五話

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五話

 「うそ、それ本当なの?」  帰り道、隣を歩く柿谷から山崎の蛮行を聞いた高瀬は、思わず大きな声をあげる。  「ちょ、静かに・・・そんな大声出さないで。」  「静かにって、寧ろそれだけのことをされたのによくそんな飄々としてられるよね。」   感心というよりも呆れた様子の高瀬は、事の重大さを柿谷に説こうとする。  「柿谷くんの話を聞く限り、もはやこれは先生に相談どころか警察に相談する案件だよ。事件だね、事件。」  「そこまでじゃないだろ。実際なんだかんだこうして無事逃げ切れた訳だし。」  「逃げ切れればいいって問題じゃないでしょ。そもそも、今は逃げられてるかもしれないけど、いつまた襲われるかもわからないじゃん。クラスメイトの自宅や行動パターンなんてその気になれば簡単に調べられるし、夜道一人でいるところをブスリ、なんて可能性も否定は出来ないし・・・」  「流石に山崎もカッとなってやっただけだと思うよ。こうやってちょっと時間を置けば頭だって冷えるだろうし、もうこんなことはしてこないだろう。」  妙に楽観的というか、山崎を擁護しようとする柿谷に高瀬は違和感を抱く。  「なんでそんなに山崎くんを庇おうとするの?柿谷くん、殺されかけたんだよ?」  「いやー、殺そうとは思ってないでしょ。」  「ほら、そういうとこ。私の言うことよりすぐ楽観的な見方をする・・・大体山崎くんに殺意がなかったとしても、頭に血が上って震える手でカッターナイフ突きつける人が、殺さない程度に痛めつけるなんて器用な真似はずがないよ。実際問題、柿谷くんは間違いなく殺されかけたんだよ。」  それでもなお、柿谷は苦笑いを浮かべヘラヘラとしている。  こんな様子で大丈夫かな・・・本当に心配になってきた。  「とにかく、柿谷くんが何と言おうと明日の学校で私から先生に話をしておくから。柿谷くんはちゃんとご両親にこの事を報告しておいてね。無いとは思うけど、こういう事件で周りの人間に危害が及ぶケースもあるし。」  くどくどと高瀬が世話を焼いても、柿谷は一向に緩んだ口元を戻そうとはしない。  「柿谷くん、ちゃんと聞いてる?」  「あのー・・・」  どことなく申し訳なさそうに口を開く柿谷。  「自分の両親は既にこの世にいないんですけど、どうすればいいですか?」  やってしまった。言葉を失う高瀬と、変わらず口元を緩めている柿谷。二人の間にはしばしの沈黙が訪れる。  「あー、別に気にしなくていいよ?俺の親が存命かどうかなんて高瀬は知らなくて当然だし。」  柿谷は本心を打ち明けているのだろうが、どうしても気遣いに聞こえてしまい、二人の間にさらなる気まずさが増していく。ただあまり黙り込んでしまっても余計に雰囲気を悪くしてしまい、また柿谷に気を遣わせてしまう。高瀬は心の中で柿谷の両親の冥福を祈りつつ、話を続けた。  「えっと、じゃあ、柿谷くんは今一人暮らしなの?」  「ああ。中学までは父親の弟、つまり叔父さんにあたる人が俺の面倒を見てくれていたんだけど、叔父さん結構自由人っていうか変わった人で、高校生になったんだから一人暮らしぐらいしろ、金の面倒は見てやるから、ってどっか行っちゃったんだ。」  「柿谷くんを追い出すんじゃなくて自分が出ていくのは中々斬新・・・確認なんだけど、柿谷くんのご両親はどれくらい前に亡くなられたの?」  「正確には忘れたけど、俺が保育園に行ってた時だから十年以上前だな。だから正直、両親の死に悲しみを抱けるほど思い入れがないっていうのが本音かな。」  平然と言ってのける柿谷に、高瀬はまた言葉に出来ない哀愁のようなものを感じ取ってしまった。  そうこうしているうちに駅に着いた二人。  「本当、夜道とか気を付けてね。しばらく夜は近所のコンビニでも行かない方がいいよ。」  「なんかそれ、男の俺が言われることじゃない気もする。」  締まりのない挨拶を済ませ、高瀬が柿谷に背を向けた瞬間、柿谷はあ、と大きな声を出す。  「なに、どうしたの?」  振り返った高瀬は、心配そうな顔で柿谷に尋ねる。  「定期とか財布入れたカバン学校に置いてきちゃった・・・電車乗れない。」  