後輩の溺愛はわかりにくい

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 不可解で不意打ちなキスの始まりは、なんの変哲もない平日の朝だった。  勤め先があるオフィスビルの一階エントランスで、八敷は寝不足で重い身体を運んでくれるエレベーターを待つ。背後から革靴の音が近付いてきたのは、だらしない大欠伸をこぼしたときだ。 「うーわ、あんた寝癖すごいすよ」  聞き慣れた太々しい声にどきりとして、今日も片想いがバレないよう、八敷は顔面に先輩を貼り付ける。  振り向きざまに力の入っていない肘で小突いてやると、男は欠伸を噛み殺しながら軽々と戯れを避けた。 「何するんすか、部屋まで送ってベッドに寝かせてやった優しい後輩に向かって」  切れ長の目尻に涙が浮かび、生理現象を我慢するあまり口元が変な形に歪んでいるというのに、男――城戸の整った容姿が持つ完成度にはさほど影響しない。凛々しい形の眉が寄せられると雄っぽさが増し、無駄にセクシーだから直視するのに苦労する。 「先輩をあんた呼ばわりするなって何回言わせんだ。けど介抱してくれてサンキュー」 「いえいえ、あんたには恩を売っとかないと」 「売るつもりならついでに寝癖を速やかにどうにかしてくれ」  頭ひとつ分背の高い男に向かって、ん、と後頭部を向ける。「はいはい」と面倒そうに言うくせに、すんなりと長くて爪の形がいい指は優しく髪の跳ねを撫でつけた。彼持参の寝癖直しウォーターを詰めたミニボトルからミストが噴出され、爽やかな香りと清涼感を地肌で感じる。 「二日酔いは?」 「んー平気。昨日は悪かったな、ちょっと飲みすぎたっぽい」 「ちょっと、ねえ……まあ、あんたが酒に弱いのなんか嫌ってほど知ってるけど」  昨夜は城戸とともに担当した案件の成功を祝う、二人きりの打ち上げだった。いつもはもっと控えるのだが、嬉しくてついうっかり深酒をしてしまい、手洗いに立った辺りから記憶がない。置き手紙があったため城戸が面倒を看てくれたのは知っているが、記憶を飛ばしたなんて言ったら酒を禁止されかねないから、八敷は余計なことは言うまいと口を引き結んだ。 「なんすかその顔」 「べっつに。どうせ弱いし、お前みたいにかっこいい酒とか飲めないよーだ」  やっと下りてきたエレベーターに乗りこむと、男はクスクス笑いながら広い箱内ですぐ隣に陣取った。 「あーなんだ拗ねてんの。かっわい」 「お前ヤダほんとマジですぐ馬鹿にする」  城戸は「してないって」と肩を竦めるが、本気で可愛いと思っていないことくらいはわかる。目が大きいね、柴犬っぽいね、と八敷は人によく言われるが、女性的だと言われることはない。八敷はゲイだが、城戸はストレートのはずだ。余計な期待は身を滅ぼすと相場が決まっている。 「俺だってお前くらいイケメンだったら、きっともっと酒も強――――……」  半開きの口を動かせなくなった瞬間、おかしなことに、一番最初に頭をよぎったのは「防犯カメラこっち見てんじゃん」だった。  口が、城戸のそれで塞がれている。  ご丁寧に腰を折り、横から視界を遮るように身を乗り出して。触れていた唇が最後に啄んで離れたせいで、ちうっと恥ずかしいくらいに可愛らしい音がした。 「顔と酒の強さは関係ないすけどね。で、どうでした? キス」 「え……」  どうってなんだ。まさか感想を求められているのだろうか。それはちょっと、いや、かなり意味不明じゃないか。  というか今されたのは、キスで合っているのだろうか。――二年も片想いをしている職場の後輩に、朝から?  かろうじて動いていた脳の思考回路が、驚愕の稲妻を喰らってショートした。一秒前に自分が何を考えていたかわからない。わかるのは、呆然とする八敷の顔を覗きこんだまま、城戸が真剣に答えを待っていることだけだ。 「え……いや……駄目だろ……?」  魂が抜けたような気分だからか、声がカスカスだった。  普通に駄目だ。平日の朝からこんなの、嬉しくて死んでしまう、仕事にならない! 「そっすか。了解」  城戸は唇がくっついたことをもう忘れたのか、平然としている。 (あ、え、……それだけ?)  目的の階に到着したエレベーターが動きを止め、「困惑の世界へようこそ」とばかりに大きく扉を両側へ開いた。  