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9.チョビを追って
車が往来する道の端を、マリが鼻をひくひくさせながら歩いている。そのうしろにノリタとトラザエモンが続く。イヌとネコが一列になって歩くさまは珍しいようで、それを目にした人たちは一様に驚いたような笑顔を浮かべた。中には携帯電話やカメラで写真や動画を撮る人もあった。
「気安く撮るんじゃねえよ」
トラザエモンが不機嫌に言うものの、その言葉は人間には通じない。逆に愛想よく鳴いたと思われたようで、彼らはうれしそうにカワイイだの映えるだのと歓声をあげていた。
「人間ってのはどうも好かないぜ」
トラザエモンの言葉に「なんだい」とマリが振り向く。
「あんた、飼い猫じゃないのかい?」
「へん」と彼は鼻で笑うと、
「誰が人間の世話になんかなるもんか。オイラはれっきとした野良ネコなんだ」
「れっきとした野良ネコってなんだよ」
苦笑交じりにたずねるノリタに、トラザエモンは胸を張って答える。
「ですから、自由気ままに生きるネコ、ってことですよ」
彼の言葉に賛同するように、マリが口を開いた。
「いいじゃないか、野良ってのも。うらやましいもんだよ。アタイたちイヌは、今じゃ野良になりたくってもなれないからね」
言われてみれば、野良ネコは見かけるけど、野良イヌはめったに見かけないなとノリタは納得する。学校に迷い込んでくるのも、おおかたはネコ、あとは鳥だとか虫程度だ。過去に1度だけイヌがいたが、それも飼い犬が逃げ出したものだった。
「ところでダイキチさん」
トラザエモンがノリタの横に並ぶ。
「チョビをさらったやつって、ひょっとして例の連続失踪事件の犯人なんですかね?」
「もしかすると、そうかもね」
「だったら、その犯人ってのはどういうつもりなんですかね?」
そう問われると確かにそうだ。今やペットとしてはネコが大人気だ。ネコが好きで飼いたいと思う人もたくさんいるだろう。だからと言ってその辺にいるネコを無理やり連れ去るようなことはしないはずだ。ネコ好きならなおさらだ。そんなことをするのはネコをネコとも思わないやつの仕業に違いない。それなら犯人はどんな目的でネコをさらうのか……。考えたノリタの脳裏にテレビで見た嫌な場面が思い浮かんだ。動物虐待で逮捕された男のニュースだ。狭い檻に閉じ込められた動物たちがひどい目にあっていた。まさかさらわれたネコたちもあんな目に?
ノリタはそんな思いを振り払うようにぶるぶると頭を振ってから、
「さあ。ボクにはわかんないな」
「そうですよね。人間のやることなんてさっぱり理解できないんだ。だから嫌いなんだよ」
最後は吐き捨てるような口ぶりのトラザエモンの横顔を、ノリタは不安げに見た。もしも自分の正体が人間だとわかればこのネコはどうするのだろうかと思いながら。
そのやり取りを聞いていたマリは、意味ありげに「フフン」と笑うと足を止めた。
「さて、おしゃべりはそこまでだよ。このあたりで黒ぶちのにおいが強くなってるよ」
ノリタたちはいつの間にか町のはずれまで来ていた。あたりの景色は田んぼや畑が目に付くようになっていた。
四方八方に顔を向け、鼻をひくひくさせていたマリは、「あの家だね」と言って1軒の家に狙いを定めた。
それは他の民家とは離れた場所に建っていた。周りは田んぼに囲まれている。広い庭にトラクターなどの農機具が置かれているところ見ると、どうやら農家のようだ。
その同じ敷地内にプレハブ作りの倉庫のような建物があった。その陰から車の一部が見えている。
「あ!あの車!」
トラザエモンは言うなり走り出した。ノリタもマリもその後に続く。
そこに停まっていたのは間違いなくチョビをさらった黒い車だった。トラザエモンはそこからプレハブ作りの建物に視線を移すと、
「ここにいるんですかね」
「間違いないね。こっちからにおいがぷんぷんするよ」
そう言ってから、マリはノリタのほうを振り向き「フフン」と笑った。
「じゃあ、アタイはここまでだ。あとはあんたたちでなんとかしな」
「え?帰っちゃうの?」
「そうだよ」
「どうして?」
「だって、黒ぶちの居所がわかったんだからアタイは用済みだろ。それにさっきも言ったように、今の世の中イヌだけであんまり外をふらふら出歩くもんじゃないんだよ。早いとこ帰らないと、保健所のお世話になっちまうからね」
それでノリタは思い出した。過去に1度学校に迷い込んできたイヌが、散々生徒たちにもてあそばれた挙句、保健所の職員に連れ行かれたことを。のちに無事飼い主に届けられたと聞いたときは安心したものだ
「そうだね」と彼は何度も頷きながらマリを見る。
「早く帰ったほうがいいよ」
「言われなくても、そうするよ」
そう言うや否や、「フフン」と笑い声を残して彼女は走り去った。
