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―――ミンミンミン
揺れる木々は南中するよりやや沈んだ太陽の光を受けて、地面に斑の模様を描いている。
今日の先輩はオフなのか半袖ティーシャツにスラックスを着ていて、普通に普通の大学生に見える。
(いや、この人浴衣着てる時もオフだったし、そういえば年齢的には大学生なんだよな)
メル先輩がまだ怪異だった頃、私は彼のことをずっと二年生の先輩だと思っていた。見た目年齢だって高校生そのものだったはずだ。
でも、今ではその頃より少し成長しているように思う。なんだかメル先輩ではなく、メル先輩にそっくりなお兄さんを見ている気分になる。彼はひとりっ子だけども。
「アつづらさん、そこ蝉」
「んえ、ヅァッ!!」
物思いに耽ってたばっかりに、足元でひっくり返った蝉に指摘されて気づいた。
蝉は命の最終段階に突入していたらしく、私が足で蹴ったことで風前の灯火の命を燃やしはじめた。それを巷では蝉ファイナル現象と呼ぶ。
―――ミ"ッミ"ミ"ミ"ッミ"ミ"ミ"ミ"
「あ、ちょ、ひえ、無理無理!!」
「そこにもいますね」
「うそうそうそ」
「おや、そこにも。踏んじゃいそう」
「蝉落ちすぎじゃないですか!?」
心なしか周りで騒いでいる蝉の量も多い気がする。自然多き田舎ではこれが日常だとでもいうのか。とにかく歩きづらいことこの上ないんだけど!
「あはは、先程からぜんぜん先に進んでませんよ。ほら、ちゃきちゃき歩きなさいな」
「いま私はどこに蝉が落ちてるか探りながら歩いてるんです。茶化さないで下さい」
「おぶって差し上げましょうか?」
「謹んでご遠慮いたします」
先輩は器用に蝉を避け、数メートル先でちょいちょい止まりながら私を待った。その間、ずっとにこにこと上機嫌をたもっている。きっと後輩が落ちてる蝉に四苦八苦してる様子が面白いんだろう。もしかしなくてもこの人はサドだ。サディストの最上位だ。
「ここまで来れば蝉は大丈夫かな……はぁ」
なんとか木々の少ない場所まで辿り着いて、膝に手をついた。特大のため息が動悸のために吐いた二酸化炭素とともに外に霧散する。
そんな私に先輩は緩んだ顔で「ため息は幸せが逃げますよ」と説いた。おのれ、いけしゃあしゃあと。
「ため息で幸せが逃げるなんてそんなの、まったくの迷信だって思ってるんで」
「幽霊とか怪異とか、非現実的なものを目の当たりにしといてよく言う」
「あいにくと都合のいいことしか信じたくない質でして。おみくじとかも大吉以外は全て凶だと思ってますから、無かったことにします」
「アナタ、極めて真面目な見ための割にはけっこう通俗的ですよね」
好きですよそういうの。なんて、そんなふうに好意を寄せられてもちっとも嬉しくない。
通俗的ってのは本来『世間一般に喜ばれる様』なんて意味なはずだが、先輩の使っている通俗的ってのは下衆、下劣、下品みたいな、小悪党につかう表現のニュアンスをかんじる。
ようは「アナタって、いい人そうに見えて、けっこう性格悪いですよね」と言われてるようなものだろう。アンタにだけは云われたかない。
「マ、死にかけの蝉にとどめを刺さない慈悲精神は持ってるみたいで結構。今後、そのまま踏み潰して最期の断末魔に愉悦をおぼえることがないといいですね」
「なにその悪魔みたいな忠告。蝉を踏み殺すなんて真っ当な人間はやりませんからね」
照りつける太陽光は話してる最中、けして陰ることはない。木のトンネルから出た私たちを焦がし続ける。陽炎が遠くで立ち昇るのを背にして、先輩はくすくす笑った。
「図書館と神社ですけど、位置関係的には神社、図書館の順で近いんですよ。だから先に図書館へ行って、帰りに神社へ寄ってから旅館に戻ります」
手を後ろにやってこちらを向いてるさまは好きな男を前にした少女みたいだった。あれだ、乙女ゲームとかでよく見るやつ。肌は病的に白いくせに、元気だこった。
「……今日、ずっと機嫌いいですよね。先輩」
「アナタが幼馴染の彼でなく、ボクの方を選んだから嬉しいだけですよ」
「へえ」
なんとなく。そう、ただなんとなーくそれだけが上機嫌の理由だと思えない。なにかもっと、先輩の琴線に触れるなにかがあるんじゃないか。私のあるかわからない第六感が、警戒の片鱗をのぞかせている。
そういえば、蝉を眺める彼の目はいつも弓なりになっていた気がする。たしかそう、透かしを眺めていた時も。
―――〜♪
「おや」
「ン、何か聞こえる?」
おそらくもうすぐ図書館に着くだろうというところ。どこからか声が聞こえて来るのに気づいた。ゆったり流れる様な曲。唄、だろうか。
「あすこから聞こえますね」
メル先輩が指をさす。見れば、向こうの石垣の上で子どもたちが甲高い声ではしゃいでいる。唄をうたっているのはどうやらあの子たちのようだ。
『ヨイ ヨイヨイ ヨイノアケ』
『クモツ ヨコシテ トジブタヲ』
『ツクヅク ツクヅク シチノヒニ』
『ホーシサマハ マッテイル』
『メノワヲ ヨコシテ トジブタヲ』
『オグナヲ ヨコシテ トジブタヲ』
『ツクヅク ツクヅク マッテイル』
『ニエニエ オワレバ オマイリニ』
『カネヲヨコシテ テアワセリャ』
『オタカラ ヨコシテ クダシャンセ』
彼らははきゃらきゃら笑いながら去っていく。私は唄を聞いて前回の『花いちもんめ』を思い出し、若干の寒気をおぼえた。
「いまの唄、なんだったんでしょうね」
「さあ、ボクは聞いたことないです」
「私もないです。この集落に伝わる童謡?」
「ふむ、たいへん興味深い」
このとき、彼の目がきらんと光を帯びたのをみた。私は知っている。この目はメル先輩のなかでホラー方面の好奇心が刺激された合図だ。
童謡にはだいたい怪談話に用いられるほどの怖い曰くがあったりする。花いちもんめ然り、かごめ然り。
怖い話が好きなひとならわざわざ歌詞の意味を調べたり考察したりもするんじゃないだろうか。もちろん、私も調べたことがある。そう、童謡はホラーなのだ。怪談なのだ。
ことホラー、怪異事についての先輩は冷静さに欠ける。理性がないといっても過言じゃない。今まで彼の勢いになんど押し流されたことか。
嗚呼みえる。振り回される私の姿が……。
「あ、あーッ図書館まであと五メートルくらいですって!! 暑いし時間も押してるからはやく行きましょう!!」
私は先輩の腕にしがみつき、ぐいぐいと引っ張った。多少強引に行かないとさっきの子どもたちに突っ込んで行きかねない。
私は、活字から、情報を、得たいんだ。小学生とはいえあんな人数に会話なんてまっぴらだ!
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