未来会議

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3. 「ねぇ。翔馬の生きる未来はどんな世界になるんだろうね。」 オレンジと白の照明が照らす夜の首都高を走りながら、助手席で由紀がそんなことを言った。正孝は内閣で勤めることになった後、由紀と結婚し、翔馬が生まれた。僅か1年の間に目まぐるしく世界が変わってしまった気がする。一方で隣に座る由紀の顔を見ると、大切なことは何一つも変わっていないような気もした。 翔馬は時々夜泣きをすることがあって、車に乗ると泣き止むので、こうして家族で夜のドライブに出かけることがあった。 「どうだろうね。分からないけど、今と同じって訳にはいかないのかもしれないね。」 「想像してみようよ。そうだな。この首都高はどうなってると思う?」 「例えば、高速道路の照明はオレンジ色が減って、白一色になっていくとか。」 「えっ、そうなの?私、オレンジの照明もノスタルジックで好きなんだけどな。それっていずれは絶対変わっちゃうの?」 「オレンジのナトリウム灯よりLEDの方が電気効率が良いし、恐らくはそうなっていくんじゃないかな。」 未来は決まっている。それはこの1年の間に正孝が理解したことであった。自由意志も偶然も全てを含めて決定している未来があるのだ。しかしその諦めは、翔馬が生まれてから希望にもなった。翔馬の生きる未来を実現させるために、正孝は今懸命に働いているのだと。 「私はさぁ。それでもオレンジ色の灯の残る未来を期待しちゃうな。」 由紀が助手席側の窓を見ながら言った。ガラス面に反射する彼女のやはり昔と何も変わっていないようだった。 ※ ※ ※ 正孝はポケットに丸めたコピー紙を握り締めながら、深夜の日比谷公園にいた。脇には学生の頃に初めて未来人からのメッセージを解析したプログラムの残るPCを抱えている。 翔馬が4歳の誕生日を迎えた翌日、正孝は決められた時間外に来た未来人からのメッセージを偶然発見し、その中身の一部を切り取って隠していた。そうしろと未来人からのメッセージにあったからだ。未来人のメッセージには正孝とプライベートで話がしたいとあった。 『つきました。話というのは何でしょうか。』 正孝は水色の付箋にボールペンで書いたものを丸めて木陰の地面に埋めた。未来人のワームホールの位置を特定して以来、タイムカプセル方式のメッセージは行っていなかったので正孝は何だかそれを懐かしく感じた。 『ありがとう。私にはあなたがメッセージに答えてくれると信じていました。据わりが悪いので、先に伝えてしまうのだけれど、未来人としてメッセージを送っている私は20年後のあなたです。つまり、あなたは20年前の私だということです。』 古いPCから機械音が鳴る。未来人が正孝自身なのではないかということについては、正孝も薄々勘づいていたところがあった。 正孝は一つ目の穴から一足分離れた場所にまた付箋を埋めた。 『何故今更それを?』 『折り入って、過去の私にお願いしたいことがあるのです。これは確実な過去の履行に矛盾するので、公には出来ませんが。』 20年後の私はそう言って電波を一瞬途切れさせる。 『翔馬の命を救って下さい。』 翔馬の身に何かあるのであれば、それは正孝にとって一大事である。正孝はPCの音に耳を澄ませた。 『忘れもしない。20年前の8月に翔馬は風呂場で転倒して亡くなりました。その日は私が翔馬を風呂に入れる予定だったのですが、仕事で遅くなり、翔馬は待ちきれずに1人で風呂に入って。由紀が気付いた時には床に頭を強く打って倒れていました。』 それは出来れば信じたくない話だった。もし翔馬が死んでしまったら、私はその後の世界をどうやって生きていくというのだろう。 『その未来は変えられるのだろうか?』 正孝は走り書きの付箋を埋めた。未来は100%決まっているのではないのか。これほどまで未来を変えたいと思ったことはかつてなかった。少しでも可能性があるのなら。正孝は藁にも縋る思いであった。 『未来は違ったものになり得る。』 20年後の正孝はそう断言した。世界は決して一つではなく、同様に確からしい世界が連続的に無限に存在しているのだと。ワームホールは近接した世界を繋いでいるが、技術的に可能な限り最小のワームホールでも、繋がる世界の幅は相当程度に広い。つまり、未来は十分似通っているが、全く同じというわけでもないということだ。 『我々の生きる世界を基準にしてあなたたちの世界がどの程度異なっているのかを、ベイジアンモデルで統計的に分析した結果、95%の信頼区間で±0.1%の範囲にあることが分かりました。』 近似した世界の20年後の正孝の話によれば、最小のワームホールを通して繋がり得る世界の範囲を可測空間として、それぞれの世界との距離が一定の距離に収まる確率を計算しているのだという。世界の確率分布なるものがあって、メッセージのやり取りを通してタイミングや内容の相違などを分析することで、事後確率を更新していく。その結果、ワームホールで繋がった2つの世界はどうやら相当程度近似しているらしい。だからこそ、それほど矛盾なく通信が行えているということだろうと正孝は想像した。 『私も未来から同じようにメッセージを貰って、翔馬が交通事故で亡くなるのを救って欲しいと伝えられました。結局交通事故は防げたものの、翔馬はやはり亡くなってしまった。だから未来はやはり似通ったものになってしまうのかも知れないが、それでも。あなたの世界が翔馬の生きる未来のある世界であることを私は期待します。』 そこでメッセージは途切れてしまった。恐らく隙を見てメッセージを送ることの出来る時間は限られていたのだろう。正孝は夜の日比谷公園で天を見上げる。真っ暗な空には無限の確率空間が広がっている。正孝は宇宙のスペースピィープルに誓った。少なくともこの世界では翔馬を助けてみせる。翔馬の生きる未来のある世界が存在することを証明して見せると。
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