蝉の遺言は如何なるものか

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 すん、と空気を吸えば、何やら優しい匂いが鼻孔をくすぐる。旅館に帰れば時刻は午後五時半。夕焼けこやけ、夕食の時刻である。 「お、お二人ともデートお疲れサーン」 「デートじゃないっての……」 「あれちゅん子、なんかやつれてね?」  夕食は部屋で摂る仕様らしいので、一路くんの部屋に全て持ってきてくれと頼んだ。だから必然的に集合場所は一路くんの部屋。そこには既に成瀬と雅さんが到着していた。一路くんも持ち直したみたいで、顔色がよかった。 「一路くん元気になったんだ。良かったね」 「あ、ああ、ありがとう……。雀部、その、大丈夫か? 萎れてないか?」 「あは。大丈夫じゃないけど?」 「そこは大丈夫じゃないのね」  大丈夫か大丈夫じゃないかと問われれば、まったくぜんぜん大丈夫ではない。 「思い出すだけで気疲れする……。やっぱり人生ってやつはクソだ。理不尽がそこら中に散らかってるんだ」  階段を登りきったあと、先輩に腕を組まれ、ズリズリ神社に侵入させられた。参道の中央を、堂々と、突っ切るように。  手水舎で手も洗わず、一礼もせず。賽銭箱に五円玉を入れて、このトンチキオカルトジャンキーがなにを願ったか。私は耳を疑った。 『神ならば怪異事をおこしてボクを楽しませてください。でなければ氏ね』  あ、この人イカれてるわーまともじゃないわー。マジに無理寄りの無理。つまり無理。  先輩が願いを口に出した瞬間、タイミングよく蝉がポトリと落ちてきて私は鳴いた。泣きもしたし、蝉も鳴いた。  メル先輩はどうやら蝉の神様とやらを煽り、何か起きるか検証していたようだ。よもや最初に調べたいことがあると言ってたのはコレのことか? なら許しがたい。  そも、検証するなら何か一言くらい添えてくれてもいいだろう。それなら私は先輩についてこなかった。怖い思いするくらいなら他人とコミニケーション取るほうが遥かにマシだった。  赤子みたいにびゃあびゃあ泣く私を探索だと引き回し、罰当たりで俗なはなしをたくさん聞かされ、ついでに神社にまつわる怖い話も耳に吹き込まれた。心が死んだ。先輩はやはり人でなしの悪魔だ。いまの私はしなしなの干し椎茸並に乾いていることだろう。 「ふふふ、有意義な時間でした」 「先輩はつやっつやだな」 「つづらさんは何をしても面白い反応をするので、眺めていて愉しいです」  鼻歌歌いはじめそうな先輩にもう脱力するしかない。デートだったらどんなにマシだったか。半日も使ってないのに、私はもう旅行最終日ばりに疲労しているんだぞ。愉しむんじゃあないよ。 「ま、萎びてたってつまんねーし、飯食って元気だせよ。ちょうど来たみたいだし」  成瀬が障子に向かって親指をさすと、控えめな「失礼します」が聞こえた。食事を持ってきたのは嶋田さんの奥さんのほうだ。 「お食事をご用意致しました」  開かれた障子の先には旅館内を漂っていた匂いの正体と、三つ指ついた嶋田さんの奥さんがいた。 「さ、さ、運んでしまいますからね」  奥さんはせっせと料理を運び込んでいく。チラリとワゴンのようなものが見えるので、厨房から一人で運んできたことが伺える。 「あの、手伝います!」  大変そうに見えたのだろう。一路くんが奥さんに申し出た。声がでかすぎて周りにいた成瀬と雅さんが上半身をちょっととおざけていた。 「大丈夫ですよ。これが私の仕事ですから」  やんわり断られ、ちょっと浮いた腰がおろされる。仕事ならば仕方ない。  そういえば、この旅館に来てから私は嶋田さん夫婦しか会ってない気がする。  旅館だけじゃない。外でだって遠くから子どもの集団を見ただけで、あとは嶋田さんの旦那さんがいただけ。集落とはこんなにも人がいないものなんだろうか。この旅館も人手不足とかありそう。