蝉の遺言は如何なるものか

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 一軒家で母親が専業主婦、父親がしがないサラリーマンの一般人の方に聞きたい。  友人ないし先輩の家で無限に続くふすまを見たことがあるだろうか。  現在、私は端っこから向こうの端っこまでずっとふすまのろうかを歩いている。ふすまには花だとか、兎だとかの(みやび)な絵が描いてあるが、庶民の私には価値がよくわからない。 「ろうか長いですね」 「そうですか、普通ですよ。ほら学校のろうかもこんなもんでしょう?」 「いや学校のと同じ長さのろうかとか、それもう全然普通じゃあないですからね?」  それともこの人のなかではこれが普通なんだろうか。こんな長いろうか広い家でしかあり得ない。こういう所、ちょっとお金持ちの発想っぽい。先輩と結婚したら苦労しそ―――  ―――ゴンッ 「何やってるんです?」 「いえ、リラックスしようと思いまして」 「……柱に額を打ち付けて?」  先輩がちょっと引いてるが構わず、柱に額をくっつける。いまメル先輩のほうを振り向いたら顔がさらに赤くなって羞恥で死ぬ。 (なあにが結婚したらだ!! そもそも今日だって、友だち……先輩の家に遊びに来ただけ。そう、遊びに来た……ってなんか私が意識してるみたいじゃん!!)  目を閉じてすうはあと息を整える。落ち着け、落ち着くんだ。私は先輩の家が予想以上にすごかったから動揺してるだけだ。大丈夫大丈夫。よし!! 「もう大丈夫です。行きましょう」 「つづらさん、そっちはトイレです」  右はトイレだったか。今更だけどこの家広すぎではないだろうか。初見じゃぜったい迷う。間違いなし。 「ここが母のいる部屋です」 「ほへぇ」  案内された部屋のふすまは今まで見たどのふすまより高貴な感じがした。  あれだ、芸能人の結婚報告のとき、後ろに飾ってある金屏風(きんびょうぶ)。あんな感じの光沢を放っている。 「なんか、この部屋だけふすまが異様では」 「普通ですよ、普通」 「金だし、なんか祠描いてありますよ?」 「普通です」 「普通って何だっけ!?」  私が普通のゲシュタルト崩壊を起こしている間にメル先輩は「失礼します」といって金のふすまを開け放った。開け放ってしまった。なんの躊躇もなかった。 「ちょっと、まだ心の準備が!!」 「アナタさっき大丈夫って言ったでしょう」 「そーですけど!!」 「(メル)」  しん……と辺りが無音になった。もちろん、それは比喩的表現であり、実際には私たち二人の会話が止まっただけ。蝉しぐれや風の音はいまだ聞こえている。  それらが消失したと錯覚するぐらい、とても凛とした声だった。 「私が返事をしたあとに入ってきなさいといつも言っているでしょう」 「すみません。はやく会いたいとおっしゃっておいででしたので、つい」 「そんなのただの言い訳よ」  声の主の女性は部屋の中央に正座して座っていた。きっちり着込まれた着物にピンと伸びた背すじ。長い黒髪を三つ編みにして団子に纏めている。こりゃどえらい美人だ。この子供にしてこの親あり。 「それで、つづらさんは連れてきたの」 「ええ、ボクの後ろにいますよ。ほら」 「こ、こんにちは。お邪魔してます……」  メル先輩の後ろからひょこっと顔を出す。挨拶が少しだけどもるのはいつもの癖だ。 「つづらさん、どうして隠れたままなんです」 「エだって、ちょっと怖いし……」 「べつに怖かないですよ」 「う」  先輩のお母さまはつり目に冷たい印象の声をしている。おまけにはきはき話すから気が強そうな感じがする。小心者には全体を晒すにはまだ荷が重い。  あとなんかめっちゃ見てくる。すごい見てくる。怖い。視線で焼き殺されそう。思わずメル先輩の袖をキュッと握ると、お母さまの眼光が更に鋭くなった。 「ヒョッ」  お母さまはザッと立ち上がるとドスドス音をたてながら近づいてくる。その姿はさながら鬼神のよう。部屋に飾ってあった薙刀(なぎなた)が視界に入るから、それがさらに私の恐怖心を煽った。 「つづらさん」 「ヒャイッ」  ガシッと両肩を掴まれ、とうとう死を覚悟し目を瞑る。ああ、お父さんお母さん、先立つ不幸をお許しください。 「〜〜〜〜〜っ、かわいいわ!!!!」 「エ」  くんっと引っ張られ、体勢がくずれる。  目の前はいっぱいの着物の帯。