八敷の三年後に入社してきた城戸は、当初から太々しく生意気な後輩だった。顔の良さと理想的な長身、八敷とは真逆の堂々と逞しい体躯にうっかりときめいたのも束の間、二人きりになると彼は「すんげえ可愛いすね」と八敷を鼻で笑ったのだ。  その瞬間、教育係として徹底的に躾け直してやる、と心に決めたのはいうまでもない。淡いときめきは使命感にとって代わった。  だが生意気で可愛げのない後輩は八敷にだけ砕けた態度をとるのと同時に、八敷にだけ細やかに世話を焼いた。一体どちらが先輩なのかと、同僚たちにはよく笑われている。  猫舌の八敷が火傷しない程度に冷まされた珈琲。傘を忘れたときのため、八敷専用の折り畳み傘を自分のロッカーに常備。オヤツは食べ過ぎるからと城戸からの配給制になって久しい。飲み会のあと、自宅ベッドで布団をかけてもらうまでの流れも定番だ。合鍵は「合理的すよ」と言われ、とうに渡している。  彼が入社して半年も経てば、八敷は城戸がいないと諸々困る身体になってしまったし、太々しさも可愛く思うようになっていた。  部活にバイトに勉強にと明け暮れては恋より友情寄りの青春を謳歌し、就職後は仕事を覚えるので手いっぱい。そろそろ恋でもしたいなと思い始めたころにイケメンで偉そうで世話焼きな後輩がすぐそばにいて、落ちないなんて恋愛ビギナーには無理だった。同じ性指向の知人もいない八敷は、ただひたすら、毎日後輩の隣でうぶな胸を高鳴らせている。  そんな片想いが二年を超えようかという矢先だ。城戸が謎のキスを仕掛けてきたのは。 「――どうすか」  まただ、と八敷は視線を上げた。パソコンの液晶画面と顔の間に、ほぼ毎日見ていても全く飽きない後輩の顔がある。  同僚たちのいなくなった終業後のオフィスは照明を一部に限定しているせいで薄暗く、なんだか秘密の行為っぽさが強い。  城戸は最初の不意打ちキス以降も、なんの前触れもなく唇を奪いにきた。日に何度もされることもあれば、ない日もある。幸いなのは必ず人に見られないよう配慮してくれることだが、見られなければ人がいてもお構いなしなところは困っている。 「どうすか、じゃないだろ、まったく……」 「駄目すか」 「駄目もくそもないって。お前は終わったみたいだけど、俺、今、残業中。おわかり?」 「っすね。了解です」  今日も「なんでキスすんの」と訊けなかった。胸の内側でどっこんどっこんと阿呆みたいに暴れる心臓のせいで、真顔を保ちながら返事をするのが精いっぱいだからだ。  せめてだらしないニヤケ面で歓喜してしまわないようにだけ、全神経を集中させて自分を律している。 「じゃ、手伝うんでさっさと終わらせて飯行きましょ。腹減ったんすよ。このままだとあんたのこと食いそう」 「おう、それは超まずいな。牛丼奢ってやるからもうちょい耐えてくれ死にたくない」 「にっぶ」  溜め息交じりに何かを呟いた城戸が、データ化しなければいけない書類を半分攫って隣のデスクへつく。「なんて言った?」と訊くと、「肉増し増しで生卵とキムチ乗せじゃないと割に合わないすね」と、財布に優しくない我儘を放たれた。  その後も八敷は、理由も目的もわからないまま、男の唇の柔らかさと温度と、近づいたときの肌の匂いを記憶に刻み続けている。  最初に八敷を撃ち抜いたあれほどの衝撃も、数をこなし、日が経つにつれて薄らいでいくのだから不思議なものだ。二週間も経つころには、城戸がキスを仕掛けてくる空気までわかるようになっていた。  あ、キス、してもらえる。  本日四度目の予感を覚えたのは、自宅で借りてきたDVDを見ているときだった。長方形のテーブルの長い辺に城戸と並んで缶ビールを置き、ベッドを背もたれにして、馬鹿のひとつ覚えみたいに爆発シーンの多いアクションものを肴に、他愛もないやり取りを楽しんでいた。主人公のマッチョが爆発の勢いでビルの窓から飛び出し、あわや――というところで、左隣からこっくりと濃密に甘い何かを感じる。映画鑑賞中とは思えない、何か。  視線を流すと、城戸もこちらを見ていた。  目が合うことが合図になったみたいに、男の顔が寄ってくる。そうすると八敷は、喫煙経験もないのに口寂しさを感じるようになった。 