1.傘に隠れて

3/4
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/61ページ
 十七時五十分に閉館時間を迎え、手分けして掃除と片付けを済ますと、図書室を出るのは夕方の十八時頃になる。学校が定めた冬期の完全下校時刻と一緒だ。 「ごくろうさまでした。菜穂ちゃんは仕事が丁寧だから助かるわ。また来週お願いね」  図書室の真奈美先生に「お疲れさまでした」と頭を下げ、蛍光灯の明かりに照らし出された廊下を一路昇降口へ。  暖房の効いていた図書室から一歩出た途端、ひんやりとした冷気に襲われた。  本格的な冬の到来はまだだというのに、小野寺さんは紺色のダッフルコートとタータンチェックのマフラーという完全防寒姿だ。それでも寒いのか、手袋の上からしきりに息を吹きかけている。  間に人間が一・二人分ぐらい入りそうな間隔を保ったまま、さらに半歩ほど僕がリードする絶妙な距離感で歩く。  二人の間に会話はない。  誰かに関係が露呈するのを、僕たちは極端に恐れていた。  普段同じクラスで過ごしていても言葉を交わすことなんて数えられるほどしかないというのに、二人で仲良くしゃべっているのを見た、並んで歩いているのを見たなんて言われたら、どんな噂が立つか想像するのも怖かった。  だから僕たちは学校内で、お互いに他の異性と接する以上の言動を交わす術を持たなかった。仮にどちらかがそんな兆候を見せただけで、相手は一瞬にして恐慌状態に陥っていただろう。  でも、それで良かった。  赤の他人のフリをしながらも、僕たちは当人たちにしかわからない同じ気持ちで結ばれていたのだから。  何気なく歩きながらも僕の全ての神経は、斜め後ろを歩く小野寺さんに集中していた。  視界の端っこに、小野寺さんが歩くのに合わせて、真っすぐに切りそろえられた髪が揺れるのが見える。背筋をシャンと伸ばし、小さな手に食い込ませるようにバッグの持ち手を握りしめ、少しうつむき気味に歩く小野寺さんの姿が目に浮かぶ。  時折目線を上げて、僕の背中を盗み見る小野寺さんの視線まで感じられるような気がする。  きっとそれは、小野寺さんも一緒だろう。  彼女もまた、僕が意識的に彼女の歩くペースに合わせて、距離が離れすぎないよう調節しているのに気づいているはずだ。  昇降口まで来た時、 「雨……」  と消え入りそうな小さな声で、小野寺さんが呟いた。  外はざぁざぁと音を立てて雨が降りしきっていた。そのせいかいつもこの時間は騒々しい昇降口にはひと気がなく、静けさに包まれていた。雨で外の運動部は中止になったのかもしれない。 「傘、持ってきた?」  周囲に他の生徒の姿がないのを確認し、小声で確認する僕に小野寺さんは黙ってうなずきを返した。  小野寺さんの傘は、控えめでシンプルな紺色の折り畳み傘。僕は同じく無機質な黒色の長傘。  靴を履き替えたものの、雨の中に踏み出すのを躊躇するように、昇降口の出入り口に並んで立ち止まる。  少しだけ勢いを増した雨に打たれて、傘がバタバタと音を立てた。
/61ページ

最初のコメントを投稿しよう!