今日は特別な日だ

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今日は特別な日だ

今日は特別な日だ  例えば、特別な銀行があったとする。そこには毎日0時になると、86400ドルが必ず振り込まれていて、全て自分の自由にしていいお金となる。しかしそのお金は、使い切る・使い切らないに関わらず、必ず1日が終わる時に消滅する。そして、また0時ぴったりに新たに86400ドルが振り込まれるのだ。  私は、その86400ドルを、無駄にしたくない。するわけにはいかない。  だから、毎日を全力で生きることにしている。  たとえ明日が来なかったとしても、その1日を後悔することのないように。  銀行の名前は、「時間」だ。  そう、だから今日も、私にとっては特別な日なのだ。 「あ、クマ」  急に下瞼を触られたせいで、未帆はびくりと肩を震わせた。 「未帆ちゃんてば、また寝てないの?」  覗き込むように視線を合わせてくる葵に、未帆はあたりさわりのない笑顔だけで答えた。葵の肩越しに見える窓の外は清々しいほどに明るくて、徹夜明けの目には刺激がつよい。  へらへらと笑う未帆を見て、葵の表情は心配げなものから少し怒ったものに変わった。 「あのね、毎日を大事に生きてるって未帆ちゃんは言うけど、あたしからしたらそれ、自分をないがしろにしてるようにしか見えないんだって」  カウンター席に座る未帆の隣の椅子に、葵はどっかりと腰をおろした。 「だって…時間がもったいなくって…」 「だからって無茶してたら身体がもたないでしょ!?ただでさえ…っ」  急ブレーキをかけたかのように、そこで葵は言葉を切った。まるで言ってはいけないことを言ってしまったような、それを後悔しているような、そんな顔をして。 「今更なんだし、そんな顔しないでよ」  未帆は葵の表情に笑みをこぼす。  "ただでさえ、身体には気を遣わなければならないのだから。"  きっとこんな台詞が、葵の急ブレーキの先にあったのだろう。 「前から言ってるけど、別に病気のことは気にしてないっていうか。そういう運命なら受け入れるしかないし。ただ、何も成さずに一日を終えるのが怖いだけ」  カウンターテーブルで湯気をたてるマグカップを持ち上げ、口をつける。先程よりも幾分冷めたミルクティーが未帆の喉を濡らした。 「今日のミルクティー、いつもと違うね?甘くておいしい」  両手で包み込むようにマグカップを持ちながら、未帆は目だけを葵に向けて問うた。  葵はまだ何か言いたげな顔だったが、未帆の問いかけに諦めたのか、腕を伸ばしてカウンター内の缶を手に取り、未帆の前にカツンと置いた。 「ラペイエっていうミャンマーの紅茶。基本練乳入れて飲むんだけど、さすがに甘すぎるからちょっとアレンジしてんの。あんまり甘すぎると、未帆ちゃんだめでしょ?」  さすが、小さい頃から近くに居て気にかけてくれているだけある。3歳の差があるが、通う校舎が違ってもいつも未帆を見守り助けてくれていたのは、幼馴染仲間の中でも葵だけだった。だからこそ、こうして葵が社会人になってからも、大学生の未帆は職場に押しかけるほど甘えてしまっているのだった。といっても、きちんと「喫茶店のお客として」だが。 「ふふ、さすが葵ちゃん。ありがと」  他のお客さんに出すミルクティーとは違う、特別扱いの味。未帆はもう一度その『特別』を飲み下した。 「…で?昨晩は何してたの?」  落ち着いた頃を見計らい、葵が話を蒸し返す。未帆は気まずいながらも、昨晩を思い返して答えるが、葵の眉間には再び皺。 「卒論も終わったし、次何研究しようかなぁと思って、教授の論文読み漁って…」 「…」 「で、これにしようと思って…」 「…」 「え…っと、ほら、これ」  ショルダーバッグから製本された教授の論文らしきものを取り出し、顔の前に掲げる。葵の険しい視線から逃れるための所業だったが、すぐに葵に取り上げられてしまった。 「あぁっ」 「わかったわかった。