描けない少女と犬の探偵

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描けない少女と犬の探偵

「これ、夢だよねぇ……」  寄せては返す水際で、私は茜色の景色を見ながらぽつりと呟いた。  頼りない声が、ゆったりした波音に吸い込まれる。  突っ立ったまま半笑いでひとり言なんて大分変だなと自分で思う。  だけどそれも仕方ないのだ。  こんな場所、見た事も無ければ、来た事もないのだから。  それに、私はついさっきパジャマで布団に入った筈である。  なのになぜこんな場所にいるのか。考えても答えは一つだ。  あれだわ。  寝てる筈なのに意識があるっていえばこれしかないよね。  うん。きっとそうだ。  私は押したり引いたりする水を見ながら確信していた。  これはたぶん、私が見ている夢の景色なんだろう。  白く薄い霧のかかった水面に夕日が差す光景はとても綺麗だけど、生憎目を覚ましてはいないらしい。 「おっきな湖……」  琵琶湖ってこんな感じかな、行ったこと無いけど。と巨大な湖面を眺めて思う。  水は澄んでいて、お世辞じゃなく凄く綺麗だ。透明な水底にある丸い石がよく見える。  霧の立ちこめる湖の周りはぐるりと森が囲んでいて、まるで一枚の風景画のよう。  夢の中とはいえど、綺麗なのはいいなと思う。  まあ、それはそれとして。 「なーんか、妙にリアルな夢だなー……」  立ったまま、右の掌をにぎにぎする。  うん。  筋肉が動く感じとか、指が掌にぐっとくる感じとか、はっきり感じ取れる。  水のにおいもするし、風もわかる。森の香りだって爽やかだ。  ものは試しとほっぺたを抓ってみたけど、なぜかちゃんと痛かった。これはあまり嬉しくない。  夢でくらい無敵になりたかったもんだ。  とか思ったところで、ふとあるものに気がついた。 「あ、家がある」  静かな湖畔の一角に、白霞からぼんやりと浮かび上がる建物が見えた。  まるで湖の上に浮いているようなそれは、陸地から一本の細い桟橋で繋げられている。  よく見ると、どうやらこじんまりした洋館のようだった。  鮮やかな赤煉瓦の外壁に、大小連なる三角屋根。  一際大きな尖塔のてっぺんには、立派な風見鶏が見える。  え。なんか凄く、いい雰囲気の建物なんですけど……!  一気にテンションが上がったあたしは、ぱっとその場から走り出した。  湖畔に佇む洋館。  小説や童話が好きな人なら、絶対にそそるキーワードだ。  それは私も然り。  読むのも『描く』のも好きとなれば、放っておく手はない。  流石私の夢だ。ツボを心得ている。  なんて思いつつ、五分ほど走ったところで―――古い板張りの桟橋に辿り着いた。    白く乾いた木の板はどれも不揃いで、少し歩いてみるとでこぼこしていた。  でも、意外と作りはしっかりしてる。  うん、これなら渡っても大丈夫そうだ。  それに夢なら死にはしないだろうと予想して、私は意気揚々と桟橋を歩いて行った。  橋の下では湖の透明な湖面がちゃぷちゃぷと水音を立てている。  夕暮れに、霧がかった湖、それに素敵な洋館。  最初はちょっと吃驚したけど、今は何だか楽しい。  こんなのは久しぶりだ。近頃はずっと、気が滅入っていたし……。  とと、いかんいかん。  一瞬嫌な事を思い出しそうになって、慌てて意識を切り替える。 「おお、近くで見ると迫力だなぁ。それに造りも凝ってる……っ!」  桟橋の端っこまで来たところで、建物を仰ぎ見て歓声を上げた。    夕日よりももっと色濃い赤が視線を惹き付ける。  二階建ての洋館は下が赤煉瓦、上はハーフティンバー様式で木造になっているようで、軸柱の木材が装飾となりメリハリがきいている。盤目になった窓と窓の間には、白い漆喰が覗いていてコントラストもお見事だ。  ちなみに、今年十四歳の私がどうしてこんな事を知っているのかというと、もちろん小説の影響である。  