なんだかいいにおいがする。 「かわいいかわいい!!」 「あの」 「息子に聞いてた以上にかわいいわ!!」 「ちょ」 「会えて嬉しいわぁ〜〜つづらちゃん!!」 「はわわ」  お母さまは私を抱きしめながらしきりに頭を撫でくりまわし、高くなった声で「かわいい」を繰り返す。その間、メル先輩は見てるだけだった。 「ちょちょ、なんかお母さまさっきと雰囲気違いすぎません!?」 「母はかわいいもの好きなんですよね」 「かわっ、反応に困る!!」  お母さまがかわいいもの好きでこうなってる=私がかわいいって図式が浮かんで顔が熱くなった。こんな時に口説いとる場合か! 「んま、海聞いた!? お母さまですって!」 「それっぽくていい響きですね」 「それっぽいってナニ!? とりあえずいいかげん私を解放してください!!」  閑話休題。 「ごめんなさいね。年甲斐(としがい)もなくはしゃいじゃって」 「アいえ、おかまいなく……」  さて、落ち着きを取り戻したお母さまは先ほど座っていた場所に戻った。  私はと云えば、お母さまから解放され身体をちいちゃくして座布団に座っている。  正座で折りたたまれた足がむずむずと絶えず動く。落ち着きのないその様子をメル先輩は鼻で笑った。 「アナタ、まだ緊張してるんですねぇ」 「そりゃあするでしょ」 「さすが小心者を自称する人だ」  小莫迦(こばか)にされ、キッと隣をにらむ。  私と同じく正座する彼は背筋がきれいに伸びていて、浴衣と部屋の雰囲気も合わせてサマになっていた。澄ました顔は今日も美人である。くそ、アラ探ししても言い返せるようなアラが何も見当たらない。 「二人は仲良しさんなのね」  それは最初の氷のような声でも、ましてや先程の少し高い声でもない。愛情と安堵をにじませた声音だった。  二人してお母さまの方をみやれば、そこにいたのはまさしく「母」と言うに相応しい女性だった。 「私ね、海が眠りについてからずっと、ずっと後悔と不安を抱えていたの」  ――海の心臓が止まる夢をみては、もう一生目覚めないんじゃないか、ある日ほんとうに心臓が止まってしまうんじゃないかと思う日々。  精神は日に日にすり減っていき、自分の身体を何度も壊しかけたし、実際に心は壊れていたのかもしれない。  その結果、息子の死を受け入れようとした。 「その時にね、海が起きたって連絡が来たの」  お母さまは私の手を両手で包み、いっとう優しい表情で私を見つめていた。 「海からはなしは聞いてるわ。あなたがいなければ、今ごろ息子は死んでたでしょう。他でもない、私たち()が殺していた……。息子を、海を連れて帰ってきてくれて、ありがとう。ずっと御礼を言いたかったの」  瞳には水の膜がはり、きらきらと揺らめいていた。私もなんだか泣きそうになって、必死にこらえる。 「この子ったら、眠りにつく前でだって、友だちの一人も連れてこなかった。話にもあがらない。家にいても、爺さま連中に厭味(いやみ)を言われるばかりで、きっと家にいても心休まらなかったでしょう……それがこんなに楽しそうで」  お母さまは「こんな息子を見せてくれてありがとう」と礼をいい、今度は深々と頭をさげた。そのことに慌て、手をわたわた動かす。 「あ、頭をあげてください! 私、私は特別何かしたわけじゃないんですから」  私はただ、病院まで走って先輩に会いに行っただけだ。それ以外は本当に、何もしてなどいない。それなのに他人の母親に頭を下げられるのは何かちがう。 「何もしてないことないでしょう」 「先輩……」  隣で私とお母さまの様子を見ていた先輩が口を開く。先輩もこれまたえらい優しげな顔をしていて、息をのむ。 「アナタがいなきゃ生きようなんて思わなかったんです。ボクに生きるきっかけを作ったのは紛れもない、アナタだ。本当に、感謝しています」  この人と病院で会ったときの安心と嬉しさが、また胸のうちに灯った。  嗚呼、こんな真っ直ぐに言われたら本当に泣いてしまうじゃないか。 「ほんっと、人間嫌いで恋人のコの字も無かった海が、まさか友だちすっ飛ばして嫁を連れてくるなんて、母は嬉しいです」 「ボクもこの気持ちに気づいた時、自分で驚きました。まあでも、悪くない心地です」 「……ん?」  あれ、流れ変わったぞ。 「これで我が一族も安泰ね」 「あ、安泰?」 