舌を出し、お茶目な顔でおどける柿谷に、高瀬はため息をつきながら財布を取り出し、黙って千円札を渡した。  まずいことになった。高瀬が一番懸念をし、そして避けたいと考えていた事態が、まさに今起こっている。  ざわ・・・ざわざわ・・・ざわ・・・  後ろ指を差され、噂話をされている気配が背中で感じ取れる。これは決して高瀬の自意識過剰などではない。間違いなく今、隅っこで静かな高校生活を過ごしていた高瀬が、クラスで一、二を争う注目人物となっていたのだ。  山崎が柿谷に刃を向けたあの事件から一週間の時が過ぎた。あれから柿谷の身に危険が及んだことはないが、山崎は欠席が続いている。宣言通り、事件の翌日事の詳細を担任に話した高瀬であったが、山崎が学校に姿を見せないことや柿谷の意向もあり、基本的には大事にしないで経過を観察するという運びになった。  ただそれでも、テスト直前にあれだけ不気味な様子を周囲に晒し、テスト結果が判明した後から欠席を続けているという状況から、クラス中が心配と言えば体よく聞こえる憶測を流していた。気づけば、柿谷という太陽に近づき過ぎて、羽を焼かれ地の果てに堕ちていったイカロスの山崎。そんな揶揄が広まっていた。  さて、ここまでは事件のその後について記した訳であるが、高瀬を悩ませているのはこのことではない。  確かに高瀬は、山崎と柿谷双方への敬意を欠いたイカロスと太陽の揶揄を快くは思っていなかったが、それ以上の問題を抱えていた。  事件のあったあの日高瀬は、帰り道の途中で英語の提出課題を出し忘れていることに気がつき、学校へと引き返した。一癖ある英語の教科担当は、代表者が提出課題をまとめ職員室まで持ってくる、という手法にこだわっており、この方法以外、つまり代表者に渡しそびれた個々人が直接職員室に持って行ったところで受け取ろうとはしない。今回はその代表者が柿谷だったのだが、高瀬は柿谷がまだ提出課題を運んでいない僅かな可能性にかけて教室の扉を開いたのであった。  そして、あの瞬間が訪れた。  わざわざ引き返してまで持ってきた英語の提出課題を地面に落しただけでなく、柿谷に手を引っ張られる形で校内を走り回ってしまった。帰りのHR終了直後でなかったので既に部活動が始まり、それ以外の生徒は帰宅をしていたため校内にはそれほど多くの生徒がいた訳ではないが、柿谷という嫌でも目立つ存在と行動を共にすれば、僅かな目撃情報だけでも十分に話は広まる。  高瀬と柿谷、どうやら関係があるらしいぞ。  そんな噂は一瞬にして周知の事実となり、高瀬は友達がおらず目立たないことが特徴の陰気女子高生から、学校一のスーパースターをたぶらかす玉の輿狙い女へと変貌していったのである。  まさかここまで予想通りの展開になるとは・・・あー居心地の悪いっ!  今までは静かに食べられた昼ご飯も、クラスの中では気持ちが落ち着かず箸が進まない。高瀬は一人になれそうな場所を探して学校内を徘徊する。  柿谷と親しくすることで、あらぬ疑いをかけられる。特に人気者の男に手を出した一人が他の女子から総スカンを食らうというのは、あまりによくある話であり、高瀬がもっと懸念していた事態だ。特に今回は退部という一際目立つ行動と高瀬が柿谷と親しくなった時期が重なり過ぎている。このままでは同性の嫉妬はもちろん、野球部の甲子園出場を熱望していた人間からの嫌悪を買う可能性がある。  柿谷の行動により、より身近な人間に危害が及ぶ。奇しくも今泉が柿谷へ行った忠告が現実のものとなろうとしていた。無論、高瀬は柿谷と今泉の会話を知る由もないのだが。  小一時間ある昼休みの半分近くを費やし、高瀬はようやく一人になれそうな、体育館裏に設置してあるベンチを見つけ出す。腰を掛けひと息ついた後、食べかけの弁当箱を開く。  遅かれ早かれ、こうなることはある程度予想が出来た。高瀬は柿谷に協力をすることを決めた時から、覚悟を決めてはいた。例え厄介事に巻き込まれたとしても、柿谷の力になりたい。そう思っていたのだ。  きっとこんな話をすれば、高瀬が柿谷に対して恋愛感情を抱いていると多くの人は思うだろう。高瀬もそれを否定するつもりはない。ただ一つ、それ以上に高瀬が抱いている感情は、自分以外にこの役割を果たすことは出来ないのではないかという使命感であった。  