未来会議

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1. ベントラ、ベントラ、スペースピィープル。星空に向かって呪文を唱えると宇宙人を呼びよせることが出来るのだという。 「ベントラ、ベントラ、スペースピィープル。」 夏の終わりの涼しい紺の夜空に正孝は呪文を誦じた。コンクリートの床に手をつくと僅かに冷たくザラっとした感触が伝わった。小高い山に立った建物の屋上から見上げる空の広さに比べると、正孝の声などは小さ過ぎて虚しい。正孝はもう一度口を動かすが、声は地上の風にさえ吹き流されるようだった。 「ねぇ、さっきから何て言ってるの?」 隣で正孝の真似をして仰向けに寝ていた由紀が聞いた。上体を捻ると同時に彼女のTシャツが依れて美しいヒダを作った。それはまるで宇宙の捩れのように深遠な模様だと正孝は思った。 「ねぇ。聞いてる?」 由紀が少し語気を強めて言った。正孝はそこでやっとTシャツの皺から目を離して、由紀の顔を見た。鼻筋が三日月のようなカーブを描いて小さくツンと上を向いている。 「うん。宇宙人を呼ぶ呪文みたいなんだけどね。まあオカルトだよ。」 「でもマサはわざわざここまで来てそのオカルトな呪文を唱えているわけだよね。」 わざわざここまで、と由紀が言うのは、山口市から車で山を分けて入った衛生通信所の施設だった。正孝は研究室の荒川教授に頼み込んで通信所で泊り込みの実験の許可を得ていた。実験のチャンスを貰って正孝は有頂天だったから、由紀との旅行の約束をすっかり忘れていたのだった。正孝は大学院に進んだが、由紀は学部を卒業して製薬会社の営業職に就いていた。社会人というのはどうやら忙しいらしく、由紀との旅行は彼女の貴重な休みを使って計画されたものだった。実験も大事だが、由紀との約束を反故にする訳にはいかない。そこで正孝は苦し紛れにこの実験旅行をアレンジしたのだ。無論、由紀には単に旅行だと言って遥々東京から山口まで連れて来た訳だから、話が違うじゃないかという由紀の無言の批判は甘んじて受け入れるしかなかった。 「全く私と宇宙人とどっちが大切なのよ。」 由紀は三日月型の先っぽを小さく膨らませてぶつぶつと言ったが、正孝にはその姿さえ愛おしく思えた。 「実験、いや、天体観察はこれからだからさ。まあ見ててよ。」 正孝はノートPCを取り出して電波の波形をチェックする。画面に映し出されているのは、敷地内に聳え立つ直径32mのパラボラアンテナが受け取ったデータだった。普段は電波望遠鏡として使用されているが、正孝の実験はこの巨大アンテナで上空3万6,000mの静止軌道上を飛ぶ通信衛星のミリ波を捉える。 なぜなら。 スペースピィープルが存在するとすれば、きっと彼らは地球人の作った人工衛星を利用するはずだからである。例えば、天体の発生させる自然の電波は微弱であり、巨大なアンテナを使うか、複数のアンテナを組み合わせるかして、ようやく観測できる。更に言えば、天体の位置を計測してアンテナの向きを調整しなければならない。であるからして、スペースピィープルが直接遥か遠くの宇宙から直接電波を届けようとしても、地球人はその電波が何処の方向からやってくるのか知らずしてそれを受け取る術がないのだ。 ならば。正孝は一つの仮説を立てた。 スペースピィープルは地球人が必ず受け取る人工衛星の電波に乗せてメッセージを送ろうとするのではないか。地球に向けて人工衛星の発すものと同位相の電波を使って干渉を起こし、人工衛星をターゲットにしたアンテナに受け取らせる。この方法なら微弱な電波でも地球まで届かせ得るし、地球人も受け取る可能性が高い。だとすれば、スペースピィープルの発した電波は微かなノイズとなって衛星通信の電波に隠されているはずである。 もちろん、ノイズと言っても受信機やケーブルなどが原因で発生するものもある。波形の微かな乱れが電波由来であるのか、観測機器由来であるのか、これを区別する必要があった。実用上はどちらにしてもノイズであるのだから、わざわざそれらを区別する必要はないのだけれど、そこからスペースピィープルからのメッセージを読み取るという目的からすれば最も重要な問題である。 そこで正孝はパラボラアンテナの集めた電波を直接計測する手法を開発した。直接計測したものを生データと呼ぶならば、この生データそのものは加工しなければ使い物にならないが、観測機器の出力するデータと比較するには十分活用出来る。両者のノイズから共通するものを取り除いて、純粋に電波由来のノイズを抽出するというわけだ。 手元のノートPCの画面では、事前に組んだプログラムで解析が始まる。由紀が正孝の背後から抱きつくようにして、肩に顎を乗せながらPCを見つめた。青い円がクルクルと回って残り時間を示す。 「スペースピィープルって言い方、確かにちょっと可愛いけどね。」 肩の上で顎がカクカク動いた。何だちゃんと聞こえてたんじゃないかと正孝は思いながら、「そうだね。」と相槌を打った。由紀はそれからひとしきり映画で観た宇宙人の種類やエイリアンとの違いについて話を始めた。スターウォーズとメンインブラックは彼女のお気に入りだった。解析はまだ続いている。 「きっとスペースピィープルっていうのは、愉快な宇宙人なんだろうね。呼んだら来てくれるんだからさ。タクシーみたいなものなんじゃないかな。」 ノイズの特定が出来た。あとはAIが波形を読み取って音声化するのを待つ。 「そうそう。コミカルというか。可愛らしいというか。ゆるキャラ的な感じだね。きっと。」 遂に解析が終わった。「しっ。」正孝は振り返って由紀の唇にそっと人差し指を添えた。一瞬、周囲から音が消えた。由紀の喉がコクリと鳴る。 背後から機械の合成音でメッセージが流れた。 「ワレワレハ...。」 正孝と由紀は黙ってそれを聞いた。そして思わず天を仰いだ。夏の夜空には無数の星が散らばっていた。正孝はまるで宇宙に放り出されたかのような、そんな気分だった。
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