「父さんも歓迎してましたし」 「エッエッ」 「私、かわいい娘も欲しかったのよ」 「アッこれ外堀から埋める気だ!! だれか、だれかーーーッ!!」  抜かった。この(ひと)はメル先輩のお母さまであることをすっかり失念していた。この息子にしてこの母あり。警戒しなければ気づいたときには囲われる!  ※※※ 「はぁーー、えらい目にあった」 「そんなえらい目だなんて、ひどいですね」 「いやいや、あれをえらい目と言わずしてなんて言うんですか?」  似たもの親子二人にはさまれて数十分こねくりまわされ、挙げ句の果てに『泊まってって』とすでに用意された横ならびの布団を見せられた。せめて寝る部屋は別けろやと思うほかない。ここまで貞操の危機を感じたのははじめてである。恐るべし海尋家。 「母はボクを屋上ダイブする大分まえから心配してましたから。目が覚めたこと、ボクが人を家に招いたことがよほど嬉しいんです」 「メル先輩……ダイブと大分、かけました?」  メル先輩は私ににっこり笑いかけた。私も彼のほうを向いてにこーっと笑い返す。  庭にあるであろうししおどしがコンッと音を鳴らした。 「ア」  目のまえはいつのまにやら先輩の手でいっぱいだった。目にもとまらぬ速さで私の顔面を掴んだ手は、思い切り私のこめかみを圧迫する。骨がミシミシ悲鳴をあげているのは気のせいではあるまい。 「シャレで言ったわけじゃない」 「アッア、いだだだだギブギブギブ!!」 「ボクはきわめて真面目な話をしていたはずなんですが……如何です?」 「ごめんなさいごめんなさい!」  ちょっと前まで寝たきりだったはずなのに力が強い。この人、見ためが細くて儚いみたいな印象なのに握力ゴリラなんてとんだ詐欺じゃないか。 「フン、わきまえて発言することですね」 「うぅ、痛かった」 「擦って差し上げましょうか?」 「結構です」  さっきまで怒ってたくせにセクハラは普通に吹っ掛けてくるのか。メル先輩のこういうところはまったくもって、理解しがたい。 「……さっきの、ボクはあんなつまらないシャレなんて云いませんから」 「ア怒ってた理由それですか!?」  なんて下らない。そんなのはいはい、で流してくれればよかったのに。やっぱりこの人理解できない。  二人であーだこーだ、今朝の朝ごはんは米派だのと話しながら玄関に向かう。このお家は本当に広くて。でも、不思議なことに誰とも会わなかった。 「ここ、メル先輩とご両親で住んでるんですか?」 「基本そうです。たまに親戚筋の方が来ます」 「へえ。どんな人がいるんです?」  知りたいですか、と聞かれたので興味あります、と答える。先輩はそうですねと呟きながら顎に手をそえた。 「海尋家は特殊ですからね。色々な方がいらっしゃいますよ。うちに文句ばかり云う老害……失礼。高齢の方や、酒屋、大手企業の社長。あと探偵をやってる方もいたかと」  探偵までいるのか。探偵の知り合いのいる人を初めて見た。本当に様々な人種が親戚にいるんだな。  それにしても、メル先輩に老害とまで言わしめる親戚とはいったい、如何様なものか。  気にはなったが、これを言ったときの先輩の目が死んだので、賢い私は口を一文字にかたく結んだ。 「あれ、先輩あすこ。誰かいません?」 「ん、お手伝いさんではなさそうですね」 (この家お手伝いさんいるんだ)  さすが金持ち。  お手伝いさんではないらしい女性は、その場に留まってオロオロと辺りを見まわしていた。 「あの女性はお客さまですか?」 「ボクは来客があるとは知らされてません」 「ええ、じゃあ誰でしょうね」  ちょっと遠くから女性を眺めていると、女性はこちらに気づいたようで、着物で限られた歩幅でちょこちょこ近づいてくる。 「もし、奥様のお部屋は何処でしょう」 「母に用事が……? 案内人のお手伝いさんは何処に。いたでしょう?」 「それが、業務時間は終わりと言って外に。それっきりです。奥様はわたしをこの時間に来るように、と言われていたので……」  この全体的に覇気のない女性は、どうやらお手伝いさんに見捨てられてしまったらしい。こんな広い家に置き去りにされて、気の毒な人だ。 「お手伝いさん、変えたほうがいいのでは?」 「……時間にシビアですがいい仕事するので」  絶対定時あがり以外は優秀だから手放せないのか。なかなかに難儀だな。お手伝いさん雇うのも。 「ボクらが案内しましょう」 「いや、でも……」  女性は私をちらりと見やった。