高瀬であっても、柿谷という人間を完全に理解は出来ていない。寧ろわからないことばかりで、野球部の退部にしても高瀬個人の意見を言えば辞めない方が良かったと思っている。  それでも柿谷が、もがき、苦しみ、それでも自らの苦労は他人に打ち明けるべきではないと背負い続けていた中で、ようやく高瀬という頼れる人物を見つけたという多少の解放感を得ているのを、高瀬もまた感じ取っていた。だからこそ、少しでも力になりたいと思っているのだ。    きっと私が力にならないと、柿谷くんはまた出口の見えない世界で一人戦うことになる、せめて私が出口を見つけられなくとも、懐中電灯ぐらいにはならないと。  辟易する状況でも自分を奮い立たせるために決意を新たにしていると、風に揺れる木々の音以外に雑音のないこの場所に、靴が砂利を踏みしめる音が近づいてくる。  「高瀬さん、ちょっといいかな?」  やってきたのは、以前までよく柿谷の周りにいた、所謂クラスカースト上位の女子三人である。三人はそれぞれ高瀬の正面と両隣に立ち、逃げ道を塞ぐ。  「高瀬さんさあー、結構柿谷くんと仲良くしてるみたいだけど、二人はどんな関係なワケ?」  正面に立って高瀬を見下ろすようにしているショートカットの女が、単刀直入な質問をぶつける。  「ど、どういう関係もなにも、ただのクラスメイトですよ・・・」  こんな少女漫画にありそうなワンシーンに、自分がメインキャストとして遭遇している緊張感から、高瀬は動揺を隠しきれず声が上ずる。  「ふーん・・・」  明らかに高瀬の話を信用していない正面の女は、高圧的な態度のまま続ける。  「じゃあ高瀬さんは、ただのクラスメイトと手をつないで校舎の中を一緒に歩いたりするんだ。」  「あ、あれは偶然で」  「偶然?だったらどんな偶然があったのかちゃんと説明してよ。」  「・・・」  高瀬は言葉に詰まる。ここで正面にあの事件の話をしたとしても、荒唐無稽だと言われ信用されないだろう。仮に三人が話を信じたとしても、今度は柿谷に迷惑がかかる。ただでさえ山崎との関係性から好き勝手言われているというのに、これ以上の負担を柿谷に強いることは出来ない。  「ちょっと、黙ってないでなんとか言ったらどうなの?」  ならば、この場を上手く切り抜ける方法はなんだ?いや、上手く切り抜けるなんて出来るはずがない。こんな高圧的で威圧的な相手とやり合うことが出来るのなら、高瀬にも一人か二人ぐらいは友達が出来ている。柿谷は高瀬のコミュニケーション能力に一定の評価を寄せていたが、基本的に高瀬は弁の立つ人間ではない。  「言っておくけどね、柿谷くんはあんたみたいな人間がちょっかい出していい人間じゃないの。あんたが柿谷くんの周りをうろちょろするようになったのと同じ時期に、彼は野球部を辞めている。それから、柿谷くんは前とは変わってしまった・・・あんた学校内、いや全国から注目を集めるような人をおかしくさせたのよ?それがわかってるの!」  正面にいる女が声を荒らげた瞬間、高瀬の頭でプチンッ、という音が鳴った。高瀬は支配され続けていた緊張から一気に解放され、それでいて興奮する訳でもなく、極めて早いスピードで脳が回転を始める。  「いや、あなたたちが本当の柿谷くんを知らないだけで、もとからおかしな奴だよ、柿谷くんは。」  「はあ?ちょっとあんた、なにふざけたこと言って」  「だってそうでしょう?私と柿谷くんはあなたたちが思う関係ではないけれど、もし仮に万が一何かの間違いでそういう関係だったとしても、それが何より柿谷くんの変態具合を証明することになるでしょ。」  ポカンとしている三人の女に、高瀬はなおもまくし立てる。  「いい?あなたたちが柿谷くんのことをどういう風に思っているのかは知らないけど、客観的に見て私よりもあなた達の方が異性として、友達として、人間として魅力的なのは間違いない・・・もし柿谷くんがあなたたちの誰かではなく私を選んだのだとするなら、それはあなたたちじゃなくて柿谷くんが異常なだけ。その異常性を私のせいにしないで欲しいな。」  「さっきから黙って聞いてれば・・・私はね、他でもないあんたが柿谷くんをおかしくさせたって言いたいのよ!」  「こんな陰気臭い女に狂わされるならその程度の男だってことでしょ?」  