夕立ち

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「ねー、お盆休みはさあ、久しぶりに旅行でも行かない?」 「んー……最近仕事忙しくてさ、ひょっとしたら休日出勤あるかもなんだ」   あの時、私から目をそらしながら答えた賢治。確かに、近ごろの賢治は少しおかしかった。でも、まさか。だって前のときあんなに揉めたし私も賢治も泣いて泣いて大騒ぎだったじゃない。だから「雨降って地固まる」そろそろ、結婚、もいいな。なんて思ってたんだよ私。    ねえ賢治、なんでなのどうしてなの。赤ちゃんだなんて、そんな……。  心の中で激しく叫びだす私、でも部屋には女の泣き声が響き渡るだけ。うまく言葉にできなくて、いま一言でも発したら、ひどく泣き叫んでめちゃくちゃになってしまいそうだから私は口を開くことすらできない。  目の前で泣きじゃくる女をぼんやりと視界にいれながら、私の頭の中はまるで走馬灯のようにせわしなく色々なものを映していった。行きつけの居酒屋でたわいもないおしゃべりをしながら笑う私たち。いっしょに買い物いって夕飯つくって作り過ぎて、お腹がはち切れそうになるまで食べる私たち。とろけるキスと吐息と私のからだをさまよう賢治の指、しがみついて求めあって満たされる。  でも、賢治の指がふれたのは、私だけではなかった。  ずるい賢治は相変わらず黙ったまま、一言も発しない。  その時、私はなんだか急にふっと、体じゅうの力が抜けたような気がした。と同時に、もう一人の自分が上の方から私たち三人の様子を冷静に見ている、そんな感覚におそわれた。すべての感情は心から切り離され、ただそこにある事実のみを淡々と見つめる私。  うなだれて動かない賢治、とめどなく流れる涙をぬぐいもせずひたすら泣き続けるシフォンワンピースの女、焦点のさだまらない目で前方をぼんやりと見つめる、魂の抜けたような自分。三者三様の在りようがなんだか滑稽で、まるでパペットショーでも見ているかのよう。すると今度は、二人の心の声が聞こえてきた。 (やっぱりあたしの方が若くてかわいい、賢治はぜったいあたしを選ぶはず)(この彼女(ひと)無表情でこわい。はやく認めてよ、もう手遅れなんだから)(あたしと賢治は運命よ、だから子どもだってできたんだし)(賢治、ほらこのワンピース好きでしょ、フワフワしてあたしによく似合うって。ガリガリのギスギス女よりいいでしょ) (かんべんしてくれよ。こういうの苦手なんだよ、いつまで泣くんだろう)(はやくこの場から逃げ出したい)(ああ、まいった)(ついにバレた、でもいきなり家まで来るなんて反則だろ!?)(子ども、子ども? ゴムしてたのに)(でも検査結果は俺も見たんだよな)(ああもう、俺どうしようもないじゃん)  頭の中に流れこんでくる二人の、とくに賢治の勝手な心のうちを聞くにつれ、私の気持ちは青ざめるほどに冷めていった。  ……なんか、もう、いいや。  こんないいかげんな男に構ってなんかいられない。私はなんだか、急に目が覚めたような気がした。お腹を右手でかばうように押さえながら泣き続ける女の、涙が。私に冷静さを与えた、とも言える。  
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