「八敷さん」  低すぎず耳に心地いい声で名前を呼ばれると、自然と唇が開いていく。城戸は満足げに微笑むと、無防備なそのあわいをいつも舌で軽く舐めた。もっと奥に入っていいのに、入ってほしいのにと、もどかしく思うラインを攻め、からかうように啄んで少し離れるのだ。  高く形よい鼻先が、八敷のそれに触れている。ビール臭かったらどうしようと息を止めた。五秒ももたず、か細い呼吸で命をつなぐ。  恥ずかしくて逸らしたいのに、目を離せない。離したくない。  八敷はわかっている。見つめ合うだけで、自分の中にあるものが全て城戸に見えればいいと思っているのだ。そうしたら、このぬるま湯みたいな幸せからもっとよいところへ城戸が連れ出してくれないかと、ずるい期待をしている。 「どうすか」  夢のようなキスの最後は、毎度同じ問いだ。  その瞬間に八敷は、冷水に足を浸すような寒々しさと、暖炉にあたるような安堵を同時に味わう。心が、身動きできなくなっているのだ。期待するなと己を窘める声と、自分にいいよう解釈しようとする声が混在し、毎日小競り合っている。 「あーまあ、まだまだ……だな」  最初に「駄目だろ」と言って以来、それ以外の答えを返せなくなってしまった。もっと早くキスの理由を訊くべきだったと、飽きるほど後悔している。  嬉しい、気持ちいい、と言えば、何かが変わってしまう気がして言えない。キスの目的が八敷の思うものと違ったとき、果てしないショックを受けるのが怖い。  だから八敷は今日も、彼の唾液で濡れた唇をきゅっと引き結んだ。 「そっすか。もう一本ビール飲みます?」 「あ、うん。飲む」  城戸はもう平然とし、勝手知ったる八敷宅の冷蔵庫を漁りに行ってしまう。ワイシャツ姿の背中は肩幅もしっかりしていて、苦しいくらい抱きしめられてみたい欲求がふくらんだ。 (キスするってことは、俺のこと好き、なんだよな。そのはずだよな……)  もう少ししたら、きっと目的を訊ねるいい機会が訪れる。下手に動いて、キスしてもらえる幸せを早めに終了させるくらいなら――このままでいい、今は。  八敷は祈るように、乾き始めた唇に触れた。  多少の残業が確定した段階で、八敷は城戸と一緒に社内の休憩コーナーへ連れ立った。休憩コーナーとは言っても喫煙ルームの前に自販機が置いてあるだけの簡素なものだ。配給されたオヤツを片手にジュースを買い、壁へもたれてささやかな休憩を満喫する。  しかし八敷の内心は緊張でぴりついていた。 「あんさ、今日終わったら飲み行かない?」  気に入りの珈琲を飲んでいた後輩が、きゅっと眉を寄せる。嫌がっているように見えて、八敷は胃の底が竦む感覚に襲われた。 「あー、……忙しい?」 「まあ……今日はやめときます。けど、あんた酒弱いんだし、俺以外と行くのは駄目すよ」  やっぱりか、と心の中だけで嘆息した。  ここ数日、唇はおろか肩さえ触れ合わなくなったし、何に誘っても断られている。今朝なんて寝癖すら直してくれなかった。手渡された寝癖直しのボトルを握って、いよいよ終わりかとぞっとした。 「ちょっと、聞いてます?」 「え? ああうん、聞いてるって。忙しんだろ。心配しなくても行かない。別に、家帰って寝るし……いいし」 「はあ……あんた、そういうとこすよ……」  重々しい溜め息を吐かれ、城戸の顔を見れない。どんな顔をしているのか、また眉を寄せているのか、そんなふうに考えては胸が痛くて、直視する勇気が根こそぎ溶けていく。  きっと城戸は八敷にキスするのに飽きたのだ。わかっている。でも、認めたくない。  どうにかして城戸の興味関心を取り戻す手はないだろうか。  仕事を進めながらも頭を悩ませる八敷はしかし、その後に己のありえない勘違いを思い知るはめになった。 「城戸さあ、最近どうよ。好きな子」  残業も終え、退社する前に手洗いへ立った八敷は、通りかかった商品開発部の前で足を止めた。こちらも何人か残業していたようで、中から楽しげな話し声がする。  城戸、と聞こえた。八敷は城戸への片想い二年のセミプロであるから、彼の名前を聞き違えることはない。  城戸は親しい同期が開発にいるから、顔を出しに来たのだろう。いけないと知りつつ、思わず耳をそばだてた。 