1人が本棚に入れています
本棚に追加
「青果売場の人が、あんたの連絡先を教えて欲しいって……」
私は着替えに忙しい。
「あんたのこと好きみたいだよ。どうする?」
「どうするって、そんな人知らねえし」
第一、私は青果売場の人たちと言葉を交わしたこともない。
「マジで言ってんの? あの、青果の中で一番若いイケメンだよ」
声をひそめて里沙子が、どうする? どうする? と耳元でささやく。
「断っといて」
「本気かあ!」と大声。
「うわああ、ばか、耳元で叫ぶな!」
里沙子は笑みを浮かべ、なぜか妙に納得したような顔をしていた。何かたくらんでいる。きっと、ろくなことを考えていない。
結局、里沙子は私のではなく自分のメールアドレスをその人に教えた。里沙子は、意中の人がいると言っていたがその人のことだった。彼女は私になりすましてメールのやりとりをしていたのだ。自撮り写真を欲しいと言われて私の写真を送った。やがて、里沙子はデートの約束をしてしまった。でも、現れたのが私じゃなかったので、すぐに振られた。
この話を母にしたら、作り話だと言って笑った。いつもの中二病だと言って笑った。私がもてるということが気に入らない。母は私が器量がよくて、魅力があって、もてるということを決して認めようとしない。
でも、残念ながら、母が言うようにその話は創作だった。ちくしょう、それを見抜かれたことがくやしい。どこからどこまでが創作かは教えない。もっとも私でさえ曖昧なのだから、知りたかったら里沙子に訊いてください。
長いこと親子関係を続けているので、母は手の内も心の中もだいたい把握している。
とにかく、高校生の私を今が一番いいときだと誰もが言う。
でも、そんな貴重な青春を謳歌しているはずの私の毎日は、何事もなく淡々と過ぎていく。
この病院はとても古い。これまで数え切れないほどの病人が、入れ替わり立ち替わり入院しては退院していった。
最初は白かっただろう天井は、すすけて黒ずんでいる。
ベッド脇のサイドテーブルは年月に磨かれて輝いている。天板に無数の傷がつき、角は丸くすり減っている。入院したとき看護師さんがそのサイドテーブルを指さして「しょうとうだい」言った。
最初のコメントを投稿しよう!