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2.
正孝の受け取ったメッセージは、結局スペースピィープルのものでもなかったが、しかしそれは人類にとって重要なものであることに違いなかった。
「つまり君はこれが未来人からのメッセージだと言うんだね。」
正孝は首相官邸にいた。コの字型に席が並ぶ閣僚応接室を通り、閣議室に入った。閣議室には総理の梅本をはじめ葉山外務大臣、牧野財務大臣ら重要閣僚が円卓を囲んでいる。皆揃いも揃って圧の強い厳しい顔つきである。正孝などには明らかに場違いな雰囲気である。思わず下を向くと、赤を基調にした絨毯の白い波の模様が電波のカタチに見えて、正孝は微かに目眩を感じた。
「私が言っているというよりは、彼らがそう言っているんです。」
正孝が解析したメッセージは次のようなものだった。
『我々は20年後からこのメッセージを送っている。受け取った者は速やかに然るべき者に伝えて欲しい。未来のためになすべきことをなすために、我々はこれから2021年に生きるあなた方との交信を望みます。』
正孝はまずこのメッセージを研究室の教授に伝えた。正孝の知る限り、然るべき者とは担当教授くらいのものだった。そしてきっと荒川教授は笑い飛ばしてくれるだろうと思っていた。正孝自身、初めの内は半信半疑だったのだ。
しかし、教授の荒川は正孝の解読したメッセージを真剣に受け止め、その写しを内閣府の幹部官僚に渡した。そこからは間を開けることなく、時の総理の耳にまで未来人の話が伝わることになった。正孝と梅本総理との距離は六次の隔たりもなかったということになる。
だとしても。である。未来人などというものは宇宙人ともさして変わらぬオカルト話ではなかったのだろうか。正孝などのような学生が面白半分で語るならまだしも、一国の首脳陣がまともに取り上げる話題ではないだろう。
「安心してください。私たちは未来人の存在を明確に受け入れていますので、八戸さんの話も基本的に信じているのです。」
唯一の女性閣僚である葉山大臣が場を和ませるようにして、正孝に微笑み、そして梅本総理に顔を向ける。
「葉山大臣の申し上げた通りだ。内閣は未来人の存在を予想し、現に認識している。従って君の話自体を疑ってはいない。」
梅本総理はそう言って力強く正孝を見る。つまり内閣は、未来人の存在は疑っていないが、未来人について正孝が知るべきかどうか、それを吟味しているということだろうと正孝は理解した。
「彼が優秀な学生であることは、私が請け負います。何より未来からの電波を彼が発見したことがその証拠ではないでしょうか。」
普段の講義とうって変わって荒川教授が丁寧に大臣たちに説明した。正孝の基本的なプロフィールは概ね大臣たちの知るところとなっているようだった。
「分かりました。教授の貴重なご意見を尊重しましょう。」
梅本はそこで呼吸を置いた。大臣たちは互いに顔を見合わせて正孝には窺い知れない意思の疎通を行ったようだった。
「では、八戸正孝くんを外務省未来人担当大臣政務官に任命します。」
正孝は呆気にとられて立ち尽くした。梅本総理が何事か正孝に対して話を続けるが、何のことかさっぱり分からなかった。これならば未来人のメッセージを解読する方がよっぽど簡単な気がする。
正孝が政務官に任命されて、閣議は解散となった。正孝の知る限り政務官とは国会議員が就く要職で、民間の況してや大学院生が就任するような役職ではないはずだった。
「改めて詳細はお話をしますので、明日外務省へお越し下さいね。」
最後に葉山大臣が柔らかな笑顔で正孝に声をかけて、部屋を出ていった。がらんとした閣議室には未だ状況が飲み込めぬ正孝と荒川教授が残された。
「いやぁ。まさか政務官とはね。」
荒川教授が白髪を撫でつけて言った。
「先生、これは一体どういうことなんでしょうか?」
「どうもこうも。八戸くんが解読した未来人からのメッセージというのは本物だよ。超時空コミュニケーションプロジェクトというのを今月立ち上げて、私がそのプロジェクトリーダーというわけだが、私たちの見立てではこの先20年以内に過去にメッセージを送る方法が確立出来るだろうと踏んでいてね。時空間に極小のワームホールを開けてそこに電波を通すんだよ。八戸くんが受け取ったメッセージはきっとその技術を使って送られてきたものなんだろうね。ああ、そうか。しかしなあ。やはり20年はかかるか。もう少し早くできるのではと期待していたんだが。我が国の財政状況の悪さは君たちが思っているよりずっと深刻でね。これは一重に問題を先送りにし続けてきたからなんだが、その構造的な問題を解決するには意思決定に未来からの視点を取り入れなければならないと梅木総理は仰るんだよ。」
