二章 探偵失格のミス

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二章 探偵失格のミス

    探偵失格のミス 「そして4日前のアランが負傷した事件。これだけは少し厄介でね」  血に濡れた鍵盤の写真を取り出す。そのあとに、手袋をつけた手がHの鍵盤を押している写真が出てくる。奥のAの鍵盤に、少し飛び出るようにしてカッターナイフの刃がメンディングテープで貼り付けられているのが解った。  これでは知らずに鍵盤を押すと、刃で手を傷付けてしまうのは当たり前だ。 「グランドピアノは大広間にあった。この日の朝から俺も屋敷に控えてたんだけど、セキュリティももう少し厳しくしようということになって、ちょうどその日大広間の入り口にも監視カメラが設置されたんだ」  ノアは言葉を切って、ポケットからスマートフォンを取り出す。  見せられた画面には、その監視カメラの映像を録画したのであろう動画が流れた。  時折早送りになっては、人が映るたびに一時停止される。初めに映ったのはノアと作業着の男性だ。監視カメラの位置を調整している風だ。満足そうにノアが頷くと、作業員は去り、ノアは大広間に入っていった。時刻は10時13分を示している。  次に入ってきたのはヴィルフレドとエミリオのようだ。ヴィルフレドがバイオリンケースを、エミリオが楽譜を何冊か手にしているのが判る。入ったのは10時37分。 「この間、ノアは何してたの?」 「大広間を端から端まで調べようとしてた。怪しいものがないかってね。はじめに奥のパイプオルガンともちろんオルガンの裏も。次に並べてあった椅子の裏、全て」  しばらく動画が進むと、10時45分にノアが出てくる。 「でも、パイプオルガンとヴァイオリンで打ち合わせを兼ねて練習するからと、追い出された」  一時停止で映ったノアの顔は不服そうで、思わずリアナは吹き出す。 「納得いってない顔」 「仕方ないだろう、まだ調べてる途中だったのに追い出されたんだから」  仕事を全うしろと言う割に、探偵の仕事に理解がないんだ彼は、だから…。眉間に皺を寄せてそう漏らすノアがなんだか子どもっぽくてリアナは更に笑った。 「いいから続き見て」  少し怒った声でノアは画面を指さした。  しばらくしてやってきたのはハーバートだった。扉を2回ノックしてすぐに入る。おそらく形式的なノックだ。どうせ二重扉なので中には聞こえない。 「グランドピアノの調律をしにきた、と言ってた」  時刻は11時24分。それからかなりの時間、なんの変化もなかった。  早送りの映像にも飽きた頃、扉が開いて、ヴィルフレドとハーバートが出てきた。13時50分。2人連れだって去っていったが、その10分後、ヴィルフレドが別のヴァイオリンを抱えて戻ってきた。 「予備のヴァイオリンの調整をしたらしい」  そして15時2分、ようやく打ち合わせと練習が終わったのだろう、ヴィルフレドとエミリオが出てきた。二人ともヴァイオリンケースをひとつずつ持っているようだった。その2人と入れ替わるようにして入ってきたのは見たことのない女性だった。派手な化粧をしているのが、監視カメラ映像を録画した程度の画質からでも判る。 「この人は…」 「まだ見たことない?長女のフランチェスカだよ」  これがハープ奏者のフランチェスカか。しかし彼女は入って1分もしないうちに出てくる。 「前の日にハンカチを忘れたそうで、取りにきただけだったと」  ノアは探偵らしく、律儀に全て聴取をしたらしい。 「そして最後はこの2人だ」  その後10分ほどすると、マソリーノとアランが楽譜を手に、仲良く入って行った。  それから10分足らずで、血相を変えたマソリーノが飛び出してくる。声が聞こえない映像だが、おそらくアランが負傷したのを受けて、誰かを呼びに行ったのだろう。しばらくしないうちにメイドのオルガとノアが駆け込んでいった。そこで動画は終了した。 「問題なのは、いつ刃が仕込まれたか、ということなんだ」  ノアがスマートフォンをポケットにしまいながら言う。その表情は悔しそうだ。 「俺があの時、パイプオルガンより先にグランドピアノを調べていれば防げたかもしれない。もし防げなかったとしても犯人は確実に絞れたんだ、入り口はここしかないんだから」  追い出された、と言った彼の苦し気な表情はそのせいだったのか、と、リアナは笑ってしまったことを後悔した。本人にとってはリアナが思う以上にダメージを受けた出来事だったのだろう。  もしあの時にノアがグランドピアノを調べていれば、調べるのを許されていれば…。 「…悔いても仕方ない。解決するだけだ」  ノアの目には確固たる決意が見えるようだった。ただの軟派なイタリア男というだけではないようで、リアナは彼を少し見直した。 「最後は今日の事件」  机についていたノアの右手が、ぐ、と強く握られた。  ヴィルフレドに言われた「解決どころか、悪化しているじゃないか!」という言葉は、誰よりもノア自身が自分に対して思っていることなのだろう。  なんとなく、リアナは彼に触れたくなった。