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莉子と改札で別れた後、私は水多さんとの待ち合わせ場所に急いだ。莉子と慣れない地下街で迷ってしまったせいで、水多さんの元に辿り着いたのは約束の時間を5分ほど過ぎた頃だった。
こちらに気付いた水多さんが「浅桐さん」と手を振る。私は精一杯の笑顔で水多さんに駆け寄った。私が「お待たせしてすみません」と謝ると、水多さんは「全然待ってないですよ」と微笑んでくれた。
水多さんこと水多暁良は同じ営業所の1年先輩で、爽やかなルックスと人当たりの良さが人気の営業部のエースだ。
さぞかしモテるであろうこの人は、先月の社内の飲み会以来なぜか地味な私に絡んでくるようになった。
莉子は「水多さん、絶対に透和狙いだよ!」と言うが、私にはその話が信じられない。飲み会でもカウンターでドリンクのお替りを待つ間に二言三言の会話をしただけだ。そこからどうして私と食事に行きたいと思うようになったのか理解できなかった。
「すみません、私の都合で待ち合わせ場所もこっちにしてもらって」
「いえ、むしろ俺はこの辺り詳しいので助かりました。大通りにおすすめの店があるんです。行きましょう」
そう言って水多さんが指差したのは、先ほど私が莉子と一緒に歩いて来た地下街の方角だった。
莉子と歩いた場所を今度は水多さんと一緒に歩く。しばらく進むと再びLyric Logicの巨大ポスターが現れた。
「あ、リリロジだ」
隣を歩く水多さんが嬉しそうな声を上げる。私は「リリロジ、好きなんですか?」と無邪気な横顔に尋ねていた。
「好きですよ。浅桐さんもリリロジのファンですよね?休憩室で女性陣とリリロジトークで盛り上がってるの、よく見かけるので」
「あ……はい、私もファンです」
Lyric Logicファンの女子社員は私が働く営業所にも数名おり、休憩時間に情報交換をしたり新曲やDVDの感想を言い合ったりしてよく盛り上がっていた。どうやら水多さんはその光景を見ていたようだった。
「俺の周りにリリロジを語り合えるほど熱心なファンがいないんです。だから浅桐さんみたいな濃いファンと話がしてみたかったんです」
「でも私以外にもリリロジのファンって社内に結構いますよ?立花莉子もそうですし」
「俺は浅桐さんと話したかったんです。あ、こっちから上がったところに店があるんで」
水多さんの手が目的地と違う方向へ進もうとする私を優しく引き止めた。
本音が透ける会話は楽しいものじゃない。リリロジのファンだから話したかったというのも水多さんが私を誘った理由の1つなのだろう。でも最終的には私と関係を持ちたいが本音のはずだ。
面倒だな、帰りたいな……まだ何も始まっていないのに、私はもうこの場から逃げたくて仕方なかった。
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