過疎地域は大変そうだな。 「お食事終わりましたら、トレーごと廊下に置いておいて下さいまし。取りに伺います」  すべての料理を運び終えた奥さんはサッと部屋から出ていった。障子が閉まるまえ、一瞬だがワゴンにひとつだけ料理が残っていた。ほかの客もちゃんといたんだ、ここ。 「はあ〜、叫びちらしたせいで空腹がピークだったんだぁ。いい匂い」 「つづらさんがあんなに蝉が苦手とは思いませんでした」 「ちゅん子は昔っから音に敏感だからでかい鳴き声あげる蝉が怖いんすよ。ダッセー」  運ばれたのは天ぷら、茄子の煮浸し、小鉢にお吸い物に枝豆の炊き込みご飯。ゲラゲラ笑っている不届き者の皿から海老の天ぷらを掻っ攫い、口に放り込んだ。 「アッてめ、俺の海老天!!」 「女の子を揶揄いすぎた罰よ」  私は自分の海老天も口に放り込み、見せつけるよう咀嚼した。ばーかざまあみろ。 「虫のはなしより情報共有して欲しいんだけど。お祭りのことは聞けた?」 「ええ。ざっくりとした内容しか聞けなかったけれど、メモしてきたわ」  いまだ海老天ショックで不貞腐れている成瀬の代わりに、雅さんが教えてくれる。 「お祭りは四日前には始まってるみたい。開催期間は七日間で、いまもお祭りの最中なんですって」 「そうなのか? おれは外に出ていないから詳しくは知らないが、少なくとも旅館にくる最中にはあんまり祭りがやってる感じはしなかったぞ」  確かに。お祭り特有のがやがやした感じは感じられなかった。なんというか、やけに普通というか、静かというか。平凡だとか閑散、だとかの言葉が当てはまるような様子だった。 「お前らが想像してる屋台出したり神輿担いだりっつー祭りではないっぽいぜ」  成瀬はおひつから炊き込みご飯をよそいながら言った。昔噺みたいな盛り方だ。 「神社関係の人たちだけでやるような、本当に本物の祭事って感じの行事だよ」 「ほお。集落の住民の方々は詳細をご存知ないと、そう言われたんですか?」 「そそ、祭事を執り行う人たちにしか知らされてない場所で儀式するらしいっすよ」  げんなりした感じの顔に「胡散くせー」とのたまう成瀬につづき、雅さんもまた「あまり気持ちがよくない」と呟いた。  果たして、一般的にはそう思われるものなんだろうか。  最近はコズミックホラー系の小説にも手を出している私としては、山奥の集落という限定的かつ閉鎖的な場所には、賑やかではない祭事のほうがイメージの解釈が一致している。最初は屋台やら山車やらを思い浮かべた。しかし、成瀬と雅さんのはなしを聞いて「なるほど」とかなり納得したものだ。  成瀬と雅さんは悪印象を受けている様だけど、これが普通のリアクションなら、私が小説に影響されすぎているだけだろうか。現実とフィクションの境目だけは見失っていないと思いたい。 「風船みたいにふわふわしたお祭りのはなしよりも、伝承のはなしを聞きたいわ。そちらは何か収穫あって?」  米に混ざる枝豆を器用に箸で摘む雅さんは、箸のあいだからメル先輩を見た。  私も彼のほうに体を少し動かすと、ふと視線が下がる。私は先輩の小鉢はきれいに右側から空になっているのを見た。  なるほど、食事の仕方には性格が滲み出るらしい。かなり几帳面な性格が現れている。 「なにか?」 「いえなんにも」  にっこり、という言葉を体現した顔を向けられて咄嗟に顔を逸らした。ついまじまじと人の皿を見てしまって、なんとなく恥ずかしくなった。 「伝承のこと、ええ勿論。しっかり調べてきましたよ。それはもう、しっかりと」  ねー、だなんて露骨にこっちを向く彼にうげっ、と思わず顔をしかめた。これは私からはなせって事だろうか。そうなのだろうか。そうなんだろうな、はあ。 「えっと、この集落に伝わる伝承……伝説? ってやつはね。よくある恋噺ってやつだよ」
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