触れたくなって、その握られた拳に手を伸ばす。あと少しで触れそう、その瞬間、 「…!」 弾かれたようにノアの手がリアナから離れていった。 「ご、ごめ…」 「…い、いや、俺こそごめん…びっくりして…」 「ううん…あたしのほうが急に触んないでって言ったのに、ごめん」  しばし無言になる。小さいころから、人に触れるのが、触れられるのが、怖かった。見たくないもの、見えてはいけないものを見てしまうのが怖かった。そして、見てしまったことを知られるのが怖かった。なのに、「触れたい」と思うことがあるなんて思わなかった。  リアナは初めての感覚に戸惑っていた。触れなくて良かった。触れていたら、見てしまっていたら、何かが変わってしまうかもしれない。絶対に、彼に触れてはならない、そんな妙な警鐘が聞こえた気がした。 「ごめん、ちょっと余裕なかったみたいだ。焦っても駄目だよな、落ち着いて分析しないと」  ノアは額に浮かんだ汗を拭った。そして書きなぐったようなメモを机に置いた。 「これが、パイプオルガン裏で作業員に聞いた話だ」  リアナは気を取り直してメモを取り上げ読み込む。  作業員はリアナが思った通り、いくつかの業者が混ざっていたようだ。運搬業者、音響業者、電飾業者、楽器会社。  エミリオがパイプオルガンを弾き始めた時、全員大広間のパイプオルガン周辺で各々の作業をしていた。すると、突然音がおかしくなった。それは作業員全員が不思議に思ったそうだ。エミリオが「おい、パイプに何か詰まったぞ!見てきてくれ!」と叫び、楽器会社から派遣されてきた作業員がまずオルガン裏へ続くドアに向かった。そのあと、スピーカーを見ていた音響業者、パイプのスペアを運んできていた運搬業者が続けて入っていったらしい。電飾業者は物見遊山のつもりで付いていったそうだ。そして、階段を昇った先でパイプに頭を突っ込んだ状態の人物を見つける。運搬業者が遺体に駆け寄り、パイプに触れようとしたらしく、思わず楽器会社の作業員が「触れるな!」と叫んだという。理由は先に確認した通りだ。音響業者がパイプに触れないようにその人物に触れて声をかけたが、ピクリともしない。運搬業者が「死んでるんじゃ!?」と叫ぶと、階下の方にいた電飾業者が慌ててドアまで走り、人が死んでいると叫んだようだ。その後すぐ4人がかりで慎重に引き上げてみると、本当に亡くなっていた、ということらしい。あとはリアナ達が見た通りだ。  リアナはこのメモを読みながら、何か違和感を感じていた。何だろう…。何度も読み込んでみるが、はっきりとした理由がわからない。  うーん、顎に手を当てて考えていると、ノアが顔を覗き込んでくる。 「聞いてる?」 「わあ!」  突然のアップに思わず変な声が出た。 「自分の世界に入ってたな?」  どうやら話しかけられていたらしいが、リアナは集中していて全く気付かなかった。 「コーヒー淹れるけど飲む?」 「あ、うん、ありがとう」  ノアは立ち上がって給湯器へ向かう。個室にはなんでもあるようで、もうそろそろ驚かなくなってきた。 「何か気になる?」  カップにフィルターを取り付けながらノアが問う。 「んー、気になるというか…なんかひっかかってて…」 「それ、『いつ遺体がパイプに入れられたのか』ってことじゃなくて?」 「もちろんそれもなんだけど」  そうだ、今回の事件の謎はそこなのだ。エミリオがオルガンを弾き始めてしばらくして、音が急変した。つまりその時にマソリーノがパイプに頭を突っ込んだということになる。その時には既に亡くなった状態だったと検死をした医師が言っていた。マソリーノが自分からパイプに頭を突っ込んだのでないとするならば、その場に存在しなければならないはずなのだ。  『遺体をパイプにひっかけた人物』が。  しかし、作業員が階段を昇った時には誰もいなかった。  それが可能になるのは2パターンだ。ひとつは、何かしらの仕掛けにより、無人でパイプにマソリーノをひっかけるパターン。そしてもう一つが、あの狭いパイプオルガン裏のどこかに、その人物が隠れていたというパターンだ。ただ、あの狭い中でそんな人物が居れば、さすがに誰かが気づくはずだ。探偵もいたというのだから。  ノアが言ったのはそのことだろう。  ただ、リアナがひっかかっているのはそこではなかった。もちろんその謎は検死結果を聞いた時に気付いていたし、まだ解けていない。でも、それじゃなくて。  なんとか数時間前の記憶を辿る。メモに書いてあることと、あの時見たものが、どこか違うような気がするのだ。バラバラの作業員、バラバラの作業着、バラバラの色…。 「あっ!!!」  全身に電撃が走ったような衝撃。なぜ、なぜすぐ気付かなかったのだろう。 「どうした!?」  コーヒーを淹れる手を止めて、驚いた顔でノアがリアナを見つめる。 「そうよ、あの時、居たのよ!犯人!」 「え?」 「あの時。ヴィルフレドが去ったあと、全員で階段を降りた時」  そうだ、なぜ気付かなかったんだろう。 「作業員は5人いたわ!」
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