1832年、夏

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 ……「まあ、F・カール。あなたも遊びに来たの」  (マリー・ルイーゼ)は、一人だった。彼女の息子は、温室の向こうの砂場にいるという。  ……「行ってらっしゃい、私の可愛い息子」  蕩けそうな声で、義母が言った。F・カールの新しい母は、姉とたった5歳しか違わない。父の皇帝の妻となった皇妃は、イタリアのエステ家の血を引く、若く美しい母だった。  皇妃は、子どもたち……叔父と甥の関係だが……を、仲良くさせたいらしかった。  また、子どもらのいないところで、継娘のマリー・ルイーゼと、つもり話もあったらしい。  皇帝と皇妃は、従兄妹同士の結婚だった。新しい皇妃マリア・ルドヴィカと、皇帝の長女マリー・ルイーゼは、子どもの頃から行き来があり、姉妹のように仲が良かった。  ただ、マリア・ルドヴィカは、ナポレオンが大嫌いだった。彼女の実家の領土は、ナポレオンにより、奪われた。彼女の父は、ナポレオンを呪いながら死んでいったという。  マリア・ルドヴィカは、継娘ルイーゼの、フランスかぶれを、どうにかしたいらしかった。  フランス人の従者に取り巻かれ、腕にナポレオンの細密画(ミニアチュール)をつけたマリー・ルイーゼは、オーストリアの皇女というより、依然として、フランスの皇妃だった。シェーンブルン宮殿の、彼らが占拠した一角は、さながら、フランスの派出所のようだ。  フランス帝国は、崩壊したというのに。彼女の夫は、皇帝の座を追われたというのに。  もちろん、12歳のF・カールには、義母のそこまでの深慮はわからない。  しぶしぶ彼は、温室を横切り、砂場へ向かった。
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