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冬を凌いで芽吹いた葉は青々と茂り、ここ帝都フィウォールは春真っ盛りである。
その象徴であるロダ・ポロチェ城も、溢れんばかりの花で彩られている。内廷の皇族住居では、至る所にパステル調の花が飾られ、行き交う人々の目を楽しませていた。
そんな中、このメルギオス帝国において2番目に尊い存在であり、聖皇帝の寵愛を一身に受ける聖皇后は、城内の神殿で祈りを捧げていた。
*
「……お願いします……どうか……」
胸の内に秘める祈りが言葉となって溢れ出してしまった掠れた声は、人払いをしている神殿にやけに大きく響く。
しかし当の本人は、自身の唇が動いたことに気付いていない。更に組んだ指に力を込める。
神殿は城内にはあるが、独立した石造りの建物だ。歴史を感じさせる大きな窓から、光がふんだんに入る。一部はこのメルギオス帝国の歴史を描いたステンドグラスとなっているので、さまざまな色彩が聖皇后を優しく包み込んでいる。
メルギオス帝国で、もっとも美しい色とされている漆黒の髪と瞳の持つ聖皇后は、18歳と数ヵ月。
胸まであるその艶やかな髪は下ろしたまま、横髪の部分に聖皇后の証である帝国花を模った銀細工の髪飾りを刺している。
身にまとう淡い水色のドレスはくるぶし丈で、城に仕えるメイドのお仕着せによく似ている。
足元も技巧を凝らしたヒールではなく、柔らかい革で作られた簡素なブーツ。これは地味というより場違いなもの。
でも聖皇后はこの服装を気に入っていて、内廷で過ごす日々のほとんどがこのスタイルだ。
城に住まう人々や仕える人たちは、聖皇后らしからぬその姿に最初は戸惑いを隠せなかったが、最近ようやく定着しつつある。
華美な装飾を好まず、毎日、飽きることなく神殿に通う聖皇后は、2か月前に盛大な式を挙げたばかりで、少し風変りだ。
それはなぜかというと、聖皇后がこの世界の人間ではないからだ。
聖皇后こと結月 佳蓮は、アルビスによって召喚された異世界の人間だ。召喚された理由は、アルビスが聖皇帝となるため。利用されたと言っても過言ではない。
そしてすったもんだの挙げ句、一方的な災難が続いたカレンは心の底から聖皇后になることを拒み、アルビスを憎んだが、結局紆余曲折の末たくさんの条件付きで聖皇后になることを選んだ。
カレンが聖皇后となったのは、アルビスに復讐するため。聖皇后は皇帝を一度も愛することなく、元の世界に戻ってしまったと歴史に刻むため、カレンは必死に元の世界に戻る方法を探している。
毎日神殿で捧げる祈りは、帝国の安寧でもなければ、夫を案じるものでもない。とにかく元の世界に戻せという神を脅すような内容だ。
その個人的な祈りは、帝国民に対しても、神に向けても、侮辱するような行為だが、誰にも文句は言わせない。この世界の神様は、カレンにとことん優しくないのだから。
それにカレンは、元の世界に絶対に戻ると、法であり秩序である夫のアルビスに宣言している。アルビスもそれを承諾し、力を貸すとカレンに誓っている。
カレンの家族は母親だけだったけれど、家族に近い存在がいた。カレンより三つ年下の、中学三年生の冬馬とその父親だ。
カレンの母親と冬馬の父親は、傍から見れば互いを想いあっているのが一目瞭然なのに、関係を進めることはしなかった。
しびれを切らしたカレンと冬馬は、二人に結婚してもらおうと婚姻届を渡す計画を立てていた。
でも婚姻届は渡せなかった。計画当日に、アルビスがカレンをこの世界に召喚してしまったから。そのことをアルビスは、深く深く後悔している。
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