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恋のアドバイスなんてしたくありませんが……何か?
この世界と元の世界では、生活様式も違うし知らない生き物だっている。
だからあの日、神殿で見た花はただの”藤っぽい何か”に過ぎない。ちらっとしか見ていないし、藤色の花なんてどこの世界にだってあるはずだ。
(……ちょっと怪我をしてナーバスになっていただけ)
文献なんて都合の良いことしか書かないものだから、もう一人の異世界の女性が藤の花を目当てに神殿に足繁く通っていた確証なんてどこにもない。
宮殿に戻ってきてから、カレンはずっとそう自分に言い聞かせた。でも不安は影のように付き纏ってくる。何度振り払っても取れない蜘蛛糸のように。
そんな状況でも、時間は残酷に過ぎていく。気付けばあっという間に夜会当日となっていた。
*
夜の帳が落ちて部屋の燭台に火が灯る頃、カレンは鏡に映る自分の姿に乾いた笑みを浮かべていた。
目がチカチカするほど鮮やかな深紅の生地のドレスは、ドレープを描くエレガントなスカートライン。何層にも広がるチュールは光沢のある銀色で裾には藍色を基調とした細かな刺繍。
かつて着た夜会ドレスよりバージョンアップしている。けれどそれを身に付けているのは、女子高生のこの自分。あまりに似合わなくて滑稽だ。立ち位置がブレ過ぎて闇落ちするアイドルの気持ちが痛いほどわかる。
げんなりした表情を浮かべるカレンの髪は下ろしたままで、帝国花をモチーフにしたティアラに負けないくらい艶ややかに輝いている。
メルギオス帝国では黒がもっとも美しい色だといわれているのはカレンも知っている。そして、黒色の髪と瞳の両方を持つ人間はとても珍しいらしいことも。
「カレン様、手袋をどうぞ」
鏡に映るもう一人の自分にから目を逸らしたと同時に、リュリュから声を掛けられた。
本日のリュリュは夜会に参加するため、装飾を抑えてはいるが品の良い萌黄色のドレスに身を包んでいる。
夜会に不慣れなカレンは退席のタイミングを掴むのは至難の業なので、リュリュに「今だ!」と合図を送ってもらおうと計画している。
「あ……うん。ありがとう」
銀色のレースがふんだんにあしらわれた手袋を一先ず受け取ったものの、カレンはすぐにそれをはめることはしない。
先日捻ってしまった手首がまだ痛いのだ。
翌日には腫れも痛みも治まると思っていたけれど、未だに腫れは引かないし、ちょっと動かすだけでも鋭い痛みが走る。
幸い利き手ではないので日常生活には支障はない。ただ肘まである手袋をはめることに慣れていないので、絶対に不意打ちのような痛みが走るだろうと躊躇しているのだ。
「……カレン様、やはり陛下にお伝えしたほうがよろしいのではないでしょうか」
「は?なんで?」
きょとんとした顔をするカレンに、リュリュはとても言いにくそうに口を開く。
「この怪我の状態では、陛下はすぐにお気づきになると思います。ですから問われるよりも先に、事情をお伝えした方が今後の外出の際に……その……色々と支障がないと思いまして……」
最後は言葉尻を濁してしまったリュリュだが、カレンは察することができた。要は、怪我をするなら外出するなとアルビスが言い出すかもということ。
リュリュの気遣いは嬉しいが、カレンは顔をしかめてしまう。
「はっ、わざわざアイツに言わなくてもいいよ。それに手袋してたら、気づかないんじゃないの?まぁ…もし聞かれたら、部屋でコケたって言えば問題ないし」
我ながらナイスアイデアだと手を打ちたくなるカレンに対して、リュリュは納得できない様子だった。言葉にするなら”そんな嘘すぐに見破られる”といったところ。
そんなはずはないと信じて疑わないカレンは、リュリュに問いかける。
「リュリュさんだって部屋でコケたことくらいあるでしょ?」
「……」
ここ数年、部屋でも屋外でもコケることなどないリュリュは、賢くも無言を貫く。その間に、カレンは手袋をはめた。
「準備できたよ。リュリュさんは?」
「いつでも大丈夫でございます」
「そっか。じゃあ、打ち合わせ通りにお願いします」
「はい。お任せくださいませ」
頼りがいのある笑みを浮かべてくれたリュリュに、カレンもぎこちなく笑みを浮かべる。
それから互いの健闘を祈りながら握手を交わすと、並んで部屋を出た。
廊下に出れば、既に騎士の盛装をしたダリアスがいた。
ダリアスは自分の娘がドレスアップしていても気にする様子もなく、カレンに会場に行きましょうと先導する。
前を歩くダリアスはどっかの馬鹿息子のように余計なことを口にすることはなく、歩きにくそうなカレンを気遣いながら護衛に徹している。
カレンも黙々と足を動かしていたけれど、険しい表情に変わった。
夜会会場まであと少しといったところで、アルビスが待ち伏せするかのように廊下にいたのだ。護衛騎士二人を引き連れて。
アルビスは夜会用の金の装飾が眩しいローブを身に付けていた。胸元のタイはカレンのドレスと同じ深紅で袖や襟元の刺繍は藍色。どう考えてもカレンの衣裳に合わせたものだった。
盛装姿のカレンを見て、アルビスは満足そうに頷く。
その一挙一動がカレンには、不快なことこの上ない。
どんな神経をしたら同じ衣裳を身に付けられるのだろうと呆れるし、待ち伏せするなんてストーカーみたいだと嫌悪を覚えてしまう。
そんな憎まれ口を叩こうとしたカレンだが、ぐっと言葉を飲み込む。会話をすることすら苦痛だ。
一方アルビスは、カレンの心情など気付かぬ様子でこちらに近づき──ある一点を目にした途端、美しい顔がみるみるうちに曇った。
「……その手はどうしたんだ?」
触れてほしくないところをピンポイントで突かれたカレンは、心の中で舌打ちした。
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