「チョビの居所を突き止めてくれただけでも、ありがたいですよ」
遠ざかる後姿を見つめながら言ったトラザエモンは、ノリタへと視線を移す。
「で、ダイキチさん。これからどうします?」
「そうだな……」と彼はプレハブ作りの建物を見上げる。黒い車が停まっているすぐ側の位置にドアがあった。
人間の体なら鍵さえかかっていなければ簡単に開けられるだろうが、今のノリタはネコなのだ。自分の部屋のドアも開けられないのだから目の前のドアだって無理な話だろう。
そんなことを考えていると、トラザエモンがポツリと言った。
「モモタローさんがいればなぁ……」
振り向けば彼もそのドアを見上げていた。
「え?どういうこと?」
「ああ、いや、前に1度見せてもらったことがあるんですよ。こうやってクイッと……」
そこでトラザエモンは前足の先を曲げて小刻みに動かしてみせる。
「ドアノブに手を引っ掛けるとですね、簡単に開けちまうんですよ。長年の経験ってやつなんですかね。いやー、さすがモモタローさんですよ」
しきりに感心するその姿が、まるでノリタのことが未熟者だと指摘されているようで、少し居心地の悪さを感じた。
そんな雰囲気を敏感に感じ取ったのか、トラザエモンは気まずそうに「えーっと……」と言葉を濁してから、
「そんなことよりダイキチさん、他にこの中に入れるところがないか調べましょうよ」
「そうだね」とノリタも気持ちを切り替えると、
「とりあえず、建物の周りをぐるっと歩いてみようか」
2匹はその場所から時計回りに建物の周囲の探索を始めた。
最初の角を曲がると窓があったが、高い位置にあるので手が届きそうにない。ガラス戸は閉じられているものの、見上げればカーテンが開いているので天井は見えた。蛍光灯が見えるが明かりは点いていない。
2つ目の角を曲がると何もなかったので、そのまま3つ目の角を曲がる。
窓があった。先ほどと同じくらいの高さだが、その下に自転車が置かれているので、そのサドルに乗れば窓に届きそうだ。
しかしネコの姿のノリタからすれば、サドルの位置は自分の身長の倍以上の高さにあった。そんなところにどうやって乗ろうか……。
そう思っている側で、トラザエモンが軽々と自転車に飛び乗った。そこからノリタを見下ろしつつ首をかしげる。
「あれ?ダイキチさん、こっち来ないんですか?」
そうだ。ネコならばこんな高さひとっ飛びなのだ。ノリタは慌ててジャンプするのだが、力加減を間違えたのか想像以上に高く飛んでしまった。バランスを崩し、危うくサドルから滑り落ちそうになるところを何とか爪をたてて踏ん張った。
「大丈夫ですか?」
ボスネコの失態に目を丸くしたトラザエモンに、ノリタは「問題ないよ」と答えてから窓のほうを向く。そこから中の様子が一望できた。
外観はプレハブ倉庫のようだが、内部は人が住めるひとつの大きな部屋のようになっていた。机や椅子、ベッドやテレビが置かれている。反対側の窓の下には本棚があった。そこには本ではなく、なにかのキャラクターのフィギュアがずらりと並んでいる。
「ダイキチさん、あそこ」
トラザエモンが指差したのは窓のない壁だ。そこには頑丈そうなスチール棚が組まれており、その1段1段には小動物をいれるような様々な大きさのケージが並んでいた。
ケージにはネコが入れられていた。白ネコ黒ネコ茶トラのネコ。その全てが怯えたような表情でうずくまっている。そんな中、1匹だけ外に出ようともがいているネコがいた。白と黒のぶち模様。
「あ!チョビ!」
ノリタは思わず窓を叩いた。その音を耳にしたチョビがノリタたちに気づいて手を振って見せた。何か言っているようだが、窓ガラスのせいで声は届かない。
「これ、開かないんですかね」
言いながら窓枠に前足をかけたトラザエモンが「開いた……」と呟いた。
窓には内鍵がかけられていなかったようで、ガラス戸が数センチ動いた。ところが防犯用の鍵を付けているのか、それともただ立て付けが悪いだけなのか、それ以上はびくとも動かない。
ノリタもそれに加勢するのだが、窓はガタガタと音を立てるばかりだ。隙間はほんの数センチ。頭さえ通ればネコならすり抜けられるのだろうが、これでは腕の1本がやっとだ。
それでも2匹がかりで窓と格闘していると、中からチョビの声が聞こえてくる。
「ダイキチさん、後ろ後ろ!」
なんだと思い振り返る。いつの間にか人が立っていた。
あ!っと思ったときには手遅れだった。その人は両手でノリタとトラザエモンそれぞれの首の後ろをがっちりと掴んだ。
2匹はなんとか逃れるために必死であばれようとするものの、体には全く力が入らなくなっていた。ネコはそこをつかまれると動けなくなってしまうということを、そのときノリタは初めて知ったのだった。
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