興奮する女とは対照的に、冷酷な程落ち着いた様子できっぱりと言い切る高瀬。  「大体ね、あなたたちは自分を過小評価し過ぎ・・・美しい容姿を持って、愛嬌があり、勉強だって出来る。なのにそんなあなたたちの素晴らしさを理解しない変態野郎に入れあげるなんて、時間がもったいないと思わないの?神童も二十歳過ぎればただの人、ってね。今でこそちやほやされる柿谷くんも、五年後十年後はどうなるかわからない。一人の男にこだわるよりも、男だけじゃなく色んな場所から求められるように自分を磨いた方がよっぽど生産的じゃない?」  矢継ぎ早に繰り出される正論の数々に、女たちは自分の立場を見失う。  今自分たちは褒められたのか?それともはぐらかされたのか?そもそもなぜここにきたのか?急に崩れた足場に飲み込まれ、三人の身動きが取れなくなる中、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。  「・・・いこっ」  高瀬の前に立っていた、ショートカットの女が早足でその場を立ち去ると、後の二人もその動きに追随した。その後ろ姿を見送り、我に返った高瀬は、自分が尋常じゃない量の汗をかいていることに気がつく。  火事場の馬鹿力というやつであった。自らの話に聞き耳を持たない人間と対峙し、可能な限り平和的な解決を模索する中で、高瀬の脳は覚醒をした・・・と言えば聞こえがいいかもしれないが、実際の発言を振り返れば、自分を卑下し、相手を持ち上げるということを繰り返しただけだ。ただそれだけのことでも脳は多量のエネルギーを消費し、既に午後の授業を受ける体力が高瀬には残されていなかった。  それでも、高瀬には清々しさのようなものがあった。もちろん、高圧的な態度の女に一泡吹かせてやったという気持ちもあるが、それ以上に柿谷に対する鬱憤のようなものを吐き出せたような気分になっていたからだ。  戦いの勲章である汗がひいてきた頃、高瀬は人生で初めて授業をサボり、残っている弁当を食べ続けた。    「おい、高瀬って奴はこのクラスにいるのか?」  縦にも横にも体が大きい坊主頭の人相悪い男子生徒が、クラス中に聞こえる声で自分の名前を呼んでいる事実に、高瀬は肩を震わせる。  「あ、あのー、高瀬は私ですけど・・・」  「あんたが高瀬か。ちょっと話があるから来てくれや。」  前日にクラスカースト上位の女子に包囲されるという修羅場をやっての思いでくぐり抜けて迎えた今日。またしても食事が喉を通らない気が滅入る昼休みを過ごすはめになりそうだと、高瀬は心の中でため息を漏らす。  「ここなら、誰かに邪魔されることもないだろ。」  大柄の男についてきてやって来たのは、奇しくも昨日と同じあのベンチだった。さらに気落ちする高瀬を、大柄の男はベンチに座るよう促す。  「まあ、弁当でも食いながら気楽に聞いてくれ。」  「は、はあ・・・」  あんたみたいな怖い顔が横にあったら食欲もなくなる・・・なんて言えばどんな恐ろしい仕打ちが待っているか想像もしたくない高瀬は、座るとすぐに弁当を取り出し、箸を動かす振りをする。  「あんた、俺が誰かわかるか?」  高瀬が弁当を食べ始めた(正確には食べる振りを始めた)のを確認した大柄の男は、少し距離を空けて高瀬の横に座り質問をした。  「・・・野球部の田辺、くんですよね?」  「おお、知ってたのか。」  少し笑みを浮かべたように見えなくもない田辺。だがその笑みに高瀬の心が穏やかになることはない。  「実は、あんたと柿谷が付き合ってるって話を小耳に挟んでな・・・」  ああ、またこの話か。ついに高瀬は隠すことなくため息を漏らした。  田辺は柿谷の幼なじみで、柿谷に野球を始めさせた張本人だと聞いている。きっと昨日の女たちと同様に高瀬が柿谷をおかしくさせて、野球を辞めさせたのだと考えているのだろう。柿谷を野球の道に連れ込んだ田辺は、昨日の女連中にも増して高瀬に対して憤りを覚えているに違いない。  そう考えていた高瀬には、全く予想していなかったの言葉が田辺の口から飛び出す。  「頼む、柿谷のことを幸せにしてやってくれ。」  真剣な表情で、真っ直ぐこちらの目を見てそう言った田辺に、高瀬は昨日と全く別の動揺を誘われる。  「ちょっと待って。