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宮西君
五月十一日
昼休み、廊下を歩いていたら突然激しい雨が降ってきたので、俺は思わず足を止めたんだ。しばらく窓を叩く大粒の雨を眺めていた。窓には、たくさんの水滴がはりついていた。
そしたら、誰かが後ろから声をかけたんだ。
「すごい雨ね……」って。
振り向いた俺ははっと息をのんだ。そこには、ひときわ大きな瞳にまばゆいばかりの笑顔の女子が立っていた。
俺の心臓は一瞬止まったのかと思った。視線に驚いたのか君はまぶしげに目を細めた。
気がついたら、笑顔の君は歩き去っていた。俺は追いかけた。君を尾行した。肩先で揺れる黒髪を視界に一定の距離をとりながら後を追った。君が誰なのか知りたかったんだ。一年生だということは推測できた。
手首にグリーンのバンドの時計をしていた。真新しい灰色のスカートに紺のジャケットがよく似合っていた。その制服に規律違反はなかった。髪も真っ黒で歩くたびに揺れていた。
「イズミ、さっきユキがさがしてたよ」通りすがりに、誰かがそう声をかけた。
そのとき初めて俺は君の名を知ったんだ。君がイズミだってこと。ただ、それが名前ではなく泉美という名字だと知ったのは後になってからだ。泉美は一年四組に入っていった。
あれ以来、明けても暮れても俺は泉美のことを想い続けている。笑顔の泉美が脳裏に焼き付いて離れない。
あのとき泉美が笑顔だったのは、きっと俺がこっけいだったからだ。あんなところで降りしきる雨を眺めているやつなんていないのだから。
もしかすると俺は誰かに声をかけてもらうのを期待していたのかもしれない。泉美のような誰かに声をかけてもらうのを待っていたのかもしれない。
俺は潜在意識の中でひそかにその人を、このときを、この十七年間待っていたのかもしれない。
そう綴られていたのが、五月十日の日記だった。私のことが書かれている。なぜ、私のことを書いた日記帳がここにあるのだろう。本当に宮西君が書いた日記なのだろうか。
それにしても、日記だというのに小説みたいにカギ括弧で会話文が入っている。誰かがいたずら目的で書いたのだろうか。でも、あの雨の日の廊下での出来事は宮西君と私しか知らない。
宮西君が書いたのだとしたら、彼がここに来て引き出しの中に入れておいたのだろうか。いったいなんのために日記帳をこの引き出しの中に入れたんだろう。その真意をはかりかね私はしばらく考えあぐんでいた。
続きを読んだ。
野球部の部活のことや、彼の親しい友人のこと、家族のことなどが毎日のように綴られている。彼には兄弟がいないので、兄や弟のいる友人のことが、うらやましいらしい。私も一人っ子なので同感だ。
最初の日記からおよそ一ヶ月後のページだった。興味深いことが書いてあった。再び、私のことが綴られていた。
六月十日
野球部に篠崎という一年生の後輩がいる。グラウンドには、いつも白球を追う篠崎の姿があった。
彼は先輩に対して常に礼儀正しい。小柄だが足が速い。運動神経も抜群だ。それに熱心だ。練習が終わると自分から率先してトンボを引きずってグラウンドを整備している。
彼はなんと泉美と同じ一年四組だったのだ。それを知った俺はありとあらゆる泉美に関する情報を彼から引き出していた。
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