自分みたいに苦しむ子どもが少しでも楽になるようにって、研究熱心なのもわかってる」  そう言って、取り上げた本をパラパラ開く。 「また酵素?」 「そう。卒論はオルニチントランスカルバミラーゼとシトルリンについてだったから、今度はアルギニノコハク酸合成酵素にしようかと…」 「え?なに?呪文?」  途中で言葉を遮ると、手にした本でポンと軽く未帆の頭を叩いた。そして椅子から立ち上がると、カウンターの中へと戻っていく。 「未帆ちゃん、研究熱心なのもわかってるんだけど、やっぱりあたしは心配よ」  葵は棚からコーヒー豆の瓶を取り出しながら続ける。 「このあとは院に進むんでしょ?」 「…うん、悩んだけど、そうすることにした」 「うん。だったら、そんなに急がなくったっていいんじゃない?ちゃんと、しっかり寝て、その日できることはその日にして、続きは明日…って、ちゃんと区切りつけてさ」 「…うん…」 「もぉ、不服そう!」  棚に向かっていた葵が、じれったそうに振り返る。それに曖昧な笑みを浮かべて返すと、葵は悲しそうな顔をした。  明日があるなら、それでいい。  当たり前に明日が来る人生だったなら、それで、構わない。  でも、わたしは…。  未帆が葵の視線に耐え切れなくなって俯いたところで、カフェのドアがカランと開いた。同時に楽しそうな黄色い声が響く。 「あっ、今日葵いる~!」 「まじ?ラッキーじゃん!」 「ねぇ葵サン、今日のブレンドなに~?」  騒々しく空気を裂いたのは時々現れる葵のファンだった。  流れていた重い空気がどこかへ押しやられて、未帆は少なからずほっとする。 「あぁ、いらっしゃい。今日はちょっと苦めのチョイスよ~」  葵も黄色い声を受けてその娘たちを席へ案内するべく、何事もなかったかのようにカウンターを離れていった。  なんとなく居心地が悪くなった未帆は、残っていたマグカップの中身をあおると、本をショルダーにしまい立ち上がった。それに気づいた葵がカウンターをちらりと振り返る。  帰るね。  うん、また。  目で会話をすると、女の子たちの空気を壊さないように気をつけながら、未帆はそっと店をあとにした。  葵の言うことはとてもよくわかる。  ただでさえ身体はポンコツなんだから、休める時に休む。普通の人からしたらそれが当たり前の感覚なんだろうけど。  時間は有限。それに、いつまであるかわからない「私の口座」に、時間がいつまで貯まっていくのかもわからない。  …寝たら、もう、次に起きた時、わたしは居ないかもしれない。  教授の論文2冊目に差し掛かったころ、玄関のチャイムが鳴り響いて未帆は集中を解いた。ふと時計を見てみると、時刻は0時少し前。こんな夜更けに訊ねてくる人物なんて、ひとりしかいない。  夜も遅いせいか、いつもなら2回鳴るチャイムも1回鳴ったっきり静寂だ。  ドアののぞき穴で確認するが、やはりそこに居たのは想像通りの人物だった。 「ごめんね、遅くに」  鍵を開けると勝手知ったかのように部屋に上がる葵に、未帆は鍵を閉めながら笑みを漏らした。  たぶん、今日の昼間に変な別れ方をしたせいだろう。未帆だってずっと気になっていたのだから、葵も気にしていたに違いない。  今日のモヤモヤは明日に残さない。  これはふたりの幼少期からのルールだった。 「今仕事あがりなの?」 「そうそう、今日はバーも入ってたからね~。マスターに余ったデザート貰ってきた、食べる?」 「こんな夜中に?」 「いいじゃない、たまには」  そんな会話をしつつも、葵はテキパキと、あっという間に机の上にさもパーティーかのような状態を作っていた。さすがの手際に未帆は吹き出す。 「食べる気満々」  そうして気づけば、なんだか胸にたまっていたモヤモヤも晴れてしまっているのだ。  葵は、未帆の気分を明るくする天才だった。 「はい、ノンアルだけど、乾杯しよ」  葵は缶を机に並べ、自分の隣をポンポンたたく。いつもこの家で過ごすときは、このポジションがお決まりになっていた。 「もう、仕方ないなあ」  ふふ、と笑いを漏らし、未帆が一歩踏み出した、  その時、 「―――っ、未帆!」  