普段の語り口に戻った荒川教授が早口に説明する。これが講義なら理解出来ないところは自分で勉強するまでなのだが、今回のことに関して正孝にとっては荒川教授だけが頼りであった。
「つまり、未来人とやりとりをして、彼らの意見を政策に反映させるということですか。」
「まあ。そういうことだな。」
荒川教授は正孝の肩をポンと叩いた。正孝はまたもや宇宙空間に投げ出されたような、そんな気分になったのであった。
※ ※ ※
「ああ。全く。何でもかんでも我々に押しつけて。未来人とのやり取りがなんで外交交渉になるんだか。」
そこにはいつもの微笑みはなく、苦々しげな表情で葉山大臣が心境を吐露した。未来人との交渉は『未来会議』という名で進められることとなっていた。無論、その中身を知っているのは正孝ら未来会議の担当だけで、他の職員には伏せられていた。
「まあでもとにかくやるしかないわね。若手の官僚を補佐につけますから、八戸さんは引き続き未来人との交渉を続けて下さい。」
正孝は外務官僚の三代と大臣室を出た。「あの人は裏表が激しい人なんですよ。外務大臣としては適任ですけどね。」廊下を歩きながら三代が小声でそう教えてくれた。中央省庁の建物はどれも古く、均質的なので、正孝などは1人で省内を歩くと未だに迷ってしまうことがあった。正孝ら未来会議担当に与えられた部屋は、急遽物置きを改装したような小さな部屋だった。政務官とは名ばかりで、実際には面倒ごとを引き受けさせるために役職を付けたというのが実際のところのようであった。
『今般の年金制度改革について、保険料の引き上げ額を一律13%にした上で、猶予期間を5年から3年に短縮することを要請する。』
未来人からのメッセージはいつもシンプルで具体的だった。
「これは流石に厳しいんじゃないですかね。足元の梅本内閣の支持率を見ても、決して磐石ではありませんし...。」
三代が困ったような顔をして言葉を濁した。三代にとって正孝は年齢も近く同僚に近い感覚なのだろうが、しかし正孝は政務官で内閣の人間なのである。
「そうですね。しかし未来のことを考えると、実際必要なことなのだというのも分かる気がします。」
未来に関わる意思決定に未来人が意見をするというのは、それが実現可能になった今、正当な主張であるように正孝には思われた。
「総理と話をするにしても、交渉材料が必要ですね。次回の選挙結果を教えてもらいましょう。」
交渉材料とは、未来についての情報である。未来人の意見を反映させても結局のところは選挙での得票に繋がらない。未来との対話を内閣が秘密裏に行っている以上、内閣が倒れてしまっては元も子もない。未来も重要だが、現在はもっと重要なのだ。
正孝は未来人への質問を作成して、専用のキャビネットに20年の時限キーをつけて保管する。過去から未来へのメッセージはそうしてタイムカプセル方式で伝えれば済む。後は20年後に未来人がキャビネットを開けて内容を確認するのだ。
※ ※ ※
「こちらが今回の年金制度改革について、未来からの要請になります。踏み込んだ内容になっていますが、次回の総選挙時の結果を見ても、思い切った改革が現在の国民にも評価されるということが分かっています。」
葉山大臣が微笑みを崩さずに報告した。つい先ほどまで「こんなの、無茶な要求だよ。」とぶつぶつ言っていたのだけれど、総理の前では余裕の対応である。
「うむ。」梅本が唸る。
「しかし我々がそれを受け入れたとして、今の政局では未来人の要請を通すのは不可能ではないだろうか。」牧野財務大臣が口を挟んだ。そもそも制度改革に対して与党の中でも反対意見が根強い中で、国会で可決に持ち込める可能性は五分五分と内閣は読んでいた。未来人の要請を飲んでより厳しい内容になれば、更なる反発は必至であった。
梅本総理が正孝に視線をなげる。
「未来人によれば、必ず可決されるとのことです。」
結局いつだってそうなのだ。未来から見れば全ては過去の既に確定した事実なのである。未来からのメッセージは要請というかたちをとっているが、最終的には100%当たる予言として機能する。これは予言の自己成就で済まされる域を超えているだろう。
「それならそれで構わんが。未来の内閣は一体何のためにこんな茶番を繰り返すんだか。私には到底理解しかねる。」
不承不承といった面持ちで牧野が言い捨てた。しかしそれは未来会議について知る誰もが考えていたことであった。未来が決まっているのなら、未来人とのやり取りも、あるいは他のどんな政治的努力も結局は無意味ではないかと。
「全ては決まった未来の実現のために必要なことだと思う他あるまい。」
梅本総理が場を締めた。正孝は床の絨毯の波紋が永遠に揺らめくように感じた。
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