おかげで親からは子供らしさが無いだとか、頭でっかちとか言われているけど。  好きなもんは好きなんだから仕方がない。  それはさておき、ウキウキ気分そのままに階段を上がり玄関ポーチに入ると、煉瓦の壁面真ん中に、焦げ茶色した重厚な両開きの木製扉があった。ところどころに施された金色の蔓模様が美しい。  四角い硝子部分には金属製の装飾がはめ込まれていて、見るにどうやらドラゴンを象っているようだ。  建物はドイツ風……?  だけどこの紋章みたいのはウェールズの国旗に似てるかな?  少ない知識と照らし合わせ、わくわくしながら扉を開く。  金色の持ち手は真鍮製で、少しひんやりしていた。 「お邪魔しまーす!」  警戒心無く足を一歩踏み入れる。  扉の内側についていたらしいドアベルがカランカラン、と綺麗な音を響かせた。  よもや誰かいたりはすまい。  いたらいたで面白いけど。  とかほんのちょびっとだけ考えたのも束の間。  てっきり玄関ホールが広がっていると思っていたのに、そこには予想外の光景があった。 「はれ……?」  口から間抜けな声が漏れる。  テレビのタイトルじゃないけど、私の目は点になっていた。  なんていうか、色々と想定外だった。  自分の夢なのに。  おかげで一歩入っただけの状態から動けない。    まず見えたのは、壁際にずらりと並んだ天井まである作り付け本棚だ。  合間合間にアンティークな花柄の壁紙が覗いていて、細高い格子窓から夕暮れの光が差し込んでいる。  本棚に並んだ黒字に金銀の背表紙を見ても文字は全く読めないし、何語かすらもわからない。  部屋の広さはだいたい三十畳ほどだろうか。結構広い。  そこまではいい。いいのだが。  予想と違っていたのは、入って直ぐに濃緑の応接セットがどーんと置かれていたり、かと思えば奥には猫脚のライティングデスクが書類のピラミッドで埋まっていたりするところだ。  赤い絨毯の上には転々と足跡みたいに何カ所にも渡って本が積まれていて、時々丸まった紙も転がっている。  アレ絶対書き損じとかそんなのだ。  ええー……なんか理想と違うー……。    やたら雑多な印象の部屋を前に、夢の描き手である自分にがっくりした。  せめて自分くらい自分を裏切らないで欲しい、とか他人事のような思いを抱く。  ただでさえ『描けなくなって』困っているのに、夢ですら描けないとか。  散々にも程がないか。 「……おや、お客さんかな」 「えっ?」  内心ぶう垂れていたら突然、窓の方からのんびりした声が聞こえた。  え、うそ、ほんとに誰かいた!?  そんな予想は当たるのか、内心自分に突っ込みつつ慌てて視線を向けたら―――格子窓の直ぐ下、布張りの椅子に小さな『生き物』が腰掛けているのが目に入る。 「はい……?」  あれ、私の視力ってそんなに落ちてたっけ?  と『それ』を見た瞬間にそんな事を考えた。  散々夢だ夢だと言っていた割に思考は現実的だった。  だってなんか変なのがいるのだ。いくら夢にしたってメルヘンにも程がある妙なのが。  目立っているのは耳の間にあるベージュとブラウンチェックの鹿撃ち帽。  それからトレンチコート。  夕暮れに浮かび上がるシルエットの口元には、パイプらしきものもある。  たぶん日本人なら誰しもが、身体は子供、頭脳は大人的な漫画でも見覚えのある、かの有名な探偵衣装のはず……だが、着ているのは人ではなかった。 「さあ話すといい、君の悩みを。案ずることはない。全て僕が、解決して差し上げよう」  大きな三角耳と黒い瞳のそいつが長い口からパイプっぽいのを離して告げる。  それはどこからどう見ても、胴長短足で愛くるしい――――犬(ウェルシュ・コーギー)だった。
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