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1ー3 俺と黒猫
「まあ、粗茶ですがどうぞ」
猫頭は、ちゃぶ台の上に熱いお茶のはいった湯飲み茶碗をどん、と置いて差し出した。
「粗茶って・・ここは、俺のうちだろうが!」
「まあ、細かいことは気にしないで」
猫頭は、がははっと笑った。
俺たちは、俺の住んでたアパートに来ていた。
そこは、築30年のボロアパートだ。
6畳一間の安アパートは、かび臭いすりきれた畳の、昼でも薄暗い部屋だった。
俺たちは、その部屋でちゃぶ台を挟んで向き合っていた。
俺は、猫頭が差し出したお茶を受けとるとしばらくお茶の中に浮かんだ茶柱をじっと見つめていた。
「俺は、ほんとに死んじゃったんだな」
「ええ。冷凍のマグロなみに死んでいます」
猫頭が言った。
俺は、ぎりぎりと歯軋りしていた。
こいつ、なんか、腹立つな!
俺は、奴が入れたお茶を一気に飲み干した。
うん。
熱いお茶は、うまかった。
信じられないほどに。
「うん?」
俺は、自分の頬を涙が流れ落ちているのに気づいた。
「マジかよ・・」
俺は、うつ向いて涙を隠そうとしたが、猫頭は、俺に優しく言った。
「いいんだ、幸盛。もう、我慢しなくっても」
猫頭は、間の抜けた表情をしたぬいぐるみの顔で俺を見つめていた。
「君は、今、そのすべての重荷を下ろしたんだ。これからは、新しい人生が待っている」
はい?
俺は、顔をあげて猫頭を見つめた。
「新しい人生?」
「そう、新しい人生、だ」
マジか。
俺は、輪廻転生なんて信じてはいなかった。
ただ、自分の人生は、つまらない人生だった、と思っていた。
人を本気で好きになることもなかったし、宝くじが当たるようなラッキーなこともなかった。
友人だって、いない。
俺にあったのは、終わることのない仕事の山だけだった。
俺は、ふぅ、と息をついた。
猫頭が間の抜けた表情で俺に問いかけた。
「次の人生に、君は、何を望む?」
「何って・・」
俺は、ちょっとだけ考えてから答えた。
「そうだな。うんと長生きできる丈夫で健康な体、かな」
「いいだろう」
猫頭は、我が意を得たりというように頷いた。
「君を筋肉質の、長生きできるいい体にしてあげよう」
「いや。筋肉質じゃなくったって、いいけどな」
俺が言うと、猫頭がちっと舌打ちした。
「じゃあ、普通に健康なだけの体で」
猫頭は、とぼけた感じのぬいぐるみ頭で俺を覗き込んだ。
「望むのは、それだけか?他にはないのか?例えば、美しい筋肉とか」
「いりません」
俺は、きっぱりと言った。
再び、猫頭は、ちっと舌打ちした。
「面白げのない奴だな。だが、これは、仕事だ。了解した」
猫頭は、不意に自分自身の頭を持ち上げてそれを取り外した。
うん。
何もなかった。
ごつい体の上には、何もなかった。
首なしになった猫頭は、ぬいぐるみの猫の頭部を両手に抱えていた。
マジかよ。
呆然として見ている俺の目の前で、猫頭は、抱えている頭部に手を突っ込みそこから何かをつまみ出した。
「にぎゃあぁっ!!」
それは、まぎれもないあの黒猫だった。
俺と共に死んだ、あのキャリア猫だ。
猫頭は、それを俺の方へと投げてよこした。
「わわっ!」
「にゃがるるる!」
黒猫は、俺の胸元にしがみつくと、バリバリっと俺の胸に爪をたてた。
「いてっ!いててっ!」
「その猫を君の守護につけよう。君が今度こそ救いある、いや、実り多き善き人生をおくれるように」
「はぁ?」
俺は、暴れている黒猫を捕まえながらきいた。
「このくそ猫が俺の守護、だって?」
「そうだ」
頭があるべき場所に、その猫のぬいぐるみの頭部をおさめながら、猫頭は、言った。
「一緒に逝った仲だ。来世でも仲良くするがいいさ」
「はい?」
俺と黒猫は、どちらも納得できないというように猫頭を見た。
だが、猫頭は、もはや聞く耳を持たなかった。
「では、行くがいいさ」
「どこへ、だよ?」
突然、俺の座っていた場所の畳が消失し、俺と黒猫は、下へと落ちていった。
「へっ?」
「では、よい人生を」
猫頭が言った。
「ぎぃやあぁぁあっ!!」
俺は、黒猫を抱き締めたまま、底のない暗闇へと落ちていった。
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