突っ込みどころが多過ぎてどこから手をつけていいのかがわからないんだけど・・・」  柿谷と高瀬が付き合っていないというのは言うまでもないが、仮に付き合っていたとして、なぜそんな結婚前に相手の父親から言われるような言葉を今ここで田辺からかけられるのか。そもそもこういう台詞は新婦の父親が新郎にかけるような言葉であり、女の高瀬に友人の田辺がかける言葉ではない気もする。  結局高瀬は、交際の事実はないという根底の否定をして、余計な説明を省いた。  「なんだ、付き合ってないのか・・・」  いとも簡単に自分の話を信じる田辺を見て、なぜか高瀬の胸に妙な不安が高まってくる。  「あのさ、信じてくれるのはありがたいけど、そんなに簡単に信用して大丈夫?私が嘘をついてるかもしれないのに。」  「え、なに?あんた噓ついたの?どうして?」  「・・・ごめん、今の話は忘れて。噓ついてないから。」  これまでのやり取りを踏まえ、高瀬はここで一つの確信を得る。  ちょっとアホなのが玉に瑕だけど、田辺くんは基本的にめちゃくちゃいい人だ。  昨日とは話し相手の態度や目的が違うことを理解した高瀬。ようやく緊張も解れ自然体で話を進める。  「田辺くんは、なんでわざわざ柿谷くんと付き合ってる噂が流れた私を呼び出して、幸せにしてやってくれ、なんて伝えようと思ったの?」  「なんでって言われても・・・柿谷には友達として幸せになって欲しいから、としか言いようがないけど。」  「もし本当に私と柿谷くんが付き合ってたら、それが原因で野球を辞めた可能性だってあるのに、どうして純粋に応援が出来るの?」  「もし女と野球を天秤にかけて女を選び野球を辞めると決めたのなら、柿谷にとっては野球より女の方が大切だったってだけの話だろ。仮にその女があんただったとしても、責めるのはお門違いだ。」  あっけらかんと言い切った田辺は、さらに続ける。  「俺と柿谷は幼なじみで、尚且つ柿谷に野球を始めさせたのも俺だ。だからこそ、あいつがたいして野球に思い入れがないことも知っていたし、いつかはこういう日が来ることも覚悟はしていた・・・それでも俺は、あいつと甲子園に行きたいと思った。あいつがスポーツ推薦を蹴って公立高校に行くと聞いたから、必死で勉強してこの高校になんとか入学をした・・・同級生や一年には、そんな奴が何人もいる。そして俺や他の奴らは、あいつをチームの顔として常に先頭を走らせ、重圧に晒し続けた。野球が好きで好きでしょうがない奴でも逃げ出したくなるような役割を押し付けた訳だから、野球が好きでも何でもない柿谷が嫌になるのは当然だよな。」  田辺自身もまた、縛られていたものから解放された安堵感を感じさせる表情を浮かべている。  「あいつは間違いなく天才だ。野球に限らずあらゆる才能を持ち合わせている。だが同時に、あいつはいい意味でも悪い意味でも普通じゃない。そんなあいつに好きな女が出来るなんて、極めて普通の幸せが手に入ったのならそれを全力で応援してやりたいと思っていたが・・・そうか、俺の早とちりだったか。」  「なんか、期待に応えられなくてごめんね。」  「でも付き合ってはいなくても、あんたと柿谷はそれなりに親しい間柄ではある訳だろ?まあ、これからの発展に期待しておくさ。」   笑顔でそう語る田辺を、その期待にもおそらく応えられないという言葉を飲み込み、愛想笑いでやり過ごす高瀬。  「ああそうだ、今度柿谷に会った言っといてくれよ。俺たちはお前抜きでも必ず甲子園に出て、辞めたこと後悔させてやる、ってね・・・悪かったな、貴重な昼休みに。」  勢い良く立ち上がった田辺はそう言い残すと、小走りで教室へと帰っていた。  昨日と同じベンチに座り、昨日と同じようにここから去っていく背中を見送る。それでも高瀬の心の中は、昨日と全く違う色になっていた。  「・・・私がいなくても、十分いい友達がいるじゃん・・・」  使命感は少しずつ剥がれ落ち、その空白には寂しさが埋まっていく。こんな気持ちになるぐらいなら、毎日口喧嘩の相手をした方がましだと、この時の高瀬は本気で思っていた。                               
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