すごく申し訳なさそうで、ちょっと不憫に見えた。  学生の華である夏休みとはいえ、悲しいかなこのあと何の予定もない。  なれば、この申し訳なさそうな様子の女性に対して親切にしたとてなんの支障もないだろう。  「私は構いませんよ」と女性に優しく言い、二人の先をぺたぺた歩きだす。 「つづらさん、そっち縁側」  ……この家、ほんと道に迷う。  メル先輩がさっき来た道くらい覚えなさいなと呆れ気味に先導しはじめた為それに習う。  移動の最中、まったく会話がないから気まずい空気感である。けして私が道を間違えたから気まずいというわけではない。けして。  チラと、女性の顔を盗みみた。  俯きがちな顔はすこしやつれて隈のひどい、いまにも倒れてしまいそうな印象だ。こんなに具合が悪そうなのに、わざわざ先輩の家に足を運ぶ理由はなんだろう。 「あのぉ……」 「はい」 「体調、大丈夫ですか?」  心配を口にだしたら、女性は私のほうを向いて顔を凝視してきた。  そう、である。目をこらしてよく見ること。これが凝視だ。しかし、目のこらしかたがなんとも言えない。  見開いているのだ。泣いたあとのように目は充血していて、それ以外は、無。 (エなになに、怖いんですけど!?)  凝視され、それを眺める私。はからずも見つめ合う形になっている私たち。メル先輩はあい変わらず前を歩いており、後ろの様子にゃ一切合切気づいてない。  こんなの気まずいどころじゃない。ほんとに怖い。恐怖心しか抱けない。体調を気にしただけでなぜこんなにも凝視されるのか。 「あー、えっとぉ……」 「……」 「う」 「……」  私はメル先輩の袖を引っ張った。ヘルプ要請である。先輩はちょいと後ろの私をみてクスクス笑っていた。きっといまの私の顔はとても情けない顔になっていることだろう。  でも考えてみてほしい。私は根っからの小心者。コミュ障小娘が知らない人と会話なんてできっこなかったんだ。 「そういえば、名前を聞いていませんでしたね。お伺いしても?」  先輩が好青年を装った胡散臭い笑みを浮かべる。流石、初対面の女子につらつら厭味(いやみ)を言えるだけある。悔しいが対人に関する度胸とコミュニケーション能力はこのひとのほうが上だ。 「私は嶋田(しまだ)と申します」 「嶋田さん、ですか。ああすみません。どうにも聞いたことのない名前でしてね」 「無理もありませんわ。私どもに最後に会ったのは、メル様がほんの三歳の頃ですもの」  すごい、会話から自然に相手の情報を聞き出している。  この嶋田と名乗る女性を視界に入れてから、先輩はピリッとした空気をまとっていた。この名前に覚えのない女性のことを、どこか警戒している風だった。  この会話も、おそらくきっと警戒ゆえのものなんだ。知らないことは怖いから。 (マでも、この嶋田さん、私もあんまり近寄りたくない……)  さっき凝視されたのもそうだけど、生理的に無理というか。いや違うな。無意識的に苦手だとかんじているのだ。居心地が悪いともいう。 「……私、とある集落から来まして」 「しゅうらく……」 「はい。山奥にあるんです」  俯きがちにぽつんと呟かれた言葉に、なんとなく河原を想像した。  山奥の集落というのはだいたい近くに水場があって、夏は魚釣りや水遊びをするのがセオリーだと勝手に思っている。  嶋田さんは「それで」と話を続けるので、夏休みの娯楽のイメージをいったん除く。 「いつも夏になるとお祭りをするのですが、今日はそれのお誘いにきたのです」 「お祭りかぁ。いいなぁ」 「来ますか?」 「え」  思わず、といった声がまろびでた。そんな今からお茶でもしませんか、みたいな軽いノリで誘われるとは思わなんだ。  山奥の集落というと、いま住んでいるこの街からはかなり遠くにあると予想される。というか、海が真ん前のこの地からはまったく逆方向だ。そんな所に、ほんとうに?  嶋田さんは今日いちばんの笑みを私に向けていた。それは心のそこから喜んでいると確信できる笑顔であり、違和感のある笑顔であった。 「私は集落の温泉宿屋で女将をしてまして。海尋家には宿屋を作るときに助けてもらった御縁があるのです。部屋、ご用意致します」  ぺたぺた、ぴたり。 「うちの集落に遊びに来ませんか?」
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