「学生時代からアホほど女子泣かしてきた超絶ドライ男のくせに、初恋だもんなあ」  盗み聞きをしているドキドキと、城戸の恋について聞けるドキドキが混ざって身体の中からけたたましい音がする。期待が半分、浅ましくも鼓動を早くしていた。  好きな子=俺であれ、と。頼むから、俺であれ。 「面白がるなよ……まあ、告白したから、今返事待ち」 「――」  楽しそうにわっと沸く声が遠ざかる。もしかしたら腹のど真ん中を大砲か何かで撃ち抜かれたのかと思うほど、強い衝撃と耐えがたい空虚さに襲われた。 (……それ、俺じゃない)  なんてことだ。勘違いをしていた。キスされたから好かれていると思い込んでいた。  世の中には恋人でなくても抱き合える人や、キスをするだけの関係など、八敷とは価値観の違う人が大勢いる。それなのに城戸は自分と同じだと、キスは好意の現れだと信じて疑わなかった。キスしてもらえなくなった今も縋るように、それ以外の可能性を追い出していた。  呆然としすぎて半ば意識を飛ばしていたらしい。部屋から誰かが出てきてしまった。 「え、八敷さん?」  顔を上げると、たった今八敷を失恋させた、小憎らしくていい男な後輩がまた眉を寄せる。  ここ数日は、こんな顔をさせてばっかりだ。 「あんた、なんて顔して……こっち来て」  手を引かれ、連れて行かれたのは喫煙ルームだった。誰もいない代わりに煙草臭いその部屋で、八敷はぐっと奥歯を食い締める。  たった三つだが、八敷は先輩だ。ときどきモーニングコールで起こしてもらうし、サラダのカイワレ大根は食べてもらうが、こういうときくらいは大人ぶりたい。そうでないと泣いてしまいそうな情けなさごと、強がりで隠させてほしかった。 「さ、――さっき、聞こえたぞ。……好きな子、いるんだって?」 「……」  言葉を失う男を見上げ、じくじくと痛む胸が少しずつマシになっているのを感じた。この調子だと、すぐに痛みはなくなりそうだ。  単に麻痺しているだけだと気づかず、八敷は悪戯っぽく笑みを作る。 「お前なー、そんな子いんのに俺にチューしたら駄目だろ。っめ」 「何、言ってんすか……」 「いやほら、だからな? えっと、あ、練習とかだったんだろ? 最初に言えよなー、だったらすぐ、めっちゃキスうまいって、いい感じだって、言ったのにぃぅぶッ!?」  突然、傍若無人に顎を鷲掴みされ、汚い悲鳴が迸った。目を白黒させながら犯人を見上げ、八敷は固まる。 「なんか大体わかったすけど、で? 俺のキス、いい感じだったんすか?」  三つも年上なのに、瞳孔の開いた後輩が怖くてちびりそうだ。とにかく、こくこくとうなずく。  すると城戸の薄くて滑らかな唇が、ニィッと狡猾そうな笑みを象った。 「んじゃ、合格ってことで」 「え? ――っん!?」  城戸の唇が、まるで食べるみたいに八敷のそれに重なった。  あわいを軽くどころか、喉のほうまで肉厚な舌を突っ込まれている。男は唾液を塗り変えているのかと思うほど、丁寧に、執拗に口内のあちこちを舐めまわした。 「んーっ、んー!」 「んーんーうるっさいっすよ」  完全に城戸のペースだ。口内を暴かれ、唾液を飲まされ、痺れるまで舌を吸われ、八敷にできるのはせめて呼吸を続けることだけ。  足がふらつき、背中が壁にぶつかった。ゾクゾクと込み上げる快感で、膝はもうハッピーバースデーしたての鹿状態だ。 「……こんくらいでいっかな」  ようやく城戸がキスをやめたころには、八敷の息は上がりきっていた。鼻で呼吸すればいいのは知っているが、それを思い出したのはキスが終わってからだ。否応なしに熱を帯びた下腹部がどうにか上着で隠れるように腰を引く姿は、物慣れなさでいっぱいだった。 「はあ……は……なんで……」 「あんた全部忘れてたんすね」 「忘れる……?」 「二人で打ち上げした日――俺、あんたにキスしたのに」 「え!?」  寝耳に水だ。唖然とする八敷の唇を親指で拭った城戸は、それをぺろりと舐めた。 「はあ……マジで、普通にイラッとする。こんだけ可愛がってんのに、他に好きな子いるんだろって言われた俺の気持ちわかります? トイレ連れこんでお仕置き駅弁コースすよ」 「え、怖っ、いや意味わかんないって! 俺が何忘れてるって?」 「あの打ち上げの日、俺あんたにキスしたんすよ。