目の前が突然真っ暗になって、身体が無重力空間に放り出されたようにふわりと浮いた、ような気がした。焦ったような、いつもより低い、葵の声が頭に響く。  瞬間、気付けば未帆は、葵に覆いかぶさるように倒れ込んでいた。 「未帆!」 「…っ、ごめ…」  抱きとめてくれている葵の腰のあたりに手をあて、混乱した脳のまま謝ってみるが言葉に出来ているか不明だ。  だが、その声は葵には届いたらしく、未帆の頭上で安堵のため息が漏れた。 「…大丈夫?」  いつもの明るい声とは違う、少しかすれた声。  普段聞きなれない声音に、何故か未帆の鼓動は跳ねた。まだ、頭が、混乱している。 「意識、はっきりしてる?」 「…う、ん」 「ここに居るのが、誰かわかる?」 「…葵ちゃん」  こんな風に意識が途切れることは、初めてではない。でも、ここ数年はなかったのに。  久しぶりの感覚に、今更ながら、急に怖くなった。  まるで、時間を吸い取られていくような、そんな。  思わず掴んでいた葵の腰元のシャツを、強く、握りしめた。  すると、一瞬間があいたのち、葵の両手が、未帆を強くだきしめる。  それはそれは、強く。  こんなにも力があるだなんて知らなかった。みっちりと隙間がないほどに、ぎゅうぎゅうときつく抱きしめられて、なんだか胸はドキドキと鳴りやまない。だが、その強さに、未帆は自分の恐怖がだんだんと薄らいでいくのを感じていた。  葵の鼓動が聞こえる。未帆よりも早い拍動で、それに少し安心する。 「…ごめんね、葵ちゃん、びっくりさせちゃった」  努めて明るく声を出した。  もしかしたら自分以上に、未帆の時間が消えていってしまうことを恐れてくれているのかもしれないと、漠然と感じた。  もし自分がいつか消えてなくなってしまうとして、未帆には2度とこないその『明日』は、未帆が居なくたってもちろん存在するわけで。居ても居なくても、世界では新しい明日がずっと続いていくのだ。  その存在し続ける明日を、同じく存在できていくであろう葵には、怖いものはないんじゃないかと勝手に思っていたのだけれど、もしかしたらそうじゃないのかもしれない。  なおも解けない抱擁に、未帆も抱擁を返す。  そのまま、しばらく時間が過ぎた。  お互いに声は出さず、ただ、互いの体温と鼓動を感じていただけの時間。  不思議と安心するその空間で、ただ少しだけ、いつもと違う高揚が未帆にはあった。  安心するのに、不安になる。そわそわして、自分が自分でいられないような、そんな感覚だった。久しぶりに、葵の落ち着いた声を聴いてしまったからだろうか、わからないが。  どれくらい経ったか、未帆が高揚に慣れてきたころ、葵が抱擁をほどく気配がした。そっと身体と身体に隙間を作ると、葵が未帆の顔を覗き込んできた。 「本当に、大丈夫?」 「うん、へいき」  目を見て答えると、ようやく信用したように、はぁぁと大きく息を吐きだし、葵がその場に仰向けに倒れ込んだ。 「まじで、心臓とまるかと思った」 「ごめんね」  未帆は態勢を整え、その場に正座する。 「久しぶりに、なっちゃった」 「…てへ、みたいなテンションで言わないの」  葵は仰向けのまま、長い腕を未帆の額まで伸ばし、軽くデコピンを食らわせた。 「あたっ」 「やっぱ、無理しすぎ。今日はパーティーやめて、とにかく今すぐ寝なさい」 「……ん、わかった」 「何よ今の間は!さては寝る気ないな!?」  がばりと起き上がり、葵が未帆の両肩に手を伸ばし―…たかと思いきや、そのまま膝裏に右手を突っ込み、未帆を盛大に抱え上げた。 「ひゃあ!?」 「わがまま言う子の言い分は聞きません!即!就!寝!」  そしてそのまま、ベッドへ投げ入れられてしまった。 「決めた、今日は泊まる!」 「え~!そんな急に…」 「未帆ちゃんはもう寝るだけでしょ!はい、子守歌うたったげるから、寝なさい」 「お客さん用のお布団…」 「は、場所わかってるから自分でやる!そんな気利かさなくていいから、はい、あなたのお仕事は、ぐっすり寝ること!」  掛け布団を無理矢理かけられ、未帆は駄々っ子のようにもぞもぞ暴れたが、葵の強さには勝てなかった。