一章 祈りのその行方

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一章 祈りのその行方

    祈りのその行方    *  パイプの中で亡くなっていたのは、ヴェルディ家当主クラウディオの次男、マソリーノだった。遺体は数人がかりでパイプから引き離したようで、ノアとオリアナが階段を登った時には既にパイプ外に横たえられていた。  遺体発見時は現状維持。なんて業界では最低限のルールだが、そうもいかない理由があったらしい。遺体はパイプの中を覗き込むように上半身を中、下半身を外に出し引っかかった形で発見されたという。金属パイプは錫と鉛の合金で出来ているため柔らかく、すぐに変形してしまう。もしパイプオルガンを良く知りもしない者が触ろうものなら、それこそ何百万ユーロの修理代に繋がってしまうだろう。 「とりあえず、忘れないうちに状況を教えてください」  ノアが作業着の面々を見渡して言った。現状維持が出来なかった以上、その現状を知り得るにはそれしか方法はない。作業員たちは口々にその時の状況を思い出すままにノアに伝える。皆ノアが何者なのか訊ねないということは、関係者の中ではノアの存在が探偵として認知されている、ということなのだろう。  そこそこの情報を収集し終えたところで、階下が騒がしくなってきた。訃報を聞きつけて人が集まってきたらしい。 「マソリーノ!!」  一際大きな声が聞こえたかと思ったら、左手薬指に包帯を巻いた一人の男性が階段を駆け上がってきた。遺体を見るなり、飛びつこうとする。 「おっと!」  男性が遺体に飛びつくよりも一歩速く、ノアが男性を捕まえた。 「離せ!!マソリーノ!マソリーノ!!」 「ちょ、落ち着いて!お気持ちは解りますが!」 「うそだ、マソリーノ!」  小柄なその男性は全身で暴れても長身のノアに勝てるはずもなく、ひとしきり騒いだあと、泣き崩れてしまった。 「アランさん…」  ノアがうずくまる男性の背中をさする。アランといえば確か、マソリーノの双子の弟だったか。双子は『パルトネル』という2人組のピアニストグループで、コンサートにイベントにCDに大忙しだと聞く。ハンサムな顔立ちの一卵性ということもあり、ビジュアルの面でも女性に大人気だった。 「遂に死人が出たか…」  誰からともなくそう漏れた。  遂に?  どういうことだろうか、とノアを見遣れば、合った視線を苦しそうに逸らされた。  …なるほど、なんとなく見えてきた気がする。  ノアという人物が探偵として招かれていること、「遂に」という言葉、ノアの苦し気な表情。  おそらくこれは、『防がなければならなかった事件』なのだろう。 「スィニョーレ(Mr.)・ローレン」  狭い廊下に響いた声に、ざわざわしていた人々の空気がぴたりと止まった。  階段をゆっくり登ってきたのは、顎髭を称えスリーピースのスーツに身を包んだ”いかにも上流階級”な男性だった。 「…ヴィルフレドさん」  ノアが呼びかけながら立ち上がる。今の会話から察するに、ノアのフルネームはノア・ローレンで、今現れた男性は当主の長男ヴィルフレドだということか。 「なぜこんなことになっているんだ」 「申し訳ありません、ヴィルフレドさん」 「私は、明日の祝典を無事に迎えたいと、君を雇ったつもりだったのだが?」 「…はい」 「解決どころか、悪化しているじゃないか!」  ヴィルフレドはノアを強く責める。確かに状況的に怒るのも当然だが、オリアナは違和感を感じていた。  この人、弟の遺体に目もくれていないのだ。  普通、怒るとかよりまず弟の様子を確認するんじゃない?  先程から、マソリーノの死を嘆いているのは弟のアランだけだ。この屋敷には現在、亡くなったマソリーノを含めて一族10人が住んでいたはずだが、三男と長男以外ここに現れもしないのは一体。 「…必ず明日の祝典は予定通り行う。必ずだ。まずはヴァイオリンを。そしてくれぐれもこれ以上の事件が起きぬように、出した金に見合う働きをしてくれ。解ったな?」  そう堅く言い含めると、結局弟の遺体を一瞥することもなく踵を返して階段を降りようとする。 「まって…!」  うっかり、その背中に追いすがるようにオリアナは声をあげてしまった。  去りかけた背中が静かにこちらを振り向く。 「…誰だ、君は」  その瞳には苛立ちが見える。しまった、こういう時こそじっとしてなきゃいけないの、判ってたはずなのに…! 「あ、と…」 「彼女は僕の助手です」  言い淀んだところにノアが言葉を被せてきた。ヴィルフレドが視線だけでノアを一瞥する。 「…おままごとじゃないんだ、真面目に頼むぞ」  オリアナに対する最大限の嫌味に聞こえた。 「はい、心得てます」 「…ふん」  今度こそ、ヴィルフレドはこの場を去って行った。  後に残ったのは、身を小さくしていた作業員数名と未だ泣き崩れるアラン、そしてノアとオリアナ。 「ひとまず、警察が来るまでは下で待ちましょう」  もともと一人の調律師だけが作業をするスペースに、大の大人がひしめいているのはさすがに無理がある。ノアはアランに降段するよう促し、作業員も全てアランの後に続くよう指示した。さすが「探偵」と理解されているだけあって、全員素直に降りていく。  その姿をオリアナはじっと見つめた。  アランは背中を丸め、薄いグレーの作業員に支えられながら階下へ向かっている。まだ嗚咽が止まらない。その前後を歩く作業員は、はじめは同じ業者のメンバーかと思っていたが、よく見ると微妙に作業着が違うことにオリアナは気づいた。帽子を被った作業員と被っていない作業員が居る。色も、少し黄土色がかったグレー、ブルーがかったグレー、濃いグレー、ベージュと種類は様々、5種5様で、もしかするとそれぞれ違う委託業者なのかもしれない、となんとなく思った。  ふと後ろを見ると、ノアは横たえられたマソリーノの両手を彼の胸で組ませていた。その上に自らの手を添えると、何かを祈るかのように少しだけ目を閉じた。オリアナもそれに倣い、胸の前で手を組み合わせる。 「…必ず、止めてみせる」  小さくだがノアが呟いた言葉が聞こえた。  それは祝典の為だけではない、確かに死者を悼み苦しむ者をこれ以上出させまいとする、彼の信念のように聞こえた。
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