もうクソだなって思うくらい可愛かったんで」 「か、」 「したら、あんた『俺のこと好きなのか』って。うなずいたら怒りだして『やり直し!』ってさ。だからキス、やり直してたんすよ。それをこの鳥頭は……忘れるとかないわー、アホすぎて可愛いとかマジでホント……」  不満そうにぶすくれる城戸を見つめたまま、八敷は滲み浮かぶように、酒に飲まれた夜の記憶を取り戻し始めた。  そうだ。突然のキスだけど、嬉しくて仕方なかった。だけど、あのとき、不満もあって。 「違う……キスをやり直してほしかったんじゃない」 「思い出したんすか? じゃあ何が不満で……」 「俺、城戸にちゃんと『好き』って言われたかったんだ」  素面の八敷なら絶対に言い出さないが、酔っ払いの八敷は怖いもの知らずで自由だった。駄目出しして翌朝にはすっかり忘れているなんて、とんでもない迷惑野郎だ。 「け、けどごめんな城、ど、んんッ」  またもやがぶっと口をキスでふさがれた。再び顎と、そして今度は後頭部までを捕獲され、力強く腕の中へ抱きこまれる。じゅっ、くちゅ、と唾液を混ぜる水音がして、恥ずかしさで耳が熱くてたまらない。 「は、っ好きです」 「んんっ、ぁ、待って、今なん、っ」 「だから好きだっつってんすよ」 「んぅ、ん、はッ、あ、ン、キス、か……んんっ、話すかどっち、かにっ、ん」 「どっちもしたいんだから仕方ないでしょ」  反論は大きく口を開けた城戸に、唇全体を覆われて飲みこまれた。もぐもぐ、もごもご、言葉も息も全部、城戸の欲しがるがままに差し出すしかない。  もう駄目だ。息が追い付かない。気持ちよくて、苦しくて、嬉しくて、実感がわかなくて、でも――このまま流されたくはない。 「……っとに、待てって!」 「っ……」  どんっと力強く男の肩を拳で打つと、さすがに八敷の本気を感じた城戸はしぶしぶといった様子で口を離した。太々しくとも強引すぎないところに、いつもキュンとする。 「……言っとくけど、もうあんま待ってあげられないすよ。こっちは入社した日から丁寧に可愛がってきたんすから、正直限界」  ずいぶん前から想い合っていた事実に興味を惹かれるが、それはあとでいい。  今は、とにかく訊きたいことがある。 「ほんとに俺のこと、好きか? ここ数日キスも飲みも避けてたのに?」 「それは……もう我慢できないかもしんなかったんで、自重してたっていうか」 「飽きたんだって思ってた」 「馬鹿言わないでくれます? 俺が女になるよりありえねえすよ」  それは相当だ、と思わず笑うと、城戸も気が抜けたように笑みを浮かべた。 「わかりにくいよ、馬鹿……俺も、超好き」 「――……」  がばっと覆いかぶさってきた城戸に抱きしめられる。夢にまで見た好きな男の腕の中は――非常に息苦しかった。 「ん、んぐぅっ、タンマ、……ぅう……ッ」  少しずつしか呼吸できないくらい力が強いせいで、虫の息とはどんなものか、うっかり体験してしまう。  そろそろ生命的にヤバい、と男の背を叩こうとしたとき、腕の力が緩んで耳元に長い溜め息が落ちた。 「忘れてたのは、もういいです。俺もちゃんと告白してなかったから、お相子ってことで」 「え、ああ、うん」 「でもキスし足りないから俺ん家連れて帰るけどいいすよね。明日口腫れても許してくれますよね。うわマジすか優しい好きどうもありがとうございます」 「ちょ、待っ、自己完結やめない!?」 「可愛さ余ってトイレで駅弁コースよりマシっしょ」  背中を伝った指に尻の狭間をぐっと押された八敷は、反射的に口をつぐんだ。男は本気だ。本能が尻の無事を優先しろと喚いている。 「っじゃ、じゃあ……ひとつ、条件」 「なんすか」  頭を上げた城戸が、額が触れそうな至近距離からじいっと覗きこんでくる。  八敷はごくりと喉を鳴らすと、すぐそばにある唇へ、初めて自分からキスをした。 「う、……嬉しくて死んじまうから、できるだけ……お手柔らかにな……?」  精一杯の自己防衛は初めてできた恋人を大いに煽ったようで、翌日の八敷は終日ハッピーバースデーしたての鹿だったのだけれど。  朝は嬉々として寝癖を直してくれたから、よしとしよう。
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