お腹のあたりをまるで赤ちゃんにするかのようにぽんぽんされ、未帆は観念しておとなしくなる。その様子に、葵は安堵のため息をついた。 「…わかった、寝る…けど、それなら葵ちゃんも一緒に寝ようよ」 「…は」 「ほら、机よけて、お布団ひいてさ」 「…あ~そゆことね、ハイハイ」  びっくりした、などとブツブツ呟きながら、葵はさも自宅かのようにクローゼットを開け、棚の上に仕舞っていた客用布団を降ろす。背の高い葵は、未帆が台に乗ってなんとか押し上げている高さもなんなくクリアした。 「はい、では敷きましたので今度こそ寝ましょう~」  ベッドの横に広げられた布団に、葵がごろりと寝転がった。未帆もそちらに寝返りをうつ。  いつもは見上げるばかりの葵の顔を見下ろしている状況に、何度目かの経験だがまだ慣れない。 「何見てんの。寝なさいって」  葵は未帆の視線に気づき、同じく向かい合うようにベッドの方へ寝返りをうった。 「うん」  未帆はまじまじと葵の顔を見ながら、改めてその優しさを実感する。なぜこんなにも、気にかけてくれるのだろう。こんなに面倒な自分なのに。 「葵ちゃん、ありがとね」 「…何よ、急に」 「ふふ、なんか、急にそう思って。今まで、ありがと」 「……何でそんな言い方すんの、やめてよ」  葵の表情が、傷ついたようなそんな顔になる。あ、そうだ、これじゃまるでお別れみたいだ。最終回に主人公が病床で恋人に言う台詞みたいな。 「間違えた、ごめん。いつも、ありがと」 「…別に、特別なことなんかじゃない」  むくりと、葵が起き上がる。そして、ベッドに向かい座りなおした。 「未帆にとって特別なことと、あたしにとって特別なことが違うだけ」  真剣な顔で言うから、なんだか難しいことを言われているような気持ちになる。 「とくべつ…」 「そう、未帆の特別は、何?」  わたしのとくべつ。  急に言われるとわからない、何だろう、と未帆が考えていると、葵が近づいてきた。  顔が、近いなあ。  なんとなくそう思っていると、葵の顔が未帆の頬に――くっついた。  いや、顔というか、唇。くちびるが、ほほに。 「…」 「…」  ちゅ、と乾いた音が耳に響いた。  何が起こったのかわからない、わからないが、暖かくて柔らかい感覚は頬に鮮明にある。  未帆がまばたきも忘れて呆然としていると、葵は何食わぬ顔で布団へと戻っていく。そして、背を向けて寝っ転がってしまった。 「…」 「…」  無言。  とてつもない無言が、部屋を占めた。 「…葵ちゃん」 「…なに」  なんだかわからないけれど、なぜだかこれを聞いておかなければならないような気がした。思いついたままに、未帆は口を動かす。 「いつから、葵ちゃんは、『そう』なっちゃったんだっけ…」  その質問に、少し間をあけてから、葵は答える。 「…未帆ちゃんがあの時言ったんだよ、忘れちゃった?」  その解答は、未帆にとっては青天の霹靂で、質問の意図が明確に伝わっていないのではないかと心配になる。わたしが言った? 「…もういいから、今日は寝ましょ。…明日もミルクティーおいしいの淹れてあげるから」  そんなこと言われても、頬の感覚やら、解答の不明瞭さやら、耳まで侵略する心臓の音やらで、寝付けそうにもないのだが。  ただ、いつも言われ慣れていたはずの『明日のミルクティー』は、なぜだか今日に限ってはどうしても待ち遠しい気がした。  未帆は掛布団を頭まですっぽりかぶり、数日ぶりの本気の睡眠に身を委ねることにした。  朝目が覚めると、カーテンの隙間からの光がやけにキラキラして見えた。久しぶりの熟睡だったからか、寝覚めから頭ははっきりとしている。身体を起こすと、なんだか軽い気もした。  ふと床に目をやると、そこにはただ机がぽつんと置いてあるだけで、未帆の心臓はどきりと鳴る。そこに居るはずの姿は無く、その姿を探そうとすると昨夜の出来事が脳内にフラッシュバックしてきてしまったのだ。  そっと頬に触れてみた。あれが現実だったのか、夢だったのかわからない。ふわふわとした浮遊感があった。  