀬。ならそれに俺も参加したいと柿谷。  以上のやり取りの結果、二人でゴミ拾いのボランティアに参加する運びとなったのだ。  「別にボランティア活動をしたかと言って滅私奉公の精神があるとは言えないでしょ。寧ろ、ボランティアなんて利己の塊だと思うけど。」  腰をかがめ、草むらに散らかっている有名ファストフード店の紙袋やら包み紙やら紙コップやらを拾い上げ、手に持ったゴミ袋に入れる柿谷。  「ゴミ然るべき方法で処理せず、こうやって辺りにまき散らす低能で低俗な連中の尻拭いをすることが、世のため人のためになるとは到底思えない。こういう馬鹿がいなければ、ここに集まった良識ある大人たちの貴重な休日を潰さずに済む訳だし。」  「・・・あんまり変なこと言わないでよ。柿谷くんが悪目立ちすると次から私も参加しにくくなっちゃう。」  「いや、別にボランティアっていう存在を否定するつもりはないよ。もしこのゴミ拾という行為にお金を払って誰かを雇うとなると、誰がその金を払うのかという問題はもちろん、ゴミすら片付けられないどうしようもない連中に、自分たちが雇用を生み出している、っていう大義名分を与えることになりかねないからね。結局ボランティアと銘打って良識ある人達からやりがいを搾取するのが一番無難だ。」  顔色一つ変えずに言い切る柿谷を見て、ここまでネガティブな印象を持っている人間がなぜボランティアのゴミ拾いに参加するつもりになったのか、益々不思議になった。ただもっと不思議なのは、ああだこうだと言っている割には、ゴミ拾いという行為そのものを嫌がる素振りは一切ない。ビニール手袋をしていても見て見ぬ振りをしたくなるような汚らしいゴミですら、柿谷は平気で拾い上げている。  そんな柿谷の姿に、なぜか高瀬は少し哀愁を感じ取ってしまった。  「・・・みなさんお疲れ様でした。ではまた来週ですね、次もよろしくお願いしまーす。」  約二時間の活動を終えて、この日の活動は終了となった。  「確か君は柿谷くん、だったよね?」  「あ、はい。」  端で支給された緑茶を飲んでいた柿谷のもとへ、朝も声をかけてきた町内会長のおじさんがやって来る。  「今日はありがとね。君はこの地区に住んでいる訳でもないに、こんな朝早くから参加してくれて・・・本当に頭が上がらないよ。」  「いえいえ。どうせ暇だったんで。」  挨拶もほどほどに、町内会長はちらちらと少し離れた場所にいる高瀬の様子を伺っている。  「・・・やっぱり、高瀬さんの娘さんに誘われて来てくれたのかな?」  「いや、誘われたって言うより彼女からボランティアの話を聞いて、僕が行きたいってわがままを言ったんですよ。」  町内会長は、そうかそうか、とつぶやきながら何回か頷き、感心した様子を示す。  「二人とも、若いのに立派だよ。前々から高瀬さんの娘さんは本当にしっかりした子だと思ってたけど、やっぱりそんなあの子が選んだ相手だから、君もしっかりしている。」  「あざっす。」  「彼女はね、真面目で人当たりも良くて、美人さんなのにそれを鼻にかける様子もなくて、町内全員から愛されてる子なんだ。変な話、ろくでもない男とくっついたら、あの子の親御さん以上に黙ってない人間がこの町には何人もいるだろうね。」  表情と声色から、町内会長は冗談で笑いを取りにきたのだろうと柿谷は判断し、適切な愛想笑いを提供する。  「でも君なら安心だ。彼女を大切にしてやってくれ。」  「わかりました。」  柿谷が町内会長の話を一切否定せずに乗っかり続けたため、高瀬の親でもなんでもないおじさんが、高瀬の彼氏でもなんでもない男子高校生に高瀬の将来を託すというよくわからない時間が流れた。  その数分後、高瀬が柿谷を最寄り駅まで送るということで、二人はその場から去った。  「今日はどうだった?」  駅までの道すがら、高瀬は柿谷へありきたりな質問をした。  「うーん、やっぱり俺には向いてないかな。少なくとも楽しくはなかった。」  「まあ、やってる最中からあれだけボランティア活動をこき下ろしてるような人が楽しめるはずもないよね。」  「高瀬は?」  「え?」  「高瀬は楽しかったのか?」  唐突な切り返しに、一瞬ひるんでしまった高瀬であったが、自分の気持ちを丁寧に説明しようと、ゆっくり口を開く。  