神立(かんだち)――はじまりを告げる万雷

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 麗紫は静かに目を閉じていたが、震えていた。怖くないはずがない。これから、底なしと言われるほど深く流れの早いあの川に落とされるのだから。  今すぐに奪い返したいが、村役人どもが連れてきた雇われ兵士が十人ほど目を光らせている。自慢じゃないが、俺は力は強いほうだ。でも、十人の武装した兵士相手に素手で戦って、麗紫と一緒に逃げるほどの自信はない。困った。  俺が悩んでいると、梨沙が背中をつつく。振り返ると、例の天女のような慈愛深い笑顔で言った。 「私に考えがあります。ちょっと任せてもらえますか?」  酒や塩を神台に備える巫女婆たちのところへ、梨沙は危なげなく歩みよっていった。  周りの見物人から当然、どよめきが起こる。そりゃそうだ、知らない坊主が出てきたんだから。 「なんじゃい、お前さんは!」  大巫女の婆の一人が怒鳴った。梨沙は微笑みを浮かべながら、旅の僧侶ですと言った。僧侶の着物と背の高さで、男にしか見えない。真上からつぶされた俺しか、女と気づく人間はいないだろう。 「その旅の僧侶が、いかな理由をもって儀式に割って入る!」  別な大巫女が言うのに、梨沙は礼儀正しく辞儀をした。 「菩薩が、この儀式は今回失敗すると教えてくださいまして」  この言葉に巫女たちのみか、見物人からも声が上がる。 「何を言うか!この生臭坊主め!どこの馬の骨か分からぬお前に何がわかる!」  肥え太った大巫女の迫力も柳のように受け流し、梨沙は(たもと)から錫杖(しゃくじょう)を出した。 「馬の骨ではありません。観音菩薩に選ばれた取経の者です。文句があるなら菩薩にどうぞ」  そう言ってその金色に輝く錫杖を振った。驚いたことに、手のひら程の大きさだった錫杖が梨沙の背丈ほどに伸び、尖端の玉が輝きだした。 「こ、これは……!?」  大巫女たちが驚いたのはそれだけではない。  なんと目の前の空に、観音菩薩の姿が顕現し金色の光が広がったのだ。金粉が巻き散らかされたように、そこら中が煌めいている。あたりは真昼のように明るくなった。 「お、おいおい梨沙、お前……」  俺の呟きが聞こえたのか、梨沙は片目を瞑って見せた。そして続ける。 「観音菩薩は、こう言われています。今回の儀式は、人選に難があると。さあ、今すぐそこにいる娘さんを帰してください。別な娘さんを探さねばなりません」  大巫女婆たちは動けずに震えていたが、近くにいた他の村人が麗紫に走った。その両手を縛る縄をほどき、背中を押した。 「麗紫……!」  俺の声に、麗紫は振り向いた。驚いた顔、そしてすぐに双眸から涙があふれた。 「飛隆……!」  華奢な体を抱きとめる。小鹿のように震えるその身を、守るように力をこめて抱いた。もう、二度と離さねえ。
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