ただ、今までにない今日への期待感のようなものが胸にあって、無性に葵に会いたくなる。  今日はゼミも講義もない曜日だ。喫茶店の開店は11時から。  時計を見ればアナログの針は9時半をさしていて、思ったよりも遅い時間だったことに驚いた。どうやら本当にぐっすり眠ってしまっていたようだ。  11時の開店と同時に、喫茶店に行こう。そして約束の『今日のミルクティー』を注文しよう。  そう考えるとなんだか嬉しくなって、途端におしゃれがしたいような気になった。久しぶりに気合いを入れて化粧でもしてみようか。いつか母が買ってくれた、少し高いワンピースを着てみるのもいいかもしれない。  そうして未帆は11時の開店に向けて、今までにない充足感で出かける準備を始めたのだった。  少し高めのヒールを履いたからか、ちょっぴり足元がふわふわする。  喫茶店に向かう道すがら、通り過ぎる店のガラスを横目に身なりをチェックする。  突発的におしゃれをしてみた。ウキウキするようで、でも不安で。初めての感覚だが、未帆はそれがなぜだか嫌ではなかった。  道路沿いを歩くと、数十メートル先に目的地が見えた。店先で掃除をしているあの背中は、求めていた人物のものだ。  思わず、駆け出していた。  はやく会いたかった。会いたくて、こんなにも前に進もうという原動力が生まれるなんて、知らなかった。 「葵ちゃん―!」  叫んだ声に、その背中が振り向いた。  と思った。でもその瞬間、視界がぐらりと揺れた。  あ、こけた。そう思った。  自分の身体が倒れたのがわかる。視界も良好だが、地面と自分の腕しか見えない。  身体が動かない。 「―っ未帆!!!!」  駆け寄る足音が聞こえた。大切なあの人の声だ。  わたしにとっての特別は、毎日だった。  いつ『明日』がなくなってもいいように、毎日を特別に生きていたかった。  でも、今のわたしには、そんな風にはおもえない。  『明日』が、ほしい。  あなたと生きる、明日が、ほしい。  あなたと生きていく、ありふれた明日が、なによりもほしい。  かろうじて、耳がきこえている。たいせつなひとが、さけんでいる。  おれとはなれないって、いっただろ!ずっといっしょだって、いっただろ、みほ!  そうだ、そうだった。だからわたしは……――――  真っ白な世界で、声だけが聞こえている。 「あおいくん、わたし、おとこのこになる」 「えっ、なんで?」 「だって、あおいくんのパパとママみたいになって、あおいくんとはなればなれになったらやだもん」 「…未帆は、おれと離れたくないの?」 「うん!ずっといっしょにいたい!」 「…そっか。なら、おれが女の子になる!そしたらおれと未帆、ずっと一緒だろ?」 「ほんと!?やったぁ!ずっと、いっしょ!」 「…未帆?」  気付くと、真っ白い部屋にいた。それが病院だと気付くのに少し時間がかかった。  視線をずらすと、そこには目を真っ赤にした葵が居た。 「…葵くん、」  呼ぶや否や、抱きしめられた。震える肩に、泣いてくれているんだと気付く。 「…わたし、肝移植、する」  震えた背中に手を回して、言葉を続けた。 「葵くんと、明日も明後日も、ずっと、ずっと、生きていきたいから」  未だ震える葵の顔を覗き込む。泣きはらした目からは、今まで見たことのない彼の涙が溢れている。しばらく見ていると、再び葵の腕に閉じ込められた。 「未帆がいつも、明日を諦めた瞳をしてたのを変えたかった」  ぐ、と、腕に力が入る。 「特別な1日じゃなく、ありふれた毎日が一番尊いんだって、教えたかった。俺と、明日を迎えたいって、思ってほしかった」  あぁ、今ならわかるよ葵くん。 「うん、今、本気で思ってるの。葵くんと、生きたい」  腕の力が緩む。葵の顔は、泣き顔だけど笑顔で、そんな彼に未帆も満面の笑みを返した。  今日は、特別な日だ。でも、明日は、未来は、もっともっと特別になる。  大切なあなたが居れば。
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