「楽しい、とはちょっと違うかもしれないけど、やっぱり好きでやってるから毎週参加してる訳だし、そういう意味では楽しんでいるのかもしれない。」  「どういう所がいいの、ゴミ拾いの?」  「どういう所・・・さっきも柿谷くんが言ってたけど、やっぱりゴミ拾いに限らずボランティアなんて、所詮は自己満足なんだよね。実際私はそんな活動に参加をして、勝手に清々しい気分になっている。でも誰かのためになってるはかわからないけど、悪いことはしてない。悪いことはしないで勝手に清々しい気分になる分には、まあいいのかなって、そう思ってるから毎週ゴミ拾いに参加してるかな。」  「なるほどね・・・」  満足したのかしてないのか、納得したのかしてないのか。何とも言えない表情で、柿谷は高瀬の主張を咀嚼する。  「とにかく、柿谷くんがハマらなかったなら、ボランティアの線は消して、なにか他のことを探した方がいいんじゃない?」  「他の線って、具体的な作戦はあるんすか?」  「作戦って言われても・・・」  敬語を使って下手に出られた所で、ポンポンと提案が出てくる訳ではない。  「私が今思いつくのは、色んなフィクションに触れるってことぐらいかな。」  「フィクションに触れる?」  「うん。映画、ドラマ、アニメ、漫画、小説、なんでもいいけど、自分が夢中になれるものとか、好きなものを探すのに、憧れって感情は物凄く重要だと私は思う。だけど実在する様々なジャンルの人間を全員追いかけるのは現実的に不可能だから、程よくまとめられたフィクションに触れることで、柿谷くんにとっての憧れとか、これをやってみたい、こうなりたい、とかで好きになれるものを見つけられるかもしれない。もちろん、映画鑑賞とか作品を追いかけること自体に夢中になるのもいいと思うし。」  「・・・高瀬がそういうなら、試してみるしかないな。」  「もっとも、事実は小説よりも奇なり、なんて言葉の通り、柿谷くんの人生よりも面白い出来事がフィクションの中に存在する保証はどこにもないけどね。」  「うだうだ言ってもしょうがない。俺が高瀬に協力してくれって頼んだんだし、その高瀬の提案なら信頼できる。」  相変わらずの過大評価に、高瀬は多少の居心地の悪さを感じざる得なかったが、柿谷は上手くいかないことで他人を責めるような人間でないことも既に理解していたため、あまり気にしないようにした。  その後は駅に着くまで他愛もない話をしていた二人だったが、突然柿谷が妙な事を口走った。  「高瀬って、どうして学校であんな感じなんだ?」  「あんな感じって・・・それだけじゃわからないよ。」  今回ばかりは高瀬も柿谷の言わんとする事を理解していたが、あえてとぼけ、すかしてみせた。なぜそんなことをしたかと言われれば、特に理由はない。  「今日こうやって高瀬が普段暮らす町に来て、高瀬を知るおじさんおばさんと少し話したが、みんな高瀬に対して真面目だとか、人当たりがいいだとか、かなりいい印象を持っていた。これは一朝一夕で積み上げられるものじゃない。」  「それは、私が大人と接するのがちょっと上手なだけだよ。こう見えて、意外と先生と仲良くなるのも得意なタイプだし。」  「まあ確かにそれはあるかもしれないな。町内会でボランティアしている高瀬は学校で見ている時とはまるで別人だ、って言うほど豹変している訳でもないし、明るいとか活発だとは誰も言ってなかったからな・・・ただ、少なくとも友達を一人も作らず、教室の隅でじっとしていることを強いられるまで人付き合いを苦手にしているようにも見えない。」  「・・・結局何が言いたいの?」  「いつまで経っても誰とも会話をしないっていうのは案外目立つもんだ。高瀬ならそんな脚光の浴び方を好むとも思えないし、本当に目立たず静かに過ごしたいなら適度に人間関係を構築する方が懸命だ。俺が知り合ってから話をしたり、今日の様子を見る限り、高瀬ならそれぐらい難無く出来るだろう。なのに高瀬はそうしない。それはなぜだ?」  柿谷は一体どんなつもりでこんな質問を高瀬にぶつけてたのだろうか。一歩間違えれば他人に踏み込まれたくない領域、俗に言う地雷と踏んでしまうことになり兼ねないこの行為を、遠慮する様子も心配する様子もなく平然と言ってのけた彼の瞳に映し出された感情は、ただ一つだけだった。  それは、単純な疑問だった。やりたくても出来ないならともかく、出来るのにやらないという行為は、柿谷にとっては全く理解し難い境地であった。もちろん、本当に高瀬が出来るのにやっていないのかどうか、柿谷には知る由もないのだが。  「・・・中学時代のいじめ。」  柿谷の質問を少しの沈黙で消化した高瀬は重い口を開き、続きを語った。  「私が小学校から友達だった子が、中学校に入ってからいじめにあったの。そこで何があったか、今でも口にしたくない様な酷い仕打ちを受け続けた彼女は、結局どこか遠くの学校に転校してしまった。でも私は、彼女がいじめを受け始めてから転校するまで、何もしてあげられなかった。自分に矛先が向くのが怖くて見て見ぬ振りを続けてしまった・・・それから私は人付き合いが怖くなったの。もし関わった誰かの身が危険に晒されても、きっと私はまた何も出来ない。だったら初めから関わらなければいい。私には、友達を作る資格がないんだよ。」  「ふーん。」  高瀬が意を決して話した体験談に、柿谷は一切の興味を示す様子もなく適当な態度で聞き流した。  「ふーんって・・・結構ヘビーな話をしたと思うんだけど、もうちょっとましな返事はないの?」  「ましな返事をしたかって、そのいじめを受けた女の子の苦しみや高瀬の罪悪感が晴れる訳でもないだろう。それに・・・」  「それに?」  「・・・いや、なんでもない。」  珍しく煮え切らない態度を見せた柿谷の姿に、高瀬は思わず声を出して笑ってしまった。  「え、なに?急にどうした?」  「はははっ・・・・いや、わかるよ・・・きっと柿谷は、私の話がテンプレートなエピソード過ぎて、あんまり心に響かなかったんでしょ?でもいじめにあった女の子や私の心境を考えると、馬鹿正直に自分の気持ちを喋っちゃうとひんしゅくを買うと思ったら、あんな変な感じになっちゃったんでしょ・・・あー、おかしい。」  戸惑いを隠せない柿谷に対して、ようやく落ち着きを取り戻し始めた高瀬が、涙を拭いながらネタばらしをする。  「さっきの話は全部嘘。私の中学時代の友達がいじめにあったことなんてない。そもそも中学時代から私に友達なんていなかったし。」  「そうだったのか・・・やけに陳腐な話だとは思ったんだんだけど、まさか本当に作り話だったとは・・・」  がっくりと項垂れ息を吐いた柿谷は、より一層遠慮なく感想を述べた後、話を本筋に戻した。  「でもそのいじめの話が嘘なら、なぜ高瀬が友達を作らないのかの理由がますますわからない。」  不思議がる柿谷に対して、高瀬は少し口角を上げながら答えた。   「これが映画やドラマなら、さっきのいじめのような明確な動機があるのかもしれないけど、現実はそんなにわかりやすいものじゃない。私に友達がいないのだって、頑なに友達を作ることを拒否しているからじゃなくて、あなたが友達になりたいなら友達になってあげてもいいけど、みたいな上から目線を続けていたら誰も友達になってくれてなかったってだけの話。でも今更自分からすり寄っていくのはちょっと恥ずかしいでしょ?だから結局教室の隅で静かにしているの。まあ大人数でワイワイやるよりも一人の方が好きって気持ちもない訳じゃないけど、人付き合いに興味がないなんて偉そうなことを言うつもりはないよ。」  「うーん・・・そんなものなのか。」  腑に落ちない柿谷は、首をひねりながら頭を掻く。  「そういうところだよ。」  「え?」  「柿谷くんは何事にも理屈を求めすぎ・・・まあ、私もどちらかと言えば理屈っぽい方だからわからなくはないけど、人の気持ちなんて大抵なんとなくとかその場の勢いで変わるもので、理屈で動くことの方が少ないんだから、他人の行動や態度を深く考え過ぎるなんて疲れるだけだよ。」  知ったような顔で講釈を垂れる高瀬であったが、この発言は自分自身に言い聞かせる意味合いもあった。  なぜ柿谷が自分を頼るのか、高瀬は未だ真意を理解はしていない。けど、考え過ぎてもしょうがないのだ。柿谷が自分を信用し期待してくれているのだから、その期待に答えられるように最善を尽